サーシャ
森の奥へ2時間ほど歩いただろうか、乱雑に生えていた木がまるで人の手が入ったかのように均等に生えているような風景に変わった。獣道らしきものは少なくなってきている。
中心部には驚異的な強さの魔獣が多いと聞くのでおそらくほかの動物が寄り付かないのであろう。
それにしても神秘的な光景だ。
シシガミ様でもいそうだな。
地面と木には伝統的な美しい日現庭園に植えられていそうな苔がびっしりと覆っている。
乾季とは思えないほど清涼で湿度がやや高い。
俺は口に溜まったつばをゴクリと飲み込み足を踏み入れる。
柔らかい苔の上を踏み締めるとジュワっと音がしそうなくらい水が染み出す。
もしここで暮らせと言われれば水には困らないだろうことは容易に想像できるほどだ。
俺は周囲を警戒し、木の影を縫うように歩みを進める。
すると俺は苔がかなりボロボロに抉れたような場所を見つけた。
そこはまるで戦闘があったかのような痕跡だった。
だがその場所は少し遠いため、俺はさらに慎重に、かつ、前傾姿勢を保ちゆっくりと進む。
そしてその場所につどりついた。
「なんだ…これは…」
俺は思わず声を出す。
そこにはエルのものと思われる笏丈が落ちていた。
そして、おびただしい量の血痕だ。
「エル…ダメだったか…」
俺は眉をひそめ、下唇を強く噛む。
地面が大きく削れた場所が3箇所あり、何かしらの攻撃を受けたのであろうことがわかった。
上を見上げると木の枝にも血が飛び散っていた。
おそらくエルもカールと同じ魔獣にやられたに違いない。
俺は確信した。
三面獣だ。
憶測になるが、調査をしているときにばったり遭遇し、カールが囮になり残りの2人は逃げたのであろう。
そしてエルの痕跡しかないところを見ると、サーシャと別行動をとった可能性が高い。
サーシャだけでも生きているといいが。
「せめて笏丈だけでも持って帰ってあげよう」
俺は錫杖に近づこうとした。
だが俺の第六感がざわつく。
(待て…こんなわかりやすい雑なやり方をするのか…?)
カールをやったときは痕跡が少なかった。
だがエルをやったあとはなんとも雑だ。
まるでわざと痕跡を残しているように見えるほど不自然だ。
そこで俺はある答えに辿り着く。
(これは罠だ)
危なかった。もし姿を見せれば、俺はあっけなくあの世に行っていたかもしれない。
普通に罠ではない可能性もあるけど、ここは一旦引いてサーシャを探す方を優先したほうがいいかもしれない。
俺はもう一度その場所に目をやる。まるで近づきたくなるような誘惑を孕んでいるその光景に俺は思わず身震いする。
あまりに狡猾だ。
やはり野生動物、いやこの世界では魔獣か。魔獣はこういうところが恐ろしい。
俺は静かに後退する。
目をぐるぐる回し、周りを忙しなく確認する。
特に樹上は要注意だ。
今のところとてつもない静寂で樹上に何かがいるとは思えない。
脂汗がたらりと額を伝う。
俺は慎重に慎重を重ねゆっくりゆっくり前傾姿勢のまま木の影を縫うように下がる。
そして倒木の影に身を潜めた。
俺は「ふぅぅ」と深いため息をつく。
心臓が鳴り止まないので落ち着かせなければ。
どっくんどっくんとかなりうるさい。
俺は落ち着かせるついでに周囲の様子もうかがう。
「お…」
俺は20〜30メートル先にデカい岩と倒木の間に隙間があるのを発見した。
(あそこなら身を潜められそうだな)
というよりも倒木が多く、身を潜めれそうなところは他にもたくさんありそうだ。
とりあえず休憩したいのもあるし、何より近くにやべぇのがいそうだから身を隠したいというのが本音だ。
俺はその場所に前屈みのまま進んでいく。
その場所に無事到着すると俺はその場所にゆっくり降りて行った。
「サー…シャ…?」
俺はそこに妙に見覚えのあるやつを見つけた。
色白でローブを深く被り身を潜めるように丸くなっている。
だが全身は泥だらけだ。
サーシャらしき人物もこちらに気づき顔をバッとあげ驚いた表情を見せる。
「あの…る…さん?」
俺は音を立てないようにゆっくり降りてサーシャに近づき思わず抱きしめた。
「サーシャ…生きてたんだな」
「あのるさん…!夢ではないのですね…!」
「ああ!夢じゃない。よかった…生きてて」
「エルとカールが…」
「ああ…わかってる。残念だった…」
「うぅぅ…」
サーシャは思わず泣き出してしまったようだ。
俺は泣き声が外に漏れないように強く抱きしめるのだった。
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やはり俺の読みは正しかったらしい。
サーシャが嗚咽しながらどういう経緯でこうなったのか教えてくれた。
俺はただ相槌を打つだけでサーシャの話を聞くだけだった。
そしてサーシャがエルとカールを探している途中で大量の血痕とエルの笏丈を見つけエルが死んだことを察したらしい。
だがあまりにも不自然な感じだったため、俺の同じく近くで潜伏して様子をうかがってからエルの笏丈を回収する予定だったらしい。
「まさかあのるさんが来てくれるとは思いませんでした」
「ああ…それがさ俺もカールの亡骸を見つけたんだ…。それで2人が心配で飛び出して来てしまったんだよ」
サーシャは口元を押さえ、眉に皺を寄せる。
「やっぱり…カールも死んでしまったのですね…」
「うん…」
「でも…あのるさん1人で来るのは危険です」
「そうだよな…。でも、1分でも遅れたくなかったんだ。2人が生きてるかもしれなかったから」
「あのるさんは…優しいのですね。一回しか話したことがなかったのに」
「きっかけは何でもいいんだよ。俺は自分の知ってる人たちが死ぬのを黙って見てられなかっただけだ。ただのお人好しだよ」
「それでもですよ。それに…いえ、何でもありません」
「ん?」
「そうですね…何から話せばいいのか…」
「別に無理に話さなくていいよ。ゆっくりでいいし」
「ありがとうございます。実はですね、あのるさんに話しかけようと提案したのは私なんです」
「ほぇぇ。エルじゃなかったんだ」
「はい。あのるさんの後ろ姿が寂しそうに見えたもので」
「はは。たしかに寂しかったかもね。声かけてくれて嬉しかったよ」
「それと、何やら訳ありな感じもしたので」
「訳あり?」
「ええ。私は人の魔力を見ることができます」
「そういえば、見ることができる人とできない人がいるんだっけ」
「そうです。人の魔力の系統まで見ることができる人は非常に稀ですが、魔力だけを見ることができるのは割と珍しい方ではないんですよ」
「うん」
「あのるさんの魔力…いえ、特に左手だけ魔力が多いですよね」
「どうやらそうみたいだね。どうしてそうなったのかは俺にはわからないけど」
「そうなんですね。私もただ不思議だったのです。今までそういう人は見たことがなかったもので。気になってしまったんですよ」
「なるほど。それがきっかけか」
「そうです。最初はただそれだけだったんです」
「?」
「でも、あのるさんが毎日泥だらけになりながら薬草採集していた姿が当時駆け出しだった私を想起させて度々組合で見るたびに目が離せなくなってしまったんですよ。おかしいですよね。私ったら」
「いや、そんなことないと思うよ。なんていうか、改めて聞かされると気恥ずかしいけど。きっかけはどうあれ俺なんかを見てくれる人がいたんだって思うと、なんか嬉しいよ」
「そう言っていただけて私も嬉しいですよ。元に今こうやって駆けつけてくれたのですから」
「とは言っても、力になれるかは別問題だけどね。はは」
「いざとなったら私の闇魔法で撃退してみせます」
「あ、そっか。攻撃魔法使えるんだっけ」
「はい。それがどうかしましたか?」
「いや、これは賭けだけど、いいこと思いついたかもしれない」