第10戦線~やめちまうかー。もう~
我々帝国騎士団は皇帝に剣の誓いを立てた。
しかしそれが間違っていたことに気づいた。だが、どうやらもう遅かったようだ。
故郷の父や弟たちも今までの戦に駆り出され、当然のように死んでいき、故郷の村は女子供と年寄りだけの村となり、そして今、老若男女、健康だろうが病気だろうが、歩けるものは戦場に向かわせられている。
このあいだまで乳飲み子だったはずの子供たちが、家で食事を作って迎えてくれた母たちが、もう引退だと腰をさすりながら畑仕事をしていた年寄りたちが、ナイフ1本で悪魔どもに向かっていく。
魔国侵攻に追加で駆り出された女子供も年寄りも、村に帰ってきたという話は聞いたことがない。魔国の周りは魔獣で溢れていて、それも1体1体が騎士団総出で対応するようなレベルのが、だ。
先行し戻ってきた者の話では、形見どころか骨すら残っていないような状態だったという。
本来ならば、こんな後出しで出発するのではなく、誰よりも先に行くべきだった。
強く憧れだった父さんやいつもどんな時も優しかった母さん、魔術師になりたかった弟のヤミオ。きっと皆、先に逝ってしまったに違いない。認めたくないが。
いまこうやって魔国に向かっている騎士団のみんなもそうだろう。家族や友人、仲間や知人。故郷に置いてきたと思っていたはずなのに、実際は置いて行かれてしまった。
*
行軍も残り半分を切った所までに差し掛かったところで雨も降り始め、日も落ちたこともあり野営となった。後発の、魔術師を加えた気味の悪い部隊や近衛騎士団、盗賊や荒くれ者を寄せ集めた騎馬部隊も、今頃はだいぶ後ろで野営だろう。あれだけ統率の取れていない人数が多ければ、行軍速度も儘なるまい。
とはいえ我々も、帝国騎士団と言えど、今いるのは言わば2軍、いや、剣の握り方すら分かっていないような新人や雑用ばかりの補欠だ。
魔獣と戦うよりも、こうやってテントを張ったり食事を作るほうが慣れているくらいで、少人数での行軍もあったせいか、緊張の糸もついに切れてしまった。
「団長、もう俺こんなんついていけねっすよ。何のために頑張って騎士団に入ったのか、もうわかんねっす。村で初めての騎士団員だ、誇りだっつって送り出してくれた村、今はもう誰もいないんす」
一番若い一番の新人がテントの支柱を立てながら不満を吐く。
「そうだな、何のために俺たちはここにいるんだろうな・・・」
集めた焚き木に火を点けつつ、明かりの向こうに家族たちが見えるような気がする。
「やめちまうかー。もう」
帝国の紋章が額に入れられた兜。騎士団の誇りとも言われた装備である。が、無造作に脱ぎ、そして職務、責任、使命、そんなしがらみを捨てるように地面に叩きつけた。
行動自体は無意識だったということに気づく。後戻りはできないが、なんともスッキリした。
近衛騎士団なんかに見つかれば叛逆罪で一族郎党末代まで全てが死罪だ。
ガシャガシャッ
もしやと思い、音のする方を見るとさっきの新人も周りの仲間もみな、同じように兜を泥の撥ねる地面に叩きつけていた。それもとびっきりの笑顔で。
「おいっお前ら!叛逆罪とみなされたらお前らだけじゃなく親も家族もみんな・・・」
「命令されて皆殺しにされるのと、自分の意志で殺されるんじゃ意味が違うでしょ団長」
「それに、一族末代までったって、もうそんな気に掛けてあげられるひとも居やしないじゃんね」
「団長、いちかばちか、こうなったら俺らだけでも生き延びてやりましょう!」
俯いて膝をつく者や立ったまま真上を見上げる者。共通しているのは、そのひとときの静けさ。
雨が焚火も格好悪い姿も、隠してくれているようだった。
どのくらい時間が経っただろうか。いや、たぶん数分のことだ。このまま雨に濡れているだけでは体力と時間の無駄になるだけだろう。
「よし、お前らは騎士団の誇りを穢したとして全員クビだ!俺も責任を取って辞めさせてもらう!」
勝鬨を上げんばかりの様子を前に、咄嗟に両腕を正面に突き出すような形で制止する。
「しっ!もしここで大声なんて上げてみろ、後ろから”応援”が来ちまうぞ。食料や水、あと大事な物だけ持て。これより我々は魔国に亡命する。そしてどんな手を使ってでも天寿を全うするぞ」
「おー・・・」
大事な物、主に家族や大切な人の形見だ。これから死にに行くんじゃない。俺たちは生きるんだ。
*
魔国入口まで、俺たちは魔獣に出遭うこともなく安全に来ることができた。
ぬかるんだ道には足を取られ、身体を芯から冷やす雨にも苦労させられたが、物理的な被害は一切なく到着した。
すでに雨も止み朝日が昇り始めていたが、疲れを感じることよりもだんだんと近づく巨大な魔国の城壁に安堵していた気がする。勿論、敵地から亡命してきた兵士の身である以上、命の保証はないだろう。敗残兵より惨めな脱走兵だ。体力は果て、杖代わりにしてきた剣もボロボロ、顔も髪も全身泥だらけで、とても騎士と名乗れるような状態じゃあない。
「帝国騎士団長のデオ・チーナンデス閣下でありますな」
全身黒ずくめの見たことのない恰好をした男が右腕をくの時に曲げ、その先を額につける。
「いや、閣下なんてもんじゃないさ。それに今は”元”帝国騎士団長だ。ただの亡命希望の脱走兵、死ぬのが怖くて逃げてきた、デオとそのゆかいな仲間たちですよ」