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第1戦線~少尉、ボクが飲むのはミルクではない、コーヒーリキュールのミルク割りだよ~

ヒトが存在するどの時代であっても、世界地図を広げたときに紛争も戦争も起こっていない真っ白な地図を見ることは出来ないだろう。




 ヒトはその歴史上で争うことをやめることが出来ないのだ。


 いや、争わずに居られないのだ。




 ヒトはエデンの園で禁断の果実を口にしたときから、死の定めを背負い、苦難の道を歩んできた。


 個として存在する際の欲も、集団に置かれたときの欲の大きさを超えることは出来ないのだ。




 個が如何にして争わずにいようとも、集団になったとき、集団という個は争うことを決定する。


 その集団を維持するため、その集団に属する個を守るためには争いを避けることが出来ない。


 維持のため、生存するために、ヒトは他の動物や自然とも争ってきた。他の動物を絶滅に追いやるまで殺し、食い、生き延びて、そして遂にヒトはヒトと争い、集団を維持しより良い段階へと昇華するために殺しあってきたのだ。




 勝利という目標を達成するために争いの中で相手よりも有利であろうとし、如何にして殺すかという繰り返しだ。


 ときにそれは結果的に集団の生活を豊かにした。


 そして豊かにするために考え出したものを殺すという目的のために用いた。




 争いの火というエントロピーは、静かに広がるのだ。


 




 アジア、中東、欧州を戦場に変えた東西の代理戦争は、遂にその盟主同士が直接対決し、各国がその領土の防衛のみならず、報復と復讐の泥沼へと進展した。




 世界は少しずつ、確実に、焦げた大地へと変わっていく。




 放たれたロケットやミサイルがまるで星の周りを飛び回る虫のように昼夜問わず飛び交い、地上では対人ドローンが血飛沫を撒き散らし、歩兵が火花を散らしていた。




 老人も子供もなく、ただただ人が死に、もはや収拾のつかなくなった地獄の中で息を潜めることしか出来ずにいる。


 情報を得ようにもラジオやTVも混乱の中にあり、民間人には真偽を確かめようにも手段は存在していなかった。




 建物も爆撃で崩壊し、廃墟となったそこに安全はなく、人々は下水道でおびえ続け、最早敵か味方かも確認できない銃を持った人間がうろつくような地上には戻ろうとも思わなかった。






  ・・・人の住む"世界"が地下になってから数年。




  疲弊し物資が乏しくなり、戦火は徐々に勢いを失っていったが、それでも収まることはなかった。




  生き残ったどの国も、最後の手段を残し、心中する時を今か今かと待っていた。図っていた。






  *






 重く分厚い,観音開きのドアを押し開けると、中からは異国の言葉、煙草の煙、ガチャガチャ・・・と形容しがたい雑多な音が薄暗い室内から溢れる。




 ボクはこのドアを開けるのに苦労する。その重たさは物理的なものでもあるし、また心理的なものでもある。




 圧し込められた煙幕のような空気が風になってボクを通り過ぎてゆく。




 そこまで広くも狭くも無い部屋の中に置かれた、汚いテーブルや椅子、ビリヤード台やダーツボード。明かりを遮るほどの煙のカーテン。その奥にある汚いべとべととしたカウンターに着き「いつもの」と常連ぶって注文をする。カウンターの席は小柄なボクには少し高い。


「何ゆえ中尉殿はそんな子供みてぇな身体で()()()担いでるんです?」


 着崩したというより、だらしなくシャツの裾を出しているぼさぼさ頭に無精髭が「俺ロック頂戴」と隣に座る。


「こう見えて私は、開戦初期からその()()()を担いでるから少なくとも少尉殿よりは年上だがね。中身と入れ物の相違はあろうとも、余計な虫が付かなくて気軽だよ。それに出来るものなら、よく訓練された我が軍の豚たちの戦意高揚のために、胸と尻に脂肪たっぷりの姿で鞭でも取ってやりたいが、そうするには()()しなきゃならない。優雅なデスクワークのジジイたちは前線送りの兵站将校に休日もおこづかいも寄越す余裕がないのさ」


 ぼさぼさ頭の少尉が、バーテンダーの置いたグラスを傾けながら胸ポケットをまさぐりため息をつく。


「中尉殿は本日もミルクですかい?」


 スナップを効かせて煙草のケースを軽く振り、飛び出した1本を「どうです?」と差し向けながら隣に座る。


 ボクが今煙草を吸わない、いや吸わなくなった理由を、そして吸わなくなってから何日目かも分かっているはずの男の手から、しわの入った1本を摘み取る。


「少尉、ボクが飲むのはミルクではない、コーヒーリキュールのミルク割りだよ。しかしここにくると吸いたくなるもんだな」


 人差し指と中指で挟んだ煙草を口元に近づけると、少尉が乾いた金属音を鳴らし火をつける。


「中尉は何を飲んでも酩酊するわけじゃあるまいし、どうせ同じカネを払うのならもっと効くやつをヤりゃあいいでしょうに」


 少尉は、いやボクもこの戦線赴任中に昇任した。


 戦争が始まって以来、死ぬことも無く、大きな怪我も無く、つまり生き続ける才能か、そうじゃなきゃ死神に見初められ、無能な上官どもが死ぬたびに昇任してきた。


 そもそも我々兵站部隊は、幸か不幸か、頭が吹っ飛ばされでもしなきゃ死ねないけれども。


 カウンター越しからミルク割りがコースターの上に置かれるのを眺めながら、ゆっくりと深呼吸をするように、久しぶりの紫煙を吸い込む。香ばしく甘いラム酒のような香りが鼻から抜けていく。


「ミルク割りに合う良い煙草だ。配給品の、あの紙巻雑草とは段違いだな」


「前回の・・・東へのピクニックで少々多めに買い込みましてね」


「ふむん、では貴様が楽しくピクニックをしている間にボクが北での害虫駆除のあと買い込んだチョコレートとトレードといこうじゃないか。チョコレートといっても、きちんとカカオで出来たやつ。『ご禁制』じゃないやつだ」


 ミルク割りをひと舐めし、煙草をゆっくりと味わいながら耳を澄ます。


 ビリヤードの玉と玉がぶつかる音、雑音の中に混じる異国の言葉。聞き取れるキーワード。

『・・・日後・・・メギドの・・・後退する・・・』


 ここは我々連合軍の兵士と地元の人間しか客は居ない。その我々の耳に入ることを気にすることの出来ない馬鹿か、それとも前提としているのか、いずれにせよ周りを気にせず喋っているという事は、前者ならただの馬鹿、後者なら『自分たちは逃げる算段をしていて情報を出すから見逃せ』ということだ。


 軍人の男が、後から来た女に煙草を差し出し火をつける様を見れば、我々が軍人でなおかつボクが上官であるということは明確に理解できるだろう。ましてや中尉だの少尉だのと呼び合っているのだから、言葉が分かるものであれば尚更だ。


「なるほど、連中はホームシックでメギドの丘までお帰りになるらしい。今夜のうちに我々もバスケットにサンドイッチを詰め込んでハイキングといこうじゃないか」


「へぇ、そりゃ随分と楽しそうな修学旅行になりそうですねぇ。では中尉殿。サンドイッチに加え人数分のビスケットとスキットルを用意しなきゃなんないんで、ワタクシはこの辺でお暇いとましましょう」


 手を頭の横でひらひらとしながら少尉がカウンターを後にする。

 

 灰皿に煙草をねじ込み、ミルク割りを一気に傾ける。

 『釣りは取っときな』と金貨を1枚カウンターに置く。戦地を転々とする兵站部隊の下級将校に出来ることと言えばこのくらいのものだ。金貨1枚もあれば麦が100kgは買えるだろう。

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