ぬいぐるみの王様 ~ド真面目宰相の任命の儀に、「朕はまだ姑娘(くーにゃん)達と呑みたい」と酔っ払いながら嫌々入り、暴言を吐いた王様はクマのぬいぐるみに変えられました~
むかしむかし、中国に紹という国がありました。紹の若い王様は毎夜、若い女と酒を呑み遊び、政を一切行いませんでした。そのため、紹の国は、税高く領民は苦しみ、異民族に襲われ、田畑や街は荒廃し、国土は荒れ果てていました。
そのことを田杜という将軍は嘆いていました。真面目で正義感の強い彼は、貧しく苦しんでいる領民を見て、この国を立て直そうとします。そして、領民やこの国を憂う王の家臣たちの信任を得て出世していきました。
田杜は齢38となり、髪に僅かに白髪があるものの、引き締まった身体と精悍な顔つきをしており、その眼光は鋭く、その眼つきと意志の固さから『紹国の狼』と言われていました。
また、自分にも他人にも厳しく、熱心に国を良くしようとするその姿勢は、周りから尊敬されつつも恐れられていました。そして、何度も何度も工作を行い、味方を増やし、ついに宰相の地位にまで上り詰めました。
今日はその任命の儀が行われる日になります。田杜は、19歳になったばかりの息子、田邦と数人の部下達を引き連れ、王の間に参上しました。
任命の儀が行われる王の間には、国の重鎮やその家族、後宮の女官達など、総勢100人ほどがいました。田杜達は玉座の正面に、他の者達は玉座から見て右側に四列に並んでいました。
玉座の裏から声が聞こえてきます。
「今日はなんなんじゃ~。朕は、まだ、姑娘達と、呑み終わってないぞ〜」
その後は、側仕えの家来の諫める声が聞こえます。
千鳥足の王様が玉座の後ろから王の間に入ってきました。
――ガタンッ
「いってぇー、床の色が階段にみえた」
王様は、こけてしまい、玉座で手を擦りむいたようです。王様が入る時、既に手を組んで拱手し、礼をしていた田杜は、その声を聞き、下を向いたまま苦虫を噛み潰したような顔をします。
「田杜かぁ。また面倒臭い奴が来たよのう」
(父上の栄えある宰相の任命の儀とは知らないのか、どこまで父上を愚弄するのだ)
怒りに満ちた息子の顔を見た田杜は、落ち着くよう目で合図を送ります。
王様は玉座にだるそうに座ります。そして、閉じた扇で、だらんと田杜を指し、
「田杜よぉ〜、お前が年内に隠居するって本当か〜?」
「いえ、そういう話は聞いておりません」
「それ本当なのか〜」
王様の側仕えの者が耐え切れず玉座に向かうと、黒い頭巾に黒装束の恰好をした者たちが数人現れ、玉座の周りを大きな黒い布で覆います。
周囲はざわつきます。
しばらくすると、玉座の布の覆いが取り除かれました。
すると、その玉座には、小柄で白い、『クマのぬいぐるみ』が鎮座していました。
王の間にいた者達は、酔っ払った王様の代わりに『クマのぬいぐるみ』が玉座に鎮座していることに唖然とします。
(父上の反対派か。任命の儀を中止するつもりなのか。今まで甘い汁を吸い、国を衰退たらしめたにも拘わらず、まだ吸い足りぬというのか。国のために尽力した父上をここまで宰相にしたくないのか。クソッ、父上、私は我慢なりませぬ)
そう思った田邦は、父、田杜を見ます。田杜は、拱手し頭を下げたまま、上目づかいで、その鋭い眼光を玉座のぬいぐるみに向けていました。
(さすが、父上。このような状況になってもまったく動じませぬな)
その場の誰もがどうしてよいのかわからず、しばらく、沈黙が続きます。
「田杜、そなたの働き、大儀であった! 朕はうれしいぞ! はっ、ありがたきお言葉」
沈黙を破ったのは田杜でした。田杜は続けます。
「田杜、国のために尽力したそなたの凛々しい顔が近くでみたい。もっと、ちこう寄れ。はっ」
田杜は一歩前に出ます。
「もっと、ちこうじゃ。はっ」
田杜は遠慮気味に玉座に近づきます。
「なにを遠慮しておる。はっ。しかし、私のような平民出のものが紹王様に近づくなど恐れ多いものでございます。構わぬ。上がれ、上がれ。そなたは朕の宝じゃ。そのような身に余るお言葉を。田杜、感極まっております。それではお言葉に甘え」
そう言うと、田杜は玉座に近づき、ぬいぐるみの手の届く位置で、膝をつき拱手します。
そこにいる誰もが状況を飲み込めず、田杜を止めるものはいませんでした。
「田杜、手を出してみろ。はっ」
田杜は、玉座に手を伸ばし、ぬいぐるみを手に取ります。そのぬいぐるみは背中から手が入るものでした。田杜は、右手をぬいぐるみの中にいれ、指をぬいぐるみの左腕・頭・右腕に通します。そして、ぬいぐるみはその丸い両手で田杜の左手を掴み、その手を見ます。
「これは働き者の手だ。皆の者、田杜を見習え。まさに宰相に相応しい男。はっ、紹王様、お褒めにあずかり光栄です」
田杜は、振り返り、皆の方を向きます。
「これより、田杜の宰相への任命の儀を執り行う」
田杜は、頬をすこし染めていました。
(父上、顔が少し赤い。やはり恥ずかしいのか。いや、父上、ここまでの言上、お見事。尊敬に値しますぞ)
田邦と田杜の部下たちは、拱手し頭を下げます。
田杜の頬の赤さに、田派の最大対立派閥の長である蔣元が我に返り、異議を唱えます。
「田杜殿、こんな馬鹿げた小芝居が通じると思うのか。単なるクマのぬいぐるみではないか。田杜殿、気でも触れたのか」
田杜は玉座の裏に行き、王様がこけたときに付いた血を剥ぎ取り、ぬいぐるみの中に入れます。
「無礼者! 朕は正統なる王の血を持つものぞ。朕の血を侮辱するか!」
ぬいぐるみは、右腕で蔣元を指しながら、田杜と一緒に、玉座から見て右側に並んでいた蔣元の目の前に行きます。
「それはぬいぐるみだ。しかも人ですらない。熊だ」
「蔣元殿、前王のご幼名をお忘れか! 熊様であらさられるぞ」
ぬいぐるみは顔をグリグリと蔣元の顔の目の前に近づけ、お互い暫く睨み合います。
「紹王様、蔣元は紹王様を王だと思ってないようですが、如何いたしましょうか。田杜、仕方ない。朕に任せよ」
ぬいぐるみは、右腕をパっと上げ、かなり甲高い裏声で
「やあ、蔣元、僕はクマの紹王だクッマー。信じるクッマー」
と言いました。
――ブホッ
蔣元は、日頃怖い顔をしている田杜から発せられたその甲高い裏声に思わず吹いてしまいました。
「蔣元、お前、紹王様を笑うとは、最高の侮辱であるぞ。これは死罪に値する。この者をひっ捕らえ、死罪にしろ!」
兵士達が出てきてました。そして、蔣元は両腕を兵士達に掴まれ、外に連れ出されそうになります。
「待ってクマー。死刑はやりすぎクマー。国外追放で許すクマー」
ぬいぐるみは、裏声で言います。
「紹王様、なんて慈悲深きお言葉。その御心の広さに、田杜、深く感服いたしまする。蔣元、命拾いしたな。こいつを連れていけ!」
蔣元は暴れながらも、口を塞がれ連れていかれます。
田杜は、ぬいぐるみを顔の右横に持っていき、ぬいぐるみの顔を家臣が並んでいる方に向けました。そして、蔣元の隣の家臣の前に行き、ぬいぐるみの顔を彼の顔の前に持っていきました。彼は田派でした。
「朕は紹王に間違いないな」
ぬいぐるみは普通の声で言いました。
「はい。仰せのとおりでございます。決して単なるクマのぬいぐるみではございませぬ」
田杜は、次の家臣に移ります。次は、気難しい蔣派の重臣でした。
「朕は紹王に間違いないな」
ぬいぐるみはまた普通の声で言いました。
「ふざけるな! こんな茶番が許されるわけないだろうが!」
彼はぬいぐるみを田杜から奪おうとしますが、避けられ、失敗し、兵士達に抑えられます。
「お前の反応は予想通りだ。朕は紹王である。連れていけ! 国外追放にしろ!」
彼は抵抗むなしく、兵士達に連れていかれました。
王の間にいた者たちは気付きます。ぬいぐるみを紹王と言わなければ、国外追放されることを。
(父上、これで反対派を炙り出すのですな。まさに、鹿を指して馬と為す。さすがです、父上)
田杜は、次々と同じ質問を繰り返し、派閥問わず家臣たちはぬいぐるみを紹王と言います。
そして、次は、齢20半ばほどの、体躯が立派な家臣がいました。彼は蔣元の息子の蔣遠でした。
「朕は紹王で間違いであるな」
「いいえ」
蔣遠は、田杜の引っ掛けに、引っ掛からずに答えます。
「ほんとかクマー? 間違いだって言ってもいいんだクッマー」
ぬいぐるみは裏声で話しましたが、蔣遠は微動だにせず、むしろ憐みの目をして「紹王様です」と答えます。
(父上、敢えて蔣遠にぶつけてきたのはわかりますが、二度目は滑っておりますぞ)
その後もぬいぐるみは裏声で話しますが、蔣遠を笑わすことに失敗し、諦め、次の家臣に向かいます。
田杜は、ときどき裏声を出したりして、1列目と2列目の家臣たちを尋問しましたが、国外追放されたのは結局2名だけでした。田杜は、天を仰ぎます。
(父上、そのお気持ち、わかりますぞ。もっと笑える芸を用意しておくべきでしたな)
3列目には家臣の家族達がいました。田杜は、子供達には訊かず、家臣の妻たちに尋ねます。蔣遠の妻の前にきました。蔣遠と同様裏声で笑わせようとしますが、妻も同様に笑いません。
田杜は、ほれ、ほれと、ぬいぐるみを妻の顔に押し付けますが、妻は無反応です。
次に、ぬいぐるみは、両手で顔を隠します。そして、
「いないいない、ベアー」
蔣遠の妻が抱っこしていた生後半年の蔣遠の息子が、きゃははははと笑いました。
「お許しください。大人にはまったく面白くないですが、乳児にこれは酷です。どうかお許しを」
妻は、必死になって嘆願します。
「この蔣遠からも、何卒、お願いつかまつる」
蔣遠が田杜の方を向き、続けます。
「父が税を過剰徴収し、国庫から金をくすね、私腹を肥やしてきたことは知っている。私も家族、そして、この国を愛しているのだ。父を国外追放したことは私は気にしていない。死罪にされなかっただけましだ。しかし、息子は何もしていない。どうか息子だけは……」
蔣遠は拱手し、必死に懇願します。
田杜は、ぬいぐるみを乳児の顔の前に持っていきます。
「赤子は〜」
ぬいぐるみは、右腕を後ろに折り曲げ、引きます。
「笑って〜」
そして、斜め上に突き出し、
「いいともー」
そう言って、田杜は次の家族に移りました。
「ありがとうございます。見逃していただき、本当にありがとうございます」
涙ながら、妻はお礼をいいます。
蔣遠は、跪き、深々と丁寧に拱手し、田杜に忠誠を誓いました。
(さすが父上、いとも簡単に敵をも仲間に引き入れるとは)
次の家族の5歳の娘がぬいぐるみを指します。
「あれ、ぬいぐるみだよね」
慌ててその母親は否定します。
「違います! あのお方はぬいぐるみではありません。愚か者にはぬいぐるみに見えるのです。あのお方は紹王様です!」
「でもー」
田杜は子供の前に行きます。
「子供、朕のことをなんと言った?」
「クマさんのぬいぐるみー」
「そうだ、朕はクマのぬいぐるみだ。そなたは愚か者ではないぞ。そして、朕は紹王だ」
「クマさんのぬいぐるみが王様ー。すごーい」
「おお、よくわかるな」
「だって、世界一怖い母上が言うこと聞くもん」
「ははは、そうだ、王様はクマさんのぬいぐるみだ。ただ、人を『あれ』と言ってはいけないぞ」
「ごめんなさい、王様」
「よし、よし、よくわかっているではないか、この子は。問題ないぞ」
ぬいぐるみは女の子の頭を撫で、次の家族に進みました。
そして、家族の脱落者はいませんでした。
最後の列は女官たちです。田杜は、王様に遊びを教えた女官達を苦々しく思っていました。田杜は、女官達の列を進む前に、
「朕はクマである。そして、朕はセミである」
そう言って、ぬいぐるみで左腕の上腕を掴み、クマのぬいぐるみが恰も田杜の左腕の上腕にとまったかのように見せます。
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー」
(父上、その鳴き声はクマゼミと似ても似つかぬものですぞ)
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー」
田杜は、ゆっくりと女官達の前を歩き、その表情を一人一人じっくりと確認します。
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー」
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー」
そして、一人の女官の前で止まりました。彼女は「一緒に飲みましょうよ〜、王様〜」と言って頻繁に王様を誘い、遊びを率先して教えた者でした。
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー」
田杜は、彼女の方を向きます。
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー」
「ぶうぅん」
クマのぬいぐるみが彼女の左腕の上腕部に移ります。
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー」
彼女は必死に田杜に目を合わせないようにしますが、一方、田杜は必死に目を合わせようとします。
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー」
とうとう彼女は田杜に目を合わせてしまいました。
蛇に睨まれた蛙のように彼女は目を外すことができません。
「くまくまベーーア」
田杜は鳴き声を変えます。
「くまくまベーア、くまくまベーア、くまくまベーア、くまくまベーア」
「くまくまベーア、くまくまベーア、くまくまベーア、くまくまベーア」
田杜のその言い方はだんだん早くなります。
「くまくまベア、くまくまベア、くまくまベア、くまくまベア」
「くまくまベア、くまくまベア、くまくまベア、くまくまビー」
「くまくまビア、くまくまビア、くまくまビア、くまくまビア」
「くまくまビア、くまくまビア、くまくまビア、くまくまビア」
「くまくまくまくまくまくまくまくま、くまくまくまくまくまくまくまくま」
「くまくまくまくまくまくまくまくま、くまくまくまくまくまくまくまくま」
「くまくまくまくまくまくまくまくま、くまくまくまくまくまくまくまくま」
――フゥッフィッ
とうとう、女官はその必死な田杜の言い方に堪えきれず噴き出してしまいました。
兵士達が出てきて、その女官の両腕を掴みます。
「お、お許しください。フフゥッ、何卒、お願いします。フッ、決して紹王様を笑ったわけではありません。フヘゥッ、ど、どうか命だけは、お助けを」
女官は笑いを堪えながら必死にお願いします。
田杜は、ぬいぐるみを女官の顔の前に近づけます。
笑いをなんとか収めた女官は目に涙を溜めながら、
「ぜひ、お慈悲を。私にも笑っていいともを」
と懇願します。
ぬいぐるみは、女官の目を見ます。
そして、ぬいぐるみは、勢いよく両腕を交差し、×(バツ)を作った瞬間、
――バシンッ
「いたっ」
女官は兵士に棒でお尻を叩かれ、のけぞります。
「お前は、笑っては、いけない」
そして、兵士達は女官の腕を離して退いていきました。
「ありがとうございます。尻叩きだけで許していただき、ありがとうございます。もう王様を遊びに誘ったりいたしません。本当にありがとうございましたー!」
田杜は、彼女の真剣な表情を見て、頷きました。そして、再びぬいぐるみが田杜の左上腕にとまります。
「くーーまくまくまくまくー、くーーまくまくまくまくー……」
田杜は、一通り歩き終わりました。女官達の中にも追放者はいませんでした。
田杜は、再び玉座の前に移動します。そして、ぬいぐるみの顔を自らに向け、
「田杜! はっ! 本日より、田杜、そなたを宰相に任命する!」
そう言うと、黒装束をした者が、宰相任命の巻物をぬいぐるみに渡します。ぬいぐるみは両手で巻物を受け取り、
「田杜、そなたは素晴らしい能力を持っておる。そなたのその能力を遺憾なく発揮し、活躍することを期待しておるぞ」
ぬいぐるみは巻物を田杜の左手に渡そうとします。田杜は、左手だけで拱手と同じ礼をして受け取ります。
「はっ。その言葉、ありがたき幸せ。この田杜、命を懸けて、紹王様、国、そして、領民をお守りいたしまするっ」
田杜は田邦に目配せし、彼に巻物を受け取ってもらいます。そして、振り返り、右手に填めているぬいぐるみを高々と上げます。
「これにて、宰相の任命の儀を終わりとする。皆のもの、ご苦労であった。帰って良いぞ」
そう言うと、田杜はぬいぐるみを外し、玉座に鎮座させました。そして、当初の自分の位置に戻り、拱手し、ぬいぐるみに向かって深々と礼をします。王の間の者達もそれに合わせて深い礼をしました。
それから、しばらく、時間が経ちました。しかし、誰一人として王の間から出ません。
田杜は少し苛ついた様子で玉座に行き、再びぬいぐるみを右手に填めました。そして、ぬいぐるみを皆に向けます。
「なぜ帰らぬのだ。帰って良いのだぞ。何か朕の決定に不満でもあるのか」
「父上」
田邦がそう言うと、田杜は睨み付けます。
「いえ、紹王様、まず一番位の高い紹王様が最初に出ていかなければなりませぬ」
田杜はバツの悪そうな表情をした後、
「……朕は田杜と話がしたい。田杜とその部下達以外は先に退出して良いぞ。これは王命である」
田杜や部下達以外は王の間から退出していきました。
自分達以外が出て行き、気が緩んだ田邦は、田杜に話しかけます。
「父上」
「ん?」
田杜も、緊張の糸が緩んだのか、気の抜けた返事をします。
「いささか自分の事を誉めすぎではないでしょうか」
部下達もウンウンと頷きます。
「なんだと!?」
田杜は、怒気を含んだ声を出します。そして、ぬいぐるみの頭が填っている人差し指で田邦を指します。
「田邦よ、お前、紹王様に意見するつもりか」
(父上、子供の頃、父上から『人を指で指すのは失礼だ』と注意されましたが、『人を王様で指すのは失礼』なのではないのでしょうか?)
「そもそも、田邦、お前は紹王様を認めていないだろう。紹王様を『父上』と呼び掛けたりして」
(父上、父上以外、本当に認めている人はいるのでしょうか?)
「紹王様はこの国を背負っていかれる方だぞ」
(父上、家に帰ってもこれに付き合うのはキツいです)
「父上、今、我々以外、誰もいませんよ」
部下達もウンウンと頷きます。
そして、田邦は、田杜に近づき、ぬいぐるみを外そうとします。
「無礼者!!」
田杜はぬいぐるみを胸に抱えて田邦から守ろうとします。
「紹王様は今後この国の行方を左右する方だ。敬意を払え! 紹王様、愚息と部下達が大変失礼をいたしました。紹王様、ここは威厳を示すためにも、愚息と部下達に罰を!」
クマのぬいぐるみは、勢いよく両腕を交差し、×(バツ)を作ります。
その瞬間、王の間の出口から、棒を持った兵士達が出てきます。そして、お尻を叩こうと瞬間、
「待て」
ぬいぐるみは右手を前に出して止めろと言う合図を出します。
「お尻を叩くのは痛みを伴うだけで不毛である。紹王様、確かにそうですな。さすが、紹王様、視野がお広い。田杜、朕は常日頃、家臣や民には健康で幸せな生活を送ってほしいと願っておる。そういえば、この前、田邦達は、仕事が多く、運動不足と申しておいたな。田邦達には身体を柔らかくするための『引き伸ばし』の罰を申し立てる。せいぜい、血行を良くすることだな。紹王様、なんて部下思いな方なのでしょうか。この田杜、感動しております。それでは、兵士達、田邦達の『引き伸ばし』を補助しろ」
兵士達は田邦達の前屈運動を補助します。
「イタタタタッ」
「常日頃から鍛錬していないからそうなる。朕の身体の柔らかさを見ろ」
ぬいぐるみの王様はその身体の柔らかさを前屈運動で見せつけますが、田邦はそれを無視し、
「父上、痛気持ちよくて結構いいですよ」
と言います。田杜はぬいぐるみの顔を自分に向け、
「紹王様、息子の罪はこの私の責任でもあります。ぜひ、私、田杜にも×(バツ)を。さすがだな、田杜。他人にも厳しいが、自らにも厳しい。田杜は公平な目を持っておる。それでこそ、名宰相となりうる資質である。それに応えねばならないな。それでは」
ぬいぐるみは、×(バッテン)の合図をします。
田杜は『引き伸ばし』を兵士達にさせられます。初老に近い田杜にはキツく、大きな痛みが襲います。『引き伸ばし』が終わっても、その痛みが収まるまで、田杜は、しばらく動けず、じっと堪えていました。
動けるようになると、なんとかぬいぐるみを田邦と部下達に向けます。
「本日は帰って良いぞ。朕はこのまま残る」
と言い、田杜は痛みを堪えながらぬいぐるみを右手から外し、玉座に鎮座させます。
王の間を出る時、田杜は息子に声をかけます。
「邦よ」
「はい、父上。なんでしょうか」
「我らは過去に類を見ない史上最高の名君に仕えることになるかも知れんな。末恐ろしい……」
そう言って、田杜は王の間の出口で玉座のぬいぐるみに向かい、拱手し深々と礼をしました。
(はい、そうですね、父上)
**
田杜の宰相就任後、遊び呆けていた前の王様や蔣元達は隣国の別荘に追放され、ぬいぐるみの王様が政を行うことになりました。そして、ぬいぐるみの王様に治められた紹の国は、農業、産業、技術が発達し、国が富み、平和で豊かな時代が続きました。とさ。