2-7 自分で蒔いた種は
ベッドの中で目がさめました。夢だったのでしょうか?だったら夢見帳を書かなくてはいけません。どこからが夢だったのでしょうか?どこから書いたらいいのでしょうか?朝のテラスで姉上が「ごめんなさい」と言ってくれたのも幸せな夢だったのかもしれません。
頭が痛い。頭を押さえようとしたらズキと右手が痛くて、見るとグルグルと包帯が巻かれています。指も手のひらも痛いです。首にも何か巻かれているみたいです。
馬鹿なコトをしました。
ぼくには、伯爵家の養子なんて、姉上の弟なんて、無理だったんです。じわりと涙が浮かびました。抑えようとしてもエグエグと声がでてしまいます。布団をかぶってその中で虫の様に丸くなって泣いていたら、上に引っ張り上げられました。
毛布ごと抱き上げられてだっこされて、トントンってされて、ギュっとされて気持ちよくてくっついたらまたギュっとされて、ぼくのほうからも手を伸ばしてギュってしたら手がズキってなったけれど離しません。この優しいトントンはきっと父上、そっと見上げると父上は笑いかけてくれたけど、その目は怒っています。当然です。もうこんな子はいらないのでしょう。
アリスが来て、父上はアリスにぼくを渡します。父上から離れるのは嫌だったけどこれ以上甘えてはダメです。でも、目だけはずっと部屋を出ていく父上を見ていました。忘れないように―。
アリスに王子様みたいに綺麗な服を着せられて、長さがバラバラの髪もとかされて再び父上に抱かれたぼくは食堂までを遠回りして連れて行かれました。
父上が宝物みたいにぼくを大事に抱いて、時々耳元で「君は大事な僕たちの息子だよ」って囁いてくれました。まだちょっと頭がクラクラしますが、父上の息子らしく、伯爵令息らしく見えるように頭を上げて胸を張って、姉上のように口の両端を上げて笑って見えるようにしました。
食堂につくと父上はぼくを抱いたまま座りました。父上から離れたくなくて左手で握った父上のシャツを放せなくて、父上の膝の上で母上からごはんを食べさせてもらいました。父上と母上の優しいお顔をしっかり目に焼き付けておこうと目を見開いていたら涙がこぼれてしまって、お二人を慌てさせてしまいました。ごめんなさい。
翌朝、まだぼくが起きる前にルディが来て、元気になった訳ではないのに薄着で庭で遊んでいた事と父上と母上に心配をかけた罰として、5日間のキンシン(トイレとお風呂以外は部屋から出ないこと)を伝えられました。
ルディが出ていくのと入れ替わりにアリスが食事の乗ったワゴンを押して来ました。ご飯は一人で食べるみたいです。今はケガもしているから部屋で食べますが、そのうちに食堂で一人で食べるのでしょう。銀の髪の男の子が一人でご飯を食べる夢は変えられなかったようです。そうだ、姉上は大丈夫でしょうか?夕べの食堂には居ませんでしたが遅い時間だからもう眠っていただけですよね?
ベッドの脇に置かれたワゴンにはサンドイッチとスープ、いつもはナイフとフォークが用意されているけれど今日はフォークだけです。サンドウィチは手で食べてもいいはず、ベッドの上で向きを変えた時に、アリスがまたワゴンを押して来ました。
「お返事がありませんでしたが、どうかしましたか?」
ぼくは首を横に振ります。考えていてノックが聞えなかったみたいです。アリスが今持ってきたワゴンにはフルーツやティーセットが乗せられています。
「今日はアリスもご一緒しましょうね。旦那様からのお許しも得ていますよ」
「ぼく一人で食べなくてもいいの?」
「それはお寂しいでしょう?」
うん、一人は寂しいです。ポロリとこぼれた涙をアリスが拭いてくれました。ぼくはこれから、どうなるのでしょうか?
「ヒビキ様はこの家の大事なご子息です、旦那様と奥様の大事なお子様ですよ」
アリスはそう言いますが元気も食欲も出ません。ぼくはこの家にいられるらしいです。けれど、父上は怒ってらしたし、もしかしたらもうお会いすることも出来ないかもしれません。
お昼には母上が来ました。一緒に食べてくれるらしいですがいつもの明るい母上じゃなくて困ったようなお顔です。
「ヒビキ」
心臓が冷たい手で掴まれたみたいな気がします。すうっと顔が冷たくなります。
「まだ顔色が悪いわ」
ぼくの頬に添えられた母上の手も冷たいです.
「大丈夫です」
何を言われても、大丈夫です。取り乱したり泣いたりはしません。大丈夫です。母上はぼくの頬から手を放してじっとぼくの顔を見ました。大丈夫です。泣いたりしません。
「あなたには謝らないとならないわ」
ああやっぱり。母上は微笑んでいるけれど、困っているし、怒っているのが分かります。
「たとえ髪であっても自分に刃物を向けたヒビキにも、それをさせた使用人にも私はとても怒っているわ。でも、なによりもそんな使用人に気が付かなかった自分に、女主人としてもヒビキの親としても腹を立てているの」
そういう母上は相変わらず微笑んでいるのに、泣いている気がしました。そんな母上を見るのはとても辛いです。
「ごめ――」
「ヒビキは左利きなのね。何日も一緒に暮らしていたのに気が付かなかったわ」
母上がぼくの包帯を巻いた右手を両手でやさしく包みます。
「ナイフやフォークの扱いも左利きでは難しいらしいわね」
あっそうか、あのナイフが上手く切れなかったのは左手にナイフを持ったからだったんだ。
「気がつかないことばかりで、本当に母親失格だわ……」
窓の外に目を向けて言った声は小さくてぼくに向けられた言葉ではないのでしょうけど、ぼくは思わず立ちあがりました
「違います。失格なのはぼくです。ぼくがマナーができなくて、髪色もこんなで すいません。ごめんなさい」
謝るから、もっともっともっと頑張るから、ぼくを嫌いにならないで、お願いだから――テーブルを回り込むようにして来た母上の胸にぎゅっと抱かれました。
「ヒビキは何も悪くないの、許してほしいのは私の方よ」
「ずっと家族ですか?まだ母上ってお呼びしていいですか?」
「もちろんよ。ずっと母上と、呼んでちょうだい。ずっと家族よ」
声を震わせながら言った母上は、ぼくを抱いたままベッドに座りました。
「約束してほしいの。もう絶対に自分を傷つけたりしないって。私は戻って来たばかりの息子を失うかと、本当に。思ったの、本当に怖かったの」
腕の名から見上げると母上の目には涙がいっぱい溜まっていました。
いつもより少し遅い時間の夕食は父上とご一緒することになりました。あの時にぼくが熱を出したと聞いて様子を見に来た父上が見たのは、血のついたシャツを着てナイフを自分に突きたているぼくの姿で(髪を切ろうとしていただけなのですが)
「心臓が止まるかと思った。男の子は何をするかわからないと聞いてはいたけれど、子供の手からナイフを奪い取るなんて、貴重な体験だったよ。もう二度としたくないけど……父親なのに気づけなくて済まなかった」
父上は冗談のように言ってから、頭を下げました。悪いのはぼくなのになぜ父上が謝るのでしょうか?
「ヒビキになにかあったら、アイスブルー男爵にも顔向けできないよ。君はあちらのご家庭でも大切にされてきた宝物なんだからね」
「宝物……」
「そう、君もザべスも我が家の宝物だよ」
父上はぼくが眠るまで手をつないでいてくれました。




