3.父への懇願、婚約者への〝お願い〟
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第一関門――それは、父親に「身内だけの『婚約者お披露目パーティー』を開きたい」と説得することだった。
そしてこの作戦を成功させるために、フレイヤはプライドを捨てる。
「お父様、お願いいたします……! 私に、『婚約者お披露目パーティー』を主催させてくださいませんか……っ?」
父親の執務室に入って早々、フレイヤは膝をつき、そう懇願した。
突如そのような奇行をとった娘に、公爵は眉をひそめつつ口を開く。
「なぜそのようなことを希望するのだ、フレイヤ」
「それは……少しでも、以前のような評判を取り戻したいのです」
なるべく切実さが伝わるよう。そして惨めに見えるよう、フレイヤは涙を浮かべながら続ける。
「この度、私の不注意で、イフェスティオ家の家名に泥を塗ってしまいました。ですが……『お披露目パーティー』を私主催で行なえば、多少なりとも名誉を挽回できると思うのです」
「ハッ。その程度のことで挽回できるような失態ではないのに……」
まるでフレイヤがいけないとでもいうような言い方に、内心怒りが湧き起こった。
しかし彼女はそれを無理やり腹の底に沈め、取り繕う。
(怪我をしたことがいけないというのなら、怪我をするように仕向けた人間と、その事故の裏に思惑があったことにも気づかない人間のほうが、罪が重いと思いませんか? お父様)
そもそも、不慮の事故なのだとしたら、フレイヤがいくら気をつけていようが防ぎようのないことだ。それなのに娘の心配をするどころか叱りつけたところを見るに、父にとってフレイヤはいらない子どもであるらしい。
(お父様が見ていらっしゃるのはいつだって、今は亡きお母様だけ)
本当に馬鹿馬鹿しくなり、フレイヤは俯きながら内心嘲笑う。
しかしすぐに切り替えると、さらに頭を下げた。これ以上にないくらいの、隷属とほぼ同義の行動を。
「私が悪いことは分かっております。ですがどうか……どうか! 今一度、チャンスをいただけませんか……!」
娘のまるで命乞いでもするかのような態度で、損ねていた機嫌が治ったのか。それとも言葉が胸に響いたのか。どちらかは分からないが、公爵はフレイヤのやりたいことを認めてくれたらしい。
あからさまにため息を吐き出しながらも、「良いだろう」と告げた。
「婚約の件が片付いたことだし、イフェスティオ家の汚名を返上するためにも、お前がパーティーを主催するというのはありだな。身内だけだが、次期当主としてこれくらいのことができるという証明にもなる……」
そうブツブツと言い、公爵はフレイヤに顔を上げるよう言った。
「完璧ではなくなってしまったお前だが、知識や教養に関しては今までこれでもかと教え込んできた。その成果をここで見せなさい」
(お父様の仰る完璧とは、ご自身にとって都合の良い行動をする操り人形のことでしょう? ならばそのお人形はもうおりません)
だって、お父様が壊してしまいましたから。
そんな本音を呑み込み、フレイヤは頭を上げる。
「はい、お父様」
誰よりも美しく微笑み、フレイヤは部屋を後にしたのだった。
*
(ひとまず、これで舞台の用意はできそうね)
そう思いながら、フレイヤは屋敷の廊下を歩いていた。
なぜ敢えて身内だけの『婚約者お披露目パーティー』を開こうとしたのか。それは、プライドが高く親戚たちの目をこれでもかと気にする父の心を折るのと同時に、親戚たちにフレイヤの実力を見せつけるためだ。
(それに私の勘が正しければ、今回の事故にも分家筋の人間が絡んでいそうですし)
というよりも、フレイヤに怪我を負わせて得をする人間は、限られているのだ。
死ねば諸手をあげて歓迎し、自身の子どもを後継者に祭り上げる。
怪我をして傷痕が残ったのであれば、今回のように関係ない他人に美味しい話を聞かせることで巻き込み、傷心のフレイヤの心を奪いあたかも自分たちは関係ないふうに装って裏から公爵家を乗っ取る。
大方、計画はこの辺りだろうか。
(お父様よりもよっぽど、権謀術数に長けていらっしゃいますこと)
むしろ、ここまでくると父が小者すぎて哀れにさえ見えてきた。
それなのに公爵位にしがみつき、自身の子どもに爵位を継がせた上で権力だけは持ち続けたいと思っている。
そのために、フレイヤの人生そのものを操られるのなどごめんだ。
そう思いながら、フレイヤは私室には戻らず、婚約者に与えられた別邸に足を向けていた。
時刻は、ちょうど午後のお茶の時間頃。
オデルが屋敷を後にしてから、三、四時間ほど経った辺りである。
この時間であれば、彼もちょうど当主補佐の教育を終えていることだろう。
フレイヤの事故を喜ぶこの男にわざわざ顔を合わせに行くのは、第二関門をクリアするのに必要なことだからだ。
一応本邸に住むのは結婚した後から、それまでは別邸で補佐としての知識や役割を学ばせる。
父のそんな方針によって別邸に住んでいるのは、ウェーバー伯爵家次男・ジェイムスだった。
歳は二十一。フレイヤよりも三歳歳上だが、伴侶としては十二分に許容範囲内である。
柔らかそうな茶色の髪と同色の瞳を持つ男だ。
前までは人当たりも良さそうで優しそうだという印象だったが、今見るとパッとしない男だと思う。
父がジェイムスとの婚約を押し進めたのはフレイヤの怪我も理由だったが、調べたところ特にこれといった汚点が見つからなかったからだった。
しかしその調べがかなりいい加減であったことは、先日やってきてくれたオデルからの情報で知っていた。
(まさか、賭け事がお好きだなんてね)
しかもどうやら、カジノに借金もあるらしく、なかなか危ない筋を渡っていたようだ。
つまり父の調べがいい加減だったのではなく、父が調査するように命じたであろう、腹心であるリラック子爵がいい加減だったか。あるいは……。
そんなことを考えていると、ジェイムスの私室に到着する。
ノックをし声をかければ、中からバタバタと慌てたような音がした。
あからさまな男だ。
「フ、フレイヤっ?」
「ごきげんよう、ジェイムス。今お時間大丈夫かしら?」
「も、もちろん」
入ってはみたが、部屋自体は別段片付けられていないという感じではなかった。
それを考えると、おそらく例の魔導通信機でも仕舞っていたのだろう。さほど扉を開くのに時間はかかっていなかったから、寝室にでも置いてきたか。
そんなことを考えつつ、フレイヤは椅子に腰掛ける。
ジェイムスが、まるでこの屋敷の主人だとでも言わんばかりの態度で使用人に茶を淹れるよう指示を出していたが、それも含めて笑顔で流した。今はまだ、それを指摘するような時ではないからだ。
お茶の用意ができたところで、フレイヤは口を開く。
「今日、公爵様に『貴方との婚約発表パーティーを主催させて欲しい』と、頼んできたところだったの。分家筋の方々を呼んでのものだから、大々的ではないのだけれど」
「へ、へえ。そうなんだ」
「ええ。私がしっかりしていることを親戚の方々に見せれば、少しはイフェスティオ家の名誉を挽回できると思って……」
「うん、すごくいいと思う」
へらへらとした笑顔を見せたジェイムスに、フレイヤも笑みを返した。
「ジェイムスにもそう言ってもらえて嬉しいわ。それでなのだけれど」
「う、うん。何かな?」
「できればジェイムスにも、私を手伝っていただけたらと思って」
「え」
どうやら、予想外の提案だったのだろう。あからさまに挙動不審になるジェイムスを見て、少し愉快になる。
だがそれを悟られることがないように、少し落ち込んだ様子を見せつつも口を開いた。
「公爵様にはあんなことを言ったけれど、私、まだ不安で……ジェイムスもいてくださったら、きっと頑張れると思うの」
「う、うーん……ど、どうかなぁ……!」
「……だめ、かしら……?」
そう上目遣いで訊ねると、ジェイムスは首を思い切り横に振った。
「そ、そんなことはないよ! 僕はそのために、こうして別邸で学ばせてもらってるんだし!」
「本当!? 嬉しいわ、ありがとうジェイムス!」
「う、うん!」
(他愛のない男)
どうやらジェイムスは、頼み込まれたら断れないタイプの男らしい。
また色仕掛けにも弱そうだとフレイヤは思った。
その上借金もある。
叩けば叩くほど埃が出る絨毯のようだ。
やはり攻めるならこの男からだな、とフレイヤは改めて実感した。
しかしそんなことおくびも出さず、彼女は満面の笑みを浮かべる。
「パーティーまで残り一週間なの!」
「え゛」
「一緒に頑張りましょうね!」
思っていたよりもずっと期日が短いことを知り、顔を真っ青にするジェイムスに内心溜飲を下げながらも。
フレイヤは、オデルが上手くやってくれることを願ったのだった。