195話『もう1人の私』
松明の明かりが灯されるその建物の屋上はいわゆる時計台、と言っても地球で見るようなものとは違いあまりにも不格好であった。
よくある四角形の上の真ん中にドンとまた一回り小さな四角形…そう言えば分かりやすいだろうか、こういった時計台と言うものがあるのはそう多くないこの世界でシンハニルにあるのは安定した町になったという象徴とも言える。
空を見上げれば月が天を目指して動き出している奇妙な光景が見えガルはポケットに手を入れ懐中時計を触りながらほくそ笑む。
「…クックックッ…もう少しだ、もう少しで時は来る」
浸るように笑みを浮かべているが何処からか唸っている声が聞こえ笑みを消し視線を声がした方へと向ける、視線の先には手足を後ろに縛られ座らされ口を塞がれた三人の人間…ファル、ソーヤ、マモでありファルはまるで目で殺さんと言わんばかりに強く鋭く睨んでいた。
「ふん、おいそこの男を喋れるようにしてやりなさい」
「よろしいのですかガル様…騒がしいだけでは…」
「それで良い」
「…?分かりました」
吸血鬼の1人が疑問を浮かべながらもファルの口にしていた布を外すとファルは数度咳き込みガルを睨む。
「お前が親玉か…!」
「おお愚かな人間よ、何故そう無駄に感情を高ぶる?まるで…妻を殺されたように」
「…!」
突然妻と言われファルは言葉に詰まる、それは子供達には伝えてない事であり何故それを今ここで言うのか…と。
子を気にしているファルを見てガルは口角を上げファルに近づき髪を掴み石造りの床へと叩きつける。
「グッ!」
「ン―!ンー!」
ファルが苦しそうに呻き声を出すとソーヤが何かを叫びガルは更に床へ擦りつけるように押し付ける、吸血鬼と人間とでは力の差は分かり切っている事でありファルはされるがまま擦られ肌が少し裂け血が流れる。
そしてガルはしゃがみ込みゆっくりとファルの耳元に口を近づけ小声で囁くように喋り始める。
「クックックッ…私は少し特殊でね…人間の血は女と決めていているんだ」
「…ッ…」
「特に勇敢で愚かな者は大好物だ、あんな女は久しぶりに見たのでな…名は…確か
コテス…と言っていたな」
その名を聞いた瞬間ファルは目を開く、今…妻を血の一滴まで絞り吸い殺した吸血鬼がファルが抵抗するきっかけの吸血鬼が…目の前にいる。
「貴様がああああああああ!!!!!」
「ハハハハハッ!よく鳴くなぁ!コテスとかいう女も最後までよく喚いていたぞ!」
「殺してやる!殺してやるぞぉおおお!」
手足を縛られ動けないファルは血が滲む程に縛っている紐を引きちぎろうとするが頑丈な紐は無慈悲にもうんともすんとも言わない、そしてガルは近くで立っていた吸血鬼の男に合図すると吸血鬼の男は何かが乗った籠を持って来る。
傍に来た籠にガルは手を入れ布に巻かれた物体を取り出しファルの前に持って来る。
「銀のナイフに聖水…よくもまぁ用意したものだ、だが今ここで無駄になる」
そう言い聖水が入った瓶を取り出し屋上の外に向け放りなげ遠くから瓶が割れる音が聞こえる、そして銀のナイフも捨てようと振りかぶった瞬間…ガルの顔に歪むような笑みが浮かぶ。
「…まだ混沌が足りないか…ならば…」
「……まて、何を見てる…」
突然止まってブツブツ小言を呟くガルにファルは視線を上げ…ガルが見ている方向が分かり血の気が引いていく。
ガルが見ているのはソーヤとマモの方角だった。
「クックックッ…知っているか人間よ、ある選ばれた吸血鬼は血を与える事によって仲間を増やすことが出来る…おお!偶然にもそんな選ばれた者がここにいるじゃないか?そして…」
そう言いガルは立ち上がりソーヤとマモを見ながら一歩、踏み出す。
その瞬間ファルは全身を使い体を捻りガルとソーヤ達の間に入り青ざめた顔でガルを見上げる。
「や、やめてくれ…!この子達を巻き込まないでくれ…!」
「なーに、そう悪い事は無い…貴様の子は栄えある我が種族の一員になれるだけだ…悪い話ではあるまい?ただ…」
銀のナイフを布に包んだままファルの前にちらつかせニヤッと笑う。
「銀が弱点である我々は触れるだけで肌が爛れてしまう、だが…死にはしない」
「や…やめ…」
「そう、血を呑めば…な?」
「何故…何故そんな事を…!殺すならさっさと殺せば…!」
「それでは意味がないんだよ人間よ、喜べ子は生きるぞ?末永く…」
「やめろ…やめろぉぉおおおおおお!!!!」
ガルがやろうとしている事に気づいたファルは我が子を守るように覆いかぶさるが吸血鬼相手にそんな抵抗、意味すらない。
少し力を入れただけで砕け散ってしまう存在が夜の支配者に勝てる筈がない、泣き叫ぶファルを嘲笑うようにゆっくりと引き離すガル…そして父親に縋るソーヤとマモ…それを
それを虚ろな目でリサは見ていた。
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目を開けるとそこはむせかえる程の血の匂い、そして地面に広がる赤い液体…リサは驚き動こうとするが手足に冷たく硬い感触があり金属音が響く。
顔を動かすとそれは鎖でありリサの自由を奪っていた、よく見ると壁を背にしており引っ張ってみるが取れる気配はない…
「くそ…なんだここ…それに私は…私は確か…」
記憶が途切れ途切れになっている中でリサは頭を捻って思い出そうとし…ハッと思い出す。
「そうだ私ガルの野郎に…発作で捕まって」
シンハニルの町でガルと戦っていたのを思い出しリサは舌打ちをする、あと少しでガルに届く筈だった刃がここ最近の発作によって失敗に終わりそして目の前が真っ白になり…
「…捕まったのか?私は……クソ!おい誰かいねぇのか!おい!」
視界が暗くよく見えない、ただただ闇が広がる部屋でリサは叫ぶが応える声は聞こえてこない…
「…早く皆と合流しねぇと…てか生きてんだろうなあいつら……」
そんな呟きが部屋に小さく響き虚しさだけが残る、そして静かで何も出来ない中でふと不甲斐ない自分の事を考えてしまい歯を強く噛む。
「…私がこんなだから…もっと強ければガルの野郎に手間かけずに発作が出る前に抑えられたかもしれねぇってのに……」
ふつふつと湧き上がる足りない自分に半端な自分を考えてしまい良くない思考のサイクルが生まれてしまう、グルグルと回る思考の中で自身を見つめてしまいふとある事が頭に浮かぶ。
「…もし私が半吸血鬼じゃなくちゃんとした吸血鬼なら変わってたのかな…」
故郷を失いアユム達と旅や冒険をして半年とちょっと、リサは今までの自分を振り返る。
もし自分が半端者の吸血鬼ではなく純血の吸血鬼ならばどうなったのだろうかと、久しぶりに見た同胞の姿を見てしまったが故の思いついたもしも話…もし純血の吸血鬼ならばガル達を止めれただろうか?もし純血の吸血鬼ならば…
「『父さんを殺さずに済んだのかな』」
過ぎた事を呟いた時、その声に被さるように声が聞こえリサはハッと顔を上げる。
そして顔を左右に向け前を向いた瞬間…声の主は立っていた。
その姿はやつれているのか服の隙間から見える手足はやせ細り、頬はコケてその目に光は無い…その立っているのがやっとな声の主の姿は見るに堪えない『自分』であった。
「な…」
『驚いた…?もう1人の私』
「もう1人…?何言ってんだてめぇ、てか…誰だ!ガルの野郎は…アユムは!」
『…もう自分でも分かってる筈だよ、もう半分は繋がってるから』
「……わかんねぇよ」
鎖を強く引っ張るがビクともしない、そもそもこんな鎖は本来すぐにでも壊せる筈である…内心リサは気づいていた。
ここは現実ではない、昼寝をしていた時に見た夢と似た場所だと…そして目の前にいる『自分』を。
『私は私、貴方も私…本来起こり得ない交わる筈の私達…』
「………随分姿変わったな」
『血を呑んであの場所でカールによって無理やり血が交わったから姿が貴方に引っ張られてるの…人間の体はどう?私』
「…サイコーだぜ?吸血鬼の私」
目の前にいるのは紛れもない自分…リサであり『人間』と『吸血鬼』の自分であった。
リサは舌打ちをし鎖を引っ張るがやはり音が鳴るだけであり目の前の自分を睨む。
「外せ」
『無理だよ、その鎖はカールが縛ってる鎖…もう貴方は私と交わって…貴方は貴方ではなくなる…私でももう止められない。』
「チッ!…それじゃあ私はもう大人しくお前に意識が乗っ取られるのを待っとくしかねぇと」
『それは違う…本来の私達に戻るだけ…吸血鬼としての』
「…気に食わねぇな、私はしばらくこのままでも良かったんだがな」
『…それは出来ない、元々私達の体は限界だったから…貴方も良く分かってるでしょう?』
「……」
『あのままでいてもいずれ私が貴方を飲み込んで…貴方の大切な人達を襲ってた…これは遅かれ早かれ…』
「全部言うな、聞きたくねぇ」
リサはただの半吸血鬼…ではなく人間と吸血鬼の間に生まれた子供、いつか血が強い吸血鬼へ染まる運命であった。
そう、これは逃れられない決められた結果である…リサは人間の自分が消え本当の意味で吸血鬼になるのだと思い乾いた笑いが出る。
くしくも、もしもが現実になるのである…
「…すまねぇな、先に父さんのとこ行ってくるわ」
『…いいの?』
「あ?」
『あの人間の人達に何か…大切な人達なんでしょ?』
「……………はぁ…考えさせるなよ…」
諦めに近い感情で遠くを見ていたリサの脳裏にアユム達との旅の日々が浮かんでくる、ヒストルとスズランの初依頼…王都での勇者達、四魔獣を討伐した冒険者と開拓者達、湿地地帯のリザードマン達、町の怪我人を必死に治療していたサヨとアユムを守ったヒスイ、まだ未熟だった自分を導いてくれたカンミール達、異物と呼ばれる魔道具に操られた父親を止める為に戦ってくれたアミーラとダガリオと……そして……
「…嫌だな…アユムに会えなくなるのは…」
『………』
突然襲ったリサを殺さず、血を分け助けてくれたアユム…集落の人間以外で始めて会った人間で父親を解放してくれた人間。
リサの中でアユムは父親と並んで大切な人であった、だがリサの体が吸血鬼の血に染まれば人間のリサはもうアユムに会う事はないだろう。
ただそれだけが心残りでリサはふと自分の頬に流れる涙に気づき歯を食いしばる、もう何を言っても遅い…目の前にいるのが本来の自分で自分は…
突然激しい頭痛が走る、かなりの痛みに鎖の為手を使えないが両手で頭を抑えたぐらいであった…目の前を見ると吸血鬼の自分も同じなようで両手が自由なため頭を抱えていた。
「な、何が…」
起きたのかと聞こうとしたが頭の中にある映像が流れて来る、何処かの建物の屋上だろうか?視界は長い髪によって視界が悪いが何かを見ている視点だ…そしてその視界の先にあるものが映る。
「な……何で」
『……怒り、悲しみ、恐怖…カールが言ってた…混沌の力で『覚醒』するって』
「混沌…?覚醒…?……そんな事はどうだっていい!おい私」
身体を前に出すが鎖が邪魔で途中で止まるがリサは構わず目の前に自分を力強く、そして硬い意思で自身を見つめる。
「頼みがある」
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人間を吸血鬼に出来るのはそう多くはない、方法自体は簡単で吸血鬼の血を人間の体内に流し込み人間の血を吸血鬼の血で狩りつくし細胞を破壊しそっくりそのまま作り替えるだけであるが特別な血を持つ物でないと不可能。
別な方法として人間と子供を作る方法があるが人間の体が耐えきれず子も死ぬリスクが高い、ガルは特別な血を持つ吸血鬼…ソーヤとマモに血を流し込み吸血鬼にするのは容易なことだった。
「な…!」
容易な筈…だった、ガルの手はソーヤ達に届かず力強く手を掴まれることで妨げられる。
ガルの手を掴んだのはリサ…であった、その目は霞んでいるが目の奥にある強い意志が強くガルを睨みつける。
「少しだけでいい、どうにかして私を表に出せないか?」
『…出来なくはない、けど…消えるのが早まるだけだよ』
「いいんだよ、早かれ遅かれ結果が同じなら私は…
子供を守ろうとする父親を見捨てれねぇよ」
体は思うようには動かない、だが最低限動けはする。
「ば、馬鹿な…何故…クソ…!やはりまだ十分ではないのか…!」
「覚悟しやがれガル、地獄の縁から舞い戻ってやったぞ…!」
夜が…加速する。