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雨のち陽キャ  作者: Shinsemia
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第一話


「でさー。あのドラマの結末がほんっとうに微妙なんだよねー」

「……」



 昼休みの時間。僕はコンビニで買ってきたサンドイッチを食べながら、楽しそうに話す三上さんのことを見ていた。外から差し込む日差しはそこそこに暑いけれど、彼女はあまり気にしていない。

 陽光が彼女の髪を照らす。窓から吹く温い風に乗って、艶やかな髪からフローラルな香りが鼻をくすぐる。シャンプーかコンディショナーか香水か。ひょっとしたら、全部かもしれない。



「……三上さん。食べなくていいの?」

「え? ……って、うわ。もうそろそろ昼休み終わっちゃうじゃんっ」



 そう言ってパクパクと、急ぎながらも行儀よくお弁当を食べる三上さん。

 タオルを貸した先週から、彼女は何故か僕の席にちょくちょく来るようになった。初めは貸したタオルを返すために来たのかと思ったけど、その後も普通に雑談を始めたので僕は驚いた。



「むぐ……そういやさ。天木って勉強は得意?」



 唐突に三上さんが訊いてきた。小首を傾げながら問う彼女はどこかあざとくも見えて、僕はその裏にある真意を読み取りかねていた。僕は成績はかなり良い方だ。試験でもいつも学年で5位以内には入っている。


 ……ああ、そういうことか。僕はやっと、彼女の言いたいことが分かった。



「……数学の課題ですか? 構いませんよ」



 僕は机の引き出しから彼女に数学のノートを差し出した。おそらく三上さんは、明日提出の数学の課題に手こずっているのだろう。だから課題を写したいのだ。

 僕がそう考えて彼女にノートを差し出すと、彼女は何故かきょとん、としながら僕の差し出したノートを見ていた。



「どしたん? いきなり」

「え……ノートを見せろってことじゃないんですか?」

「違うよー! ……まあ、確かに見せてほしい気持ちはあるけど」



 ちょんちょんと、指と指をぶつける三上さん。



「それじゃあ。どういう意味だったんですか?」

「……? どういう意味も何も、訊いてみただけだよ。私、天木のこと全然知らないからさ」

「……」



 ……そうだったのか。僕はてっきり、別の意味だと捉えていた。中学校の頃は日常茶飯事だったから。



「へー、天木って勉強得意なんだぁ」

「……得意と言うか、それしかすることがないですから」

「じゃあ、趣味は特にないの?」

「ない、ですね……」

「ふぅん……家族は? ってか、天木の下の名前って何だっけ?」

「……両親と、妹がひとりいます。あと、下の名前は優希(ゆうき)ですけど……」



 三上さんは何が面白いのか、ニコニコとしながら話しかけてくる。どういうつもりなのだろう。


 疑問を感じながら彼女の質問を捌いていると、丁度チャイムが鳴った。



「あっ、授業始まっちゃうね。そいじゃ、またね!」



 彼女は弁当箱を片付けると、足早に自分の席へと戻って行った。


 ……まるで、嵐みたいな時間だった。僕にとって昼休みは無言でご飯を食べて、余った時間で次の授業の予習や課題をする時間だったから。でも、三上さんと話をする時間は不思議と嫌いじゃなかった。


 クラスメイトが怖かった。罵倒されるのが怖かった。無視されるのが怖かった。それなのに、僕は三上さんが怖くはなかった。普段の学校生活の中で、彼女の性格をある程度知っているからだろうか。話したことは全くなかったけれど、彼女が友達と楽し気に会話しているところや、分け隔てのない態度で接することは僕みたいな人でも分かる。


 日常生活に訪れたちょっとした変化。僕はたぶん、それに期待していたのだ。




 ……




 ……




 放課後になった。昨日とは打って変わって晴れの天気が、校舎を出た僕を迎える。燦々と照りつける太陽の光が眩しくて、僕は手を顔に掲げた。額に汗が滲むのが分かる。そろそろクーラーでもつけたい気温だ。歩き慣れた道は退屈そのもので、ただ歩く時間に悠久の時を錯覚する。延々と続く灰色の地面は、何も変化がない。俯いて、下ばかり見て。それで何かが変わるわけではない。



 僕は久しぶりに、思い切って顔を上げてみた。



「あ……」



 夕方も近い時間には、同じように下校する他の学生。近くには飲食店や喫茶店など、様々な店が立ち並ぶ。いつも登下校のときに通る街の景色を、僕はきっと久しぶりに見た。空を見れば、前髪越しに太陽の強烈な光が差し込んでくる。うだるような暑さ。早くどこかで涼みたいものだ。


 久しぶりに伸ばした背に違和感を抱きながら、カバンを肩に掛けなおした。



「──でさー。ここの美容院が結構イイ感じなんだよねー」



 向かいから歩いてきた女子高生三人組が、はしゃぎながらとある方向を指さす。僕も自然と、そちらの方に目を向けた。そこにあったのは、小綺麗な建物。ガラス張りだから中の様子が見える。いくつもの座椅子が規則正しく並んでいて、そこに座る人は、ヘアカットをする美容師さんとにこやかに談笑しているようだった。


 ……美容院、か。ガラスに映るのは前髪も後ろ髪もだいぶ長くなった自分の姿。お世辞にも格好がいいとは言えない。ファッションにも気をつかわない僕にとって、髪型なんて何でもよかった。視界を狭めることができるなら。


 ……。




『──あんた、結構綺麗な顔してたんだね。私、知らなかったよ!』




 髪、切ってみようかな。ふと、そんなことを考えた自分が卑しく思える。久しぶりに話したクラスメイトに感化された自分が、舞い上がっているように思えたから。


 ……僕は、変われるだろうか。あの日、三上さんと初めて話をしたとき、僕は久しぶりに輝く空を見た気がした。それまではずっと灰色のアスファルトを眺めるだけだった。それがあの日は、光り輝く青空へと変わっていた。

 だらだらと昔のことを引きずる現状がいけないことだって分かってる。このままでいたくない。



「……」




 僕は、そっとドアを開いた。




         ☆─────☆




「……結構、ばっさり切られちゃったな」



 心なしか頭が軽く感じる。もっさりとした髪はある程度梳いてもらって、すっきりした髪型になっていた。目を隠していた前髪もそこそこの長さに切って横に流した。店員さんの厚意でワックスもつけてもらって、鏡を見たときには自分の顔を久しぶりにはっきりと見た気がした。


 美容院を出ると、温い風が吹いてきた。夏の匂いを纏った温い風は、この季節の風物詩。これからやってくる真夏の兆しだった。行き交う人々は、買い物帰りの主婦や高校生が散見される。


 広い視界から見渡せる世界。

 僕が自分から閉ざしていた世界だった。



「……」



 友達と帰っているのであろう、高校生のグループを見ながら思う。彼らは会話して仲良くなって、友情を育んでいる。それはきっと正しい距離の縮め方で、人によってはとても簡単な方法なのだろう。

 僕はどうだろう。今ではない昔の僕は、どうやって友達をつくっていたのだろう。そもそも、友達をつくるなんて意識をしていただろうか。




 ──さっちゃん、遊ぼ! 


 ──まってよー、ゆうくん! 




「っ……」



 ズキッと、胸が痛んだ。別になんてことはない、大したことのない昔の記憶。だけど、何かもが輝いて見えたあの頃。もう、あの日には戻れない。


 大好きだった友達。変わらないと思っていた関係。別に彼女が悪いわけじゃない。ただ、僕が弱かっただけだ。勉強やテストなんかと違って、人と人との関係に解答なんてない。ちゃんと考えて、適切な距離をとって、心地よい関係を築く。それができなかったのは、僕が不器用だったからだ。


 しかめそうになる顔と痛む胸を抑えつけ、再び歩き出した。



「……あ」



 人通りも落ち着いてきた場所。閑静と言えなくもない静かな通りで、中学生の女の子を見かけた。それも、男子高校生2人に囲まれて。ぼーっと遠くから眺めていると、女の子の方は困ったような表情をしてるのが見えた。

 ナンパなのかな、と思ったけど、高校生2人組の方は別に強引に話を進めているような感じはしない。こういう言い方が正しいのかは分からないけれど。ただ、女の子の方は委縮してるようで声も出せないみたいだった。周りには、人がいない。でも、別にほっといても問題ないはずだ。そんな危険そうな雰囲気はないし、大騒ぎするようなことでもないだろう。



「……」



 ──ふいに、彼女の姿に昔の僕が重なった。通り過ぎようと進む足が止まってしまう。


 クラスメイトが怖くて声も出せなかった。じっと俯いて時が経つのを待つだけだった。自分の力ではどうすることもできないと諦めて、僕は流れに身を任せるだけ。それがどれほど惨めでつらい時間か、僕は知っているつもりだった。


 気づけば僕は、今通り過ぎようとした道を引き返していた。




「……あの、すみません。僕の妹に何か用ですか……?」

「え?」




 嘘を交えて声をかけると、ぱっと顔を上げた女の子。そして、男子高校生からも向けられる視線。


 ──ドクン。



「あ……」



 体が強張る。上手く言葉が出ない。


 怖い。向けられる目が、怖い。ガチガチと歯と歯がぶつかりそうになるくらい怖い。黒い瞳は無機質なようにも見えて、僕は体を貫く視線に身を刺されるような思いだった。


 ……僕はいったい、何をやっているのだろう。彼ら彼女らの瞳に映る僕の姿は、やっぱり何も変わっていなかった。たかが髪を切ったくらいで、何かが変わった気になって。僕は正真正銘のバカだった。



「あ、あの……すみません! 私、兄とこれから出かける用があるので──」



 ただ、少しは助けになったみたいで。名も知らない女の子は、男子2人組に丁寧に頭を下げた。すると、彼らは特に気分を害した様子もなく笑って去って行った。



 ──ドクン。



 体が動かない。思考が止まる。ちょっと勇気を出してみただけでこれだ。いや、それは勇気にすらなっていない、ただの思い上がりだった。



 ……?



 トントン、と。肩を叩かれた。小さな手だった。



「あの! 助かりました、ありがとうございます! ちょっと、どう断ればいいか迷ってて……」



 漆黒の髪がなびく彼女は、確かにナンパされてもおかしくないくらいに可愛かった。ただ、僕はそれどころじゃなかった。呼吸が荒くなる。胸が苦しい。だから僕は、彼女の目から逃れるように背を向けた。



「……いえ。それじゃあ、僕はこれで」

「あ、お名前──」



 僕は走り出した。


 バクバクと、心臓がうるさい。走り出したせいじゃない。手の震え、ガチガチと歯と歯がぶつかる音。怖い。僕は怖い。

 こんなことで何かが変わるとでも思ったのか? たかが髪を切ったくらいで、世界は変わるわけじゃない。もっと長い時間をかけて、きちんと努力しないと変われるわけがない。それなのに僕は……。



「はぁ……はぁ……」



 走る。ただ走る。


 覚束ない脚はいつしか悲鳴を上げ始めていた。だけど、何かに駆り立てられるように、僕はただ走った。ありもしない幻惑に脅かされて、勝手に被害妄想を生み出して。


 僕がそうなってしまったのには確かに原因がある。だけど、その過去の経験に負けたままふさぎ込んでいるのは他でもない僕自身。変わりたいと思っても、それを貫き通せずこうして逃げ出してしまう。



「っ……はぁ、はぁ……」



 しばらく走ったところで、住宅街に接するブロック塀に背を預け、荒く呼吸をする。

 ガタガタと震える脚。ぶるぶると震える手。結局何も変わっていない。


 ……はは。本当、無様だ。


 夏の気温で吹き出した汗が、額を伝って滴り落ちる。


 僕はしばらくの間、そこから動くことができなかった。




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