9.断罪劇真章・下克上
「……何を言っている、フレイヤ。下がりなさい。お前が出てくる場ではない」
「それを仰るのであればイフェスティオ公爵、あなたのほうこそこの場を仕切るのに相応しくありません」
「なっ」
「ご自分の腹心の罪すら暴けない当主など、お笑い種も良いところですもの」
一瞬、イフェスティオ公爵がほうけた顔をした。
それはそうだろう。フレイヤがここまではっきりとした発言をしたのは、今日が初めてだ。
その証拠に、公爵だけでなくこの場に呼ばれたすべての親戚たちが、フレイヤのことを凝視していた。
すると、公爵がハッと我に返り叫ぶ。
「……お笑い種、だと? 親に向かって、なんという口の利き方だッッッ!?」
「閣下。この場において重要なのは親かどうかではなく、一族のトップに相応しいのかどうかですわ。そのようなことも分からず、イフェスティオ公爵家の名を背負っていらっしゃるのですか?」
瞬間、公爵の首が、耳が、顔が、赤薔薇よりもなお赤く染まる。
パァンッッッ!!!
乾いた音が響いたのは、そのすぐあとだった。
公爵に頬を叩かれたフレイヤの唇から、血が伝い落ちる。どうやら切ったらしい。
しかしフレイヤが取ったのは、泣くことでも謝ることでもなく、笑みを浮かべることだった。
「閣下。まるで女のようにヒステリックですのね?」
「ッッッッッッ!!!!」
イフェスティオ公爵はそこでようやく、自身が犯した過ちに気づいたらしい。
(でももう遅いわ)
この、親戚たちが多く集まる場で、現当主が次期当主を不当な理由で殴る。それも、感情的に。
そしてフレイヤは終始冷静な態度を取った。
片や公爵は、すでに部下のミスとはいえ少し調べれば出てきそうな婚約者の借金を把握していなかったという失態を犯している。
普通ならば、これで盤上をひっくり返せるだろう。
(だけれど、私は女だから、もう一押し必要なのよ)
そのための生贄はもちろん、リラック子爵だ。
「この場において、皆様に告発いたします。――私が巻き込まれた馬車の事故は、故意的に起こされたものです」
「……な……」
「そしてその黒幕は、リラック子爵。貴方ですわ」
そう言うと、フレイヤはぱちんと指を鳴らした。
瞬間、空間が歪んでそこから何者かが現れる。
それは、オデルと彼の部下。そしてカロイ――カジノのオーナーだった。
「ふ、フレイヤ……! 部外者、それも他家の令息を入れるなど……! イフェスティオ公爵家の評判を落とすつもりか!?」
「彼は私の協力者ですわ。それ以上でもそれ以下でもございません。何か問題でもございますか? 閣下」
何度も噛み付いてくるイフェスティオ公爵にげんなりしつつも、表面上はそれを出さずにフレイヤは言い切る。
(それに、今更評判ですって? イフェスティオ公爵家の名声なんて、既に地に落ちてるわよ)
あるのは公爵家という大層な外面と富、そして腐り切った内部の醜い争いだけ。
外聞がいいと思っているのであれば、それこそお笑い種だ。そんなにも外聞を気にするのであれば、表面上でもいいからもっと仲良くしたほうがいい。
フレイヤとイフェスティオ公爵がそんなやりとりをしている中、オデルたち……正しくはカロイの登場に、ひどく青ざめて恐怖に怯えたような、そんな一番滑稽な顔をしていたのはリラック子爵だ。
『何故』
声に出さずともそう顔にくっきりと刻まれているのを見て、フレイヤはにこりと微笑んだ。
「彼はカジノのオーナーであるカロイです。彼が、私が乗った馬車に細工をしたことを認めました」
「は、はい……わたしがリラック子爵に言われて、小公爵が乗る馬車に細工を施しました……」
カロイがぶるぶると怯え切った仔犬のように震えていることを不思議に思いながらも、フレイヤは話を続けた。
「そしてこのカジノは、ジェイムスが借金を作った理由なのですよ」
「それがどうし……」
口を挟もうとするイフェスティオ公爵に対し、フレイヤは鋭い視線を向ける。
「このカジノの真の運営者が、リラック子爵なのですよ」
「これが、その証拠だ」
そう言い、土地の契約書を広げて見せたのはオデルだった。
すると、リラック子爵が叫ぶ。
「な、なんでそんなものが……!」
「簡単だ。俺が賭け金を担保にして勝利をおさめ、カジノを買い上げたからだ。そんな俺が、表の運営者であるカロイからこれを引き継ぐのは当然だろう?」
「……というわけです。こんなにも証拠が出揃っている中、リラック子爵をこのままたかだか婚約者の身分を詐称した罪で拘束するのは……いささか、罪が軽いとは思いませんか?」
偽造と殺人未遂。
どちらの罪が重いかなど、分かりきっている。
その上、これらの証拠を集めこの場で提示したのはフレイヤだった。
これ以上にない、公爵としての資質。
彼女はそれを、一族の前で圧倒的なまでに見せつけたのである。
誰もが静まり返る中、最初に行動を起こしたのはラフィーネ伯爵だった。
パチパチパチ。
拍手の音が大広間に響き渡る。
「――素晴らしい。素晴らしい才能です、フレイヤ様……いえ、公爵閣下」
現当主を切り捨て、フレイヤを当主と認めることをはっきり示した発言に、イフェスティオ公爵がハッとした顔をする。
「ラフィーネ伯爵、貴様……!」
その声を掻き消すように、パチパチ、パチパチと拍手が増え、より大きくなっていった。
まるで、舞台上の演者を讃えるかのような万雷の拍手だ。
彼らの視線はフレイヤにそそがれている。
そしてフレイヤに対して感情的になり暴力を振るったこと、公爵家当主としての適性のなさ。それらは既にこの場にて明かされた。
これだけのものと親類たちの承認があれば、イフェスティオ公爵家当主の座をすげ替えることなど、容易だ。
(だから今まであんなにも、決して馬脚を現さないようになさっていたのにね)
自分の時代の終焉。
それを感じ取ったイフェスティオ公爵――否、父が、その場で崩れ落ちる。
自身の父親の惨めな姿を見たフレイヤは、苦虫を噛み潰したような心地になった。
しかし父はあろうことか、フラフラと立ち上がりフレイヤに近づいてくる。
「……お前は、お前は父親を引き摺り落とすというのか」
「……お父様」
「お前を……お前を! そのような娘に育てた覚えはないッ!」
「ご安心を。育てていただいた覚えはありません」
「なっ……」
「私をここまで育ててくださったのは、家庭教師と学園の先生方ですわ。お父様が私にしていたものは教育ではなく、支配です。……お父様の望む人形になれなくて、ごめんなさいね?」
そう微笑むと、父は腕を振り上げる。
オデルが前に出てこようとしたが、フレイヤはそれを片手で制した。
(オデル、貴方だって知ってるでしょ)
フレイヤは、学園内において万年二位だった。
しかしただ一つだけ、オデルよりも秀でていたものがある。
それは、淑女らしくないからと隠していたもの。
だけれど、オデルにだけは明かしていたもの。
武術だ。
――ダンッッ!
くるり。
素早く腕を掴んだフレイヤが父のことを背負い投げし、宙に浮いた彼を床に沈めたのは、ほんの一瞬だった。
ろくに受け身も取れないまま床に沈む。
咳き込む父を冷めた目で見下ろしながら、フレイヤはドレスの裾を払った。
「お父様。いささか、脆弱では?」
「ぐっ、は……っ。フレイヤ、……ど、どうしてこんな娘に……やはり、女はダメだったんだ……」
この期に及んでまだ女はダメだと言い続ける父に対し、フレイヤはぎりっと歯を食いしばる。
踏みつけてやりたい。
そんな気持ちをなんとか堪え、フレイヤは告げた。
「そんなにも息子が欲しかったのであれば、後妻を娶れば良かったのです。しかし母を愛していたという理由でそれをなさらず、当主としての責務を放棄したのは、お父様ご自身ですわよ?」
「ッ!」
幾度となく吐き出した罵倒を易々と返され、娘にここまでこき下ろされてもなお、父は娘を呪うのをやめない。
「……ハッ。そんな様子じゃ、婿など金輪際無理だな。ハハッ! そもそも、傷物の女をもらいたがる男などいなかったな!?」
自身の父親の惨めな姿を見て、フレイヤはため息を漏らす。
そして絶縁状を叩きつける気持ちで。
もうお前など父親ではない。それを伝えるつもりで。
敬語を外して言い放った。
「婿なんてもううんざり。独り身で生涯を終えて差し上げるわ」
吐き捨てるような言葉。
しかしそれに待ったをかけたのは父でも、孫をフレイヤの婿にしたがっているラフィーネ伯爵でもなく。
「――それは困るな」
オデル・スィエラ。
フレイヤの幼馴染であり協力者であり、スィエラ公爵家の跡取り息子、その人だった。




