11.唯一勝てない〝あなた〟
*
全ての処理を終えた頃には、夜になっていた。
すぐにでもベッドに飛び込みたい気持ちでいっぱいだったが、今はそれよりも大事なことがある。
その一心で、フレイヤは疲れた体に鞭を打って別邸へ向かった。
胸の内側でぐるぐると回る熱を必死に堪えたまま、フレイヤはノックする。
「オデル。今いいかしら」
『……フレイヤ?』
少しして、扉が内側から開かれる。
そこには、シャツとズボンのみというかなりラフな格好をしたオデルがいた。
後処理を手伝ってくれたということと、オデルが頑なに帰らないと主張してきたこともあり、部屋を用意したのだ。
ジェイムスが使っていた部屋とは別の場所を用意させたが、やはり使用人の掃除が行き届いておらず、少し埃っぽい。
(明日から、使用人も総入れ替えしなければ……)
せめて、フレイヤが心を許して信頼できる使用人が、最低でも三人は欲しいところだ。専属侍女と侍女長、執事長……これらは、基本的に家の要だから。
そう思いながらも、フレイヤは中に踏み込んだ。
ぱたん。
扉が閉まったのを確認してから、フレイヤは防音と盗聴避けの魔術を張る。
「どうしたんだ、フレイヤ。そんなにも厳重に魔術を使って」
「……どうしたんだ、じゃないわ! どういうつもりなの、オデル!?」
開口一番、フレイヤは叫んだ。
今までこんなにも声を張り上げたことはないだろう。しかし今回はそれくらいしなければ、気持ちがおさまらなかったのだ。
「私は確かに協力して欲しいとは言ったけれど、貴方の未来を犠牲にしてまで私を助けてくれとは言ってないっ!」
「……フレイヤ」
「それとも、同情? 私が可哀想に見えた? もしそうなら……貴方にだけは、そう思われたくなかった……!」
自分でももう何を言っているのかよく分からない。だけれど、今まで堰き止めていたもの全てが口からこぼれ落ちていくのが分かる。
「……貴方に、相談するんじゃなかった」
「フレイヤ……」
「だって……私が弱かったせいで、たった一人の友人まで利用したんだもの」
ぽろりと。
目から涙がこぼれ落ちた。
一度噴き出したそれは止まることを知らず、ただフレイヤの頬を濡らし、伝い落ち、絨毯に染み込んでいく。
弱いせい。
臆病なせい。
そして――フレイヤが女だったせい。
女として生まれなければ、ここまで苦しむことはなかったのだろうか。
(自分の弱さが、嫌になる)
なんて惨めで哀れ。
そう思い、フレイヤが俯いたとき。
ぎゅうっと。力強く。しかし決して潰さないように優しく、抱き締められた。
「違う。違うんだ、フレイヤ」
「……オデ、ル……?」
「フレイヤのせいじゃない。そしてこれは、俺自身が決めて決断したことだ」
そう言い、オデルはフレイヤと視線が合うように、腰を低める。
「ただ、好きなんだ。フレイヤ」
「……え?」
「貴女のことが好きなんだ、フレイヤ。だから、独りにはしたくなかった」
全く予想していなかった答えに、フレイヤの頭が真っ白になる。
嘘だと、そう思おうとした。冗談だと。
しかし瞳の奥に見知らぬ熱を見つけ、言葉が紡げなくなってしまった。
「俺は昔から、フレイヤのことが好きだった。けど貴女のそばにいるには、後継者という立場が一番、都合が良かったんだ」
「そ、れは」
「ずるい男だろう? そうだ。貴女が思ってるほど、俺は誠実じゃない」
それがずるいというのであれば、自分の立場を天秤にかけてオデルへの求婚を受け入れたフレイヤも十二分にずるい。
そう思うのに、オデルの優しい眼差しを見ていると、胸がドキドキして何も考えられなくなる。
「だからフレイヤ。俺は貴女が俺を選んでくれて、嬉しいんだ。貴女のためなら、喜んでこの身を捧げよう。だから存分に利用してくれ」
「……オデルはそれでいいの?」
「いいとは言わないが、今まで我慢していたことをようやく叶えられたんだ。政略結婚だろうが、求婚を受け入れてもらっただけで天に昇るような気分さ。それに」
「……それに?」
「フレイヤがその気になるまで何度でもアプローチをすればいい。そうすれば相思相愛でハッピーエンドだ、だろう?」
そう言い、オデルはフレイヤの髪をするりと指に絡めた。
たったそれだけなのに、ひどくいけないことをされているような気持ちになって、フレイヤは顔を赤らめる。
それをどうにかしたくて、フレイヤは目を逸らしながら言う。
「……それでも、私は傷物よ。きっとこれを見れば貴方も後悔するわ」
「男にとっての傷は勲章なのに、女にとっての傷は恥なのはおかしいと思わないか? それに俺はフレイヤの見た目だけでなく、その意志の強さや努力を怠らない姿勢も含めて惚れたんだから、気にしない。それでも気にすると言うのであれば……」
そこまで言ってから、オデルはするりとフレイヤの首筋を指先で撫でた。
触れるか触れないかの接触だったのでそこまで刺激はなかったはずなのだが、びくりと体が震える。
「俺が、傷痕を完全に消す魔術を作る」
「……そんな、こと……」
「できる。してみせる」
それに、とオデルが少し怒った顔をした。
「俺はフレイヤの父が貴女を殴ったことに関しては、いまだに怒っているぞ」
「あ、あれは必要なことだったから……」
「知っている。だからこらえた」
そういえば、あの後すぐに治療してくれたな、ということをフレイヤはふと思い出した。
「フレイヤを傷つけるすべてから守ってあげたい。だけど貴女はそれでも前に出て戦うことを望むだろう? ならせめて、となりにいさせてくれ」
「オデル……」
「それでもなお食い下がるというのであれば、協力したことへの報酬ということにしてくれ」
一瞬、なんのことだか分からなかった。しかし気づく。
(そう言えば、最初に話を持ちかけたとき、報酬の話を濁された……)
「……もしかして貴方、最初からそのつもりでああ言ったの!?」
「もちろん」
「っ! ほ、ほんとう、ずるい人……!」
「知っている」
そう言ったものの、フレイヤの心中にあったわだかまりは、さっぱり綺麗に消えていた。
それに何より、オデルへの罪悪感や自分自身への怒りや無力さが消えた後に残ったのは、彼からの好意を純粋に喜んでいる自分で。
そこでフレイヤは、覚悟を決める。
(そうよ。どうせ過去の自分と決別するなら……欲しいものを何か一つでもこぼしてしまうんじゃなく、すべて貪欲に手に入れたい)
それで本当に立派な当主になれるのかな、と不安がる自分がいる。
そうだとしても、もう何も諦めたくないと思う自分もいる。
そして。
(もう私は、独りじゃない)
オデルが、そばに。一緒にいてくれるなら。
それが何より、フレイヤの背中を押してくれた。
「……報酬は、却下よ」
「え」
「本気で傷ついた顔しないでよ。話はまだ終わってないんだから」
まさかオデルがこんな顔をするなんて。
そう思い、なんだか自分だけの特権を見つけたような気がして、フレイヤは笑う。
「私も、オデルとずっと一緒にいたいわ。だから、報酬は別のにして」
「……今の言葉は本当か?」
「何よ、疑うの? そもそも、心を許してなかったらこんなにもベタベタ異性に体を触らせたりしないわよ。オデルだから許してるの。それに」
フレイヤは自身の手をオデルの手に絡めると、胸元に押しつけた。
彼が明らかに硬直するのが分かったが、今更やめられない。
「さっきから、オデルのせいでこんなにもドキドキしてるのよ。ならちゃんと、責任を取って」
そう。先ほどから、自分でもびっくりするくらい心臓が大きな音を立てているのだ。
顔も真っ赤だろうし、今まで何があろうと動揺することなく外面を取り繕わなければならない、なんていう淑女の仮面など最早見る影もない。
それを伝えれば、オデルが目を丸くして、そしてこれ以上ないくらい嬉しそうな顔をした。
「なら、報酬は別で」
「……なぁに。イフェスティオ家当主として、できることはするわ」
「フレイヤの人生を、俺にください」
「……バカ。今からあげようとしてるものを得ようとして、どうするのよ」
どちらからともなく視線を合わせ、そして吸い寄せられるように唇を重ねる。
その際にオデルの手が背中に回されたが、不思議と気にならなかった。
だってこの傷痕はもう、フレイヤにとっての恥ではない。
自身で生きたい人生を勝ち取った勲章なのだから――
これにて完結です!
誤字報告等ありがとうございます。
感想いただけると喜びます。
最後まで読んで面白かったよ、と思った方はよろしければ、下の☆をぽちぽちっと押していただけると嬉しいです。
最後までありがとうございました!