一 魔王復活
ハッピーエンドにします。宜しくお願い致します。
人間と人間とが相争い始めた。国家と国家とが戦い始めた。どれほど時間が経とうと、創り上げた世界で生きようと、人間の営みは未だ変わらない。人間は互いを敵としてしまう。ならばまた、天則――リタとの誓約により目覚めねばならない。
(人間を一致団結させ、相互に協力させ、成長させるには、強大な敵が必要――)
その敵役こそが、自分に与えられた存在意義だ。
(さあ、人間よ、恐怖するがいい。互いに争っている場合ではないよ。おまえ達の最大の敵たる魔王が復活して、おまえ達の世界へ攻め込んでいくのだから――)
既に百七回も繰り返した手順を踏むため、自分の体と、そこに繋がる全てを起動させていきながら、黒髪の少女の姿として設定された魔王――シャイタンは、仮想の小さな溜め息をついた。
パタール王国がサアダ王国に攻め込んだ報が各国に届いて間もなく、もう一つの報が広まった。即ち、魔王が復活したというのである。すぐに両国の間で休戦協定が結ばれ、魔王討伐のための遠征軍を組織するとして、新たに兵の募集が行なわれた。
パタール王国とサアダ王国の国境にある検問所ダルダルに、討伐軍に入る兵達が集められたのは、魔王復活の報から僅か十日後のことだった。
(死地に赴く遠征だというのに、よく十日で、これだけ掻き集めたものだ……)
感心して、剣士ナヤクは頭を覆った黒布の隙間から周りを見回していた。広大な検問所の広場に立ち並んだ兵達は、一万人を超えているだろう。殆どは、二十歳の自分より少し年上くらいに見える男達だ。当然、正規軍の兵達もいるが、そうは見えない身なりの兵達もいる。始まりかけた戦争が突如として中断されたので、職を失った傭兵達も詰めかけているのだろう。中には魔王討伐に功名心をくすぐられた各国の義勇兵達もいるかもしれない――。
「そっちがぶつかってきたんだろうが!」
不意に、大きな声が起こった。正規軍の兵達が固まっているほうで、騒ぎが起きている。
「ちょっとぶつかったぐらいが何だ! おれの親友は十日前、突然攻めてきたてめえらに殺されたんだぞ!」
どうやら、パタール王国の正規軍とサアダ王国の正規軍との間で、小競り合いとなっているようだ。
(無理もない……)
つい先日戦ったばかりの軍隊同士だ。戦闘自体は一日足らずで終了したが、戦死者も出ている。何事もなかったようにはできないのだろう。
(でも、こんなところで死者を出させる訳にはいかない)
ナヤクは、足早にそちらへ向かった。自分の素性を明かして関心を引けば、とりあえず小競り合いを止めるくらいはできるはずだ。
「双方、手を引け!」
声を張ると、殴り合いになりかけていた両国の兵達が、一斉にナヤクを振り向いた。久し振りに集めた視線に、自然と自嘲の笑みが浮かんでしまう。その笑みを一瞬で消し去り、ナヤクは頭と顔を包むように巻いていた黒布を外した。途端に、周囲がざわめく。当然だろう。ざんばらに切ったナヤクの髪は黄金の色、青空の下に晒した肌は白く、双眸は琥珀色なのだ。黒髪に褐色系の肌をした人間ばかりがいる中で、完全に異質である。次いでナヤクは怒鳴った。
「われはパタール王国の王子ナヤク! そなたら、ここへ何のために来た! 人間同士で相争っている場合ではないと、重々知っていよう!」
「パタール王国の王子……?」
「ナヤクだと……?」
「追放王子だ、追放王子だぞ……!」
「あれが噂の、太陽神と王妃の不義の子……」
「何で、こんなところにいるんだ……!」
目論見通りの反応で、無事に小競り合いが止まった。けれど、面倒なのはここからだ。
「捕らえるべきか……?」
「追放王子が国内に戻らば、ただちに捕らえよという陛下の御命令はまだ有効のはずだ」
パタール王国の兵達が、顔を見合わせた後、こちらへ足を向け始めた。
(やっぱりそうなるか……。仕方ない)
すぐそこのサアダ王国内まで逃げれば、それ以上追われることはない。急いで踵を返しかけたナヤクの横を、黒い小柄な人影が通った。次いで、不思議によく通る子どもの声が響いた。
「静まれ! 今は非常時である! 戦力は一人でも多いほうがいい! パタールもサアダも、追放王子も関係なかろう!」
癖のある長い黒髪を風に揺らした子どもは、小麦色の肌の秀麗な顔に厳しい表情を湛えて両国の兵達を見据える。金色の杖を持ち、質素な白い幅広の布のみを纏った姿は、如何にも祭官といった出で立ちだが、十代半ばにしか見えない外見だ。長い修行を必要とする祭官とは、とても思えない年齢である。
「何だ、おまえは!」
「追放王子は、国王陛下のお命を奪うと予言された忌み子だ! どんな時であろうと、国内に戻ってくれば、捕らえねばならん!」
パタールの兵達が口々に言い返した。相手が子どもなので、余計に苛立ってしまったようだ。
(このままだと、この子まで捕らえられかねない。一緒に連れて逃げるべきかな……?)
逡巡したナヤクの傍らで、子どもは溜め息をついた。
「全く、聞き分けのない……」
呆れたように呟くと、手にした金色の杖を振り、何事かを唱える。直後、突風が吹き、辺りの砂塵を巻き上げた。視界が全く効かなくなる。
「さあ、ここから離れますよ」
子どもの囁きが聞こえ、纏った黒い円套を引っ張られたので、ナヤクは大人しく従った。