第11戦線~母さんはいつだって、俺がいくつになってもこうだ。子ども扱いする。~
帝国の侵攻開始から数時間経過した。
日も落ち、雨が降り始めている。想定より進軍速度は落ちており、今頃は野営の準備をしている頃だ。
帝国から魔国へは、帝国が勝手に作った1本の山道しかなく、整備もされていない為、足元はぬかるんでいるだろう。重い武装をした3万の兵が踏み込むたびに、道は徐々に悪くなっていく。それに続く騎馬隊は蹄が埋まることによって更に鈍化する。
「帝国軍はやっと三分の一まで来たところのようです」
バトラーがメモを読み上げる。
「ふむん。随分かかっておるな。その先の谷で・・・計画通りだな」
普段から研究や書類作成で引きこもっているこの執務室の天井には、煌々と明かりが灯っている。
暗い部屋の中で机と長時間対峙するのは気が滅入るし、何より近代的な生活は快適で良い。窓の外を見れば、真っ暗ではないため街が賑わっているのが分かる。
「それで、あの人たちは?」
「はい、あの者たちも野営を準備しておりましたが、野営地を放棄して笑いながらこちらに向かっております。狂気です」
斥侯なのか、少人数の騎士たちが帝国軍の本隊に先行していた。途中、魔獣との交戦があったが錬度が低く苦戦していたらしい。
「あの人たちの目的は?ただの先行の支隊?」
「はぁ、そのようだったのですが・・・現在は亡命を目的にこちらに向かっているようですな」
「———亡命、ね。罠とかだったらめんどくさいなぁ」
「まぁそれは無いでしょう。彼らの会話と情報などから考えれば・・・無事到着すれば、ではありますが迎え入れても問題ないと考えられます」
「まぁ帝国の侵攻なんて、まるで存在しないかのように平和だもんねぇ。きっと気に入るよ」
魔国、と呼ばれ始めたのはいつからだったか。初めに帝国や周辺の奴隷商から逃げてきた亜人や獣人が腰を落ち着け、スラムに住んでいた者、廃村等で住処を奪われた者。そういった者たちが次第に「魔王様の国」、「魔国」と呼ぶようになった気がする。
魔国では強制労働や無賃金労働が存在しない。それぞれがやりたい仕事を、やることのできる環境がある。無論、やりたいというだけで商売ができるわけでも成功するわけでもない。
それでも奴隷の身分だった者もスラム出身の者も、等しく成功するチャンスがあり、何より身分に縛られず衣食住が保障されているのだから、天国とまで言われているようだ。
「彼らは現在、寝食惜しまず向かっておりますから、夜明け頃到着予定かと」
「その時間はまだ寝てたいよ・・・」
こちらの都合も考えない訪問者は、そもそも、こちらの都合など関係ない者か、切羽詰まってそれどころでは無い者のいずれかだ。彼らは後者で、少なくとも現状を変えたいという気持ちが優先され、魔国という希望に向け、アドレナリンドバドバ垂れ流しながら形振り構わずだろう。
「ボクはその時間寝てるから、到着後の対応と今後については手筈通りで頼むね」
「ええ、仰せのままに」
*
「——デオとそのゆかいな仲間たちですよ」
ようやく魔国の城門前まで辿り着いた。まさか剣を向けよと命じられた国に亡命するとは、出発するときには夢にも思わなかった。
だが、これ以上帝国の言いなりになり、何もかも奪われ、モノのように扱われる人生にはうんざりだ。
ここには亜人や元奴隷たちも多くいて、不自由なく過ごしているらしいからな。
こんなことなら家族を連れてさっさと来るべきだった。先達の訃報と併せての昇格、そんな何の意味もない爵位や名誉と引き換えに、家族や仲間、友人を失い、俺にはもう共にここまで来た仲間たちしかいないのだ。
ならば、こいつらだけでも生きさせなければ。
「チーナンデス様、ここまでお疲れ様でございます。まずは疲れと汚れを落とし、お休みいただけますようご用意させていただいております。こちらへ」
身綺麗にした老人。どこぞの貴族の使用人だろう。その老人の合図で城門が開く。
目の前には、かつて見たことのない眩さを放つ、異界を思わせる街並みと多くの亜人達。
まだ夜が明けたばかりだというのに、たくさんの人たちが笑顔で行きかっている。
「デオ!それにもみんなも!あらまぁ、こんなに汚して・・・無事でよかった」
聞き覚えのある声で、初老の女性が走り寄ってくる。
「母さんっ!」
帝国から既に徴兵され、死んだと思っていた。よく見れば母さんの他にも見知った顔がちらほら見える。
「ちょ、泥だらけで、母さんまで泥だらけになったじゃないか。ほらもう離れてってば」
「そんなことどうだっていい!デオが生きてくれてたんだ、それ以外はどうだっていい!」
母さんはいつだって、俺がいくつになってもこうだ。子ども扱いする。
「それで、なんで母さんたちが魔国にいるんだよ、もうみんな死んだと思ってたのに!」
母さんや懐かしい顔につい涙が溢れてくる。もう二度と会えないと思っていたのに、まさか魔国にいるなんて。まさかその魔国に攻め入ろうとしていたなんて。
ほかの団員も親や友人たちと抱き合って喜んでいる。
「まぁまぁ。皆さんお疲れでしょうから、まずは一旦お休みいただき、再開を祝うのはまた後程」
老人の声でこちらに集まっていた母さんたちが離れ、皆一様に頭を下げる。
「バトラー様申し訳ありませんでした、つい息子たちが生きてたものですから・・・」
俺たちも真似するようにバトラーと呼ばれた老人に頭を下げる。
「では騎士の皆様。こちらでお風呂とお食事をご用意しておりますので」