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雨のち陽キャ  作者: Shinsemia
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プロローグ


 人が怖くなることなんて、きっとこの世界で生きる上で当たり前のように起こることだ。その理由は千差万別。例えば、強面で険しい顔をしながら怒鳴る学校の先生とか、街を歩くとたまに見かける粗暴な様相の人とか。


 あるいは、イジメとか。



「……」



 僕はゆっくりと席を立って、カバンを肩に掛けた。男子にしては身長が低めの僕は、クラスでまだおしゃべりをする人の合間を縫うようにして教室を出る。高校生となった今は、中学と比べれば快適だ。露骨に無視されることはないし、足を引っかけられることもない。



「あ……」



 出口に向かう最中。ふと、()()と視線が合った。ストレートの長い金髪がトレードマークの彼女は、幼い頃はショートカットだったけど、時が経つにつれてどんどん伸ばすようになった。ぱっちりとした大きな目は勝気に吊り上がっていて、綺麗で可愛い顔立ちの彼女は、クラスの男子から人気がある。

 性格は割と強気な方……だったと、思う。というのも、ここ最近は全く話をしていないから。家は向かいにあるから登校するときにばったり会うこともあるけど、いつも彼女はフイと顔を背けてしまう。当然会話なんてできていない。話をしなくなった理由も、傍から見たら笑ってしまえるようなくだらないものだ。


 そんなことを考えていると、ドン、と。後ろから誰かと体がぶつかった。



「……っと、ワリぃ」



 振り返れば、僕よりも10cm以上背の高い男子のクラスメイト。確かバスケ部に所属している人だ。かなりルックスが良くて、女の子にモテるというのは有名だ。彼は小さくそう言って申し訳なさそうな顔をすると、スポーツバッグを肩に掛けて急いで駆けだして行った。おそらく急いでいたのだろう。


 教室を出て、昇降口に向かう。さっきの彼みたいに部活に向かう生徒や、帰りにどこに寄るか話し合う仲良しグループを横目に、階段を降りる。薄暗い階段の踊り場を抜ければ、あっという間に昇降口に着いた。




 靴に履き替えて外に出る。むわっとした空気に僕は息が詰まった。ジメジメとした気温と湿度が煩わしくて、僕は少しげんなりした。梅雨ももう明けて夏も本番のはずだけど、相変わらずしつこい。


 ときどき視界の端に映る電信柱の数を、歩きながら数える。学校が終わった解放感はそこにはなくて、僕はただ安堵していた。誰からも悪意を向けられることがなかったから。それは世間では当たり前のこととされているけれど、きっと限りなく幸せに近いことだ。

 伏せていた顔を少し上げれば、道はいつしか川の土手沿いに差し掛かっていた。長い道だ。川のせせらぎを聴きながら、近くに生える草木の匂いを吸い込みながら、ただ歩く。



「あ……」



 ぽつぽつと。雨が降ってきたことに気づいた。いつも下を見てばかりの僕は、地面に落ちたその水滴を見るまで、今にも泣き出しそうな天気に気づかなかった。

 そういえば、前に髪を切ったのっていつだっけ。前髪がちょっと鬱陶しくなってきたかもしれない。髪の隙間から見える空の色はどんよりとしていて、地上に陰をもたらす。雨はどんどん強くなっていって、今にも土砂降りへと変わっていきそうだ。


 困ったな。傘がないや。


 こうなると、学校に向かう前に天気予報を確認してなかった自分が恨めしく思える。川の近くを歩いているから、雨音がひどくうるさい。

 辺りを見渡して、すぐに雨宿りできそうな場所を探す。すると、橋が見つかった。その下の土手は、一先ずの雨宿りの場所としては上等だろう。

 僕は特に走るでもなく、のんびりと歩く。どうせ走ったところで転ぶだけだし、雨という自然には人の力で抗うことなどできない。だから別に、走らなくていい。



「……ふう」



 薄暗い橋の下に着いた。モノクロのように色褪せた世界が、そこにはある。

 ザーザーと降り頻る雨。僕はカバンからタオルを取り出して、濡れた制服と髪を拭いた。そうこうしている内に、雨音はますます強くなる。しばらく止みそうにない。



「……」



 上の方からキャーキャーと複数人の女子の話し声が聴こえる。この雨だ。気持ちは分からないでもない。でも、その声音にはあまり嫌そうな感じはない。それどころか、この状況を楽しんですらいるようだった。仲の良い友達なのだろう。


 ……友達、か。


 久しぶりに思い浮かべた言葉だった。ずっと昔の、今はもう無くなってしまった関係。



「……?」



 顔を上げた。

 はぁ、はぁと、息を切らす女の子の声が聴こえる。バシャバシャと、息を切らしながら雨の中を走る音。その音は、僕のいる場所へとどんどん近づいて来ていた。音の聴こえる方へ顔を向ければ、そこには人の姿があった。



「っ……あー。びしょびしょー」



 最悪なんだけどー、と愚痴る彼女は、制服のスカートの裾をぎゅっと絞って水気を払っていた。暗くて良く見えないけれど、健康的な太ももがちらちらと見える。僕は彼女に見覚えがあった。同じクラスの女の子。


 名前は確か、三上涼子(みかみりょうこ)


 ロングの明るい茶髪が特徴で、毛先はちょっとウェーブがかってる。彼女はクラスでは結構な人気者。整った顔立ちと長いまつ毛は美人と評するにふさわしいものだ。胸元は軽くはだけていて、ちょっとだけギャルっぽくも見えるけど、全然下品な感じはしない。さっぱりとした性格は男女問わず人気で、友達も多い。


 そんな彼女がしばらくして、僕に気づいた。

 目が合った。数秒の沈黙が流れる。彼女は僕の顔を見ながら、呆然と口を開けた。



「……って、うわぁ!」



 彼女は驚きにたたらを踏んで後ずさった。確かに、こんな薄暗いところで人に会ったら驚きもするだろう。

 今は夏だ。ちょっとした怪談にも向いてるかもしれない。なんて自嘲を籠めて僕は軽く笑った。



「って、あれ? もしかしてあんた……同じクラスの?」

「……そうです。天木(あまぎ)です」



 どうやら向こうも気づいたみたいだ。ちょっと意外だった。僕は陰が薄い……というよりも、誰も友達がいないから。何をするにも独りの僕は、クラスの中では空気みたいなものだと思ってた。だから顔すら覚えられていないと思ってた。



「あんたも雨宿り?」



 僕は頷いた。彼女の言う通り僕は雨宿りしている。あんたも、ということは彼女もそうなのだろう。



「ほんと最悪だよねー。傘持ってくれば良かったー」



 彼女はシャツの袖をぎゅっと絞って水を飛ばす。生ぬるい気温とじめじめとした湿度が肌にまとわりつく。

 僕は正直戸惑った。彼女の言葉が独りごとなのか僕にむけられたコミュニケーションなのか、よく分からなかったから。けれど、クラスでの彼女は誰とでも分け隔てなく話してるように見えるし、もしかしたら後者かもしれない。



「……これ、よかったら」

「え?」



 僕は予備に持ってきていたもう一枚のタオルを彼女に差し出す。対する彼女は、きょとんと眼を丸くしながら僕の顔とタオルを交互に見やる。



「あ……使ってないやつなので大丈夫ですよ」



 勘違いされないように訂正しておく。ひょっとしたら、僕が使ったものと思われてるかもしれない。人が使ったタオルを使うなんて嫌だろう。そう思って念押しに、新品ですと付け加えた。



「……」

「……あの……?」



 一向に受け取らない彼女。僕はちょっと怖くなった。

 どういう風に拒絶されるのか。どんな罵声を浴びせられるのか。恐怖に怯える毎日を、僕はずっと経験してきたはずだった。それなのに僕は今、彼女にタオルを差し出している。


 ……何やってるんだろう、僕は。


 思考に埋没しそうになる中、ぷ、と小さく吹き出す声。僕は一気に現実に引き戻された。



「あはは……!」

「……?」



 彼女は何故か笑った。おかしそうにお腹に手を当てながら、カラカラと笑った。



「はー、笑った笑った。そんなこと全然気にしてないのに」



 彼女は僕の差し出したタオルを、そっと受け取った。そして、雨に濡れた髪を拭き始めた。



「ありがとね」

「あ……いえ」



 礼を言われて、僕はふと思う。こんな風に同世代の子と話をするのはいつぶりだろう、と。日直やら委員会やらの事務的な話ではない、純粋な他愛もない会話。僕は久しくそれを経験していなかった。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、彼女は何故か唐突にタオルに顔を押し当て始めた。



「……?」

「このタオル、いい匂いするね」

「……ただの柔軟剤の香りですよ」



 とはいえ、かく言う僕もこの柔軟剤の香りは結構好きな方だ。花の甘い香りにも似た心地よさは、ひどく安心するものだった。

 彼女を見れば、薄暗い中にも穏やかな表情をしているのが見えた。濡れた髪に濡れたシャツ。滴り落ちる雫が妙に色っぽい。そしてシャツの下には、うっすらと透けて見える桃色の下着。


 僕は顔が熱くなるのを感じた。彼女は黙り込んだ僕を見て首を傾げていたけど、僕の視線に気づいたのか、あ……と小さく声をあげた。


 頬がだんだんと赤らむ。タオルでばっと胸元を隠すと彼女は甘く睨むように僕に抗議の目を向ける。



「……見た?」

「……ごめん」



 不可抗力だけど、僕はそう言うことしかできない。でも、彼女はそれ以上咎めることはなかった。



「……」

「……」



 気まずい時間が流れる。心なしか、雨音は弱くなってきているように思えた。おそらくにわか雨だったのだろう。夏にはよくあることだ。気まぐれに降って、気まぐれに止んで。それで僕たちがどんな苦労をしようが知ったことではないのだ。

 でも、それは仕方ないこと。だって、どうしようもないことだから。自分の力では、どうすることも。


 なんとなく昔を思い出した。友達だと思っていた人から向けられる無邪気で残酷な目。そしてあからさまな冷たい目。いくつもの目が、僕を陰から覗き込む。話し声には純然な悪意が籠められていて、僕は恐怖に怯えていた。



「……ーぃ」



 きっかけはなんてことはない。あの子が僕を省き始めたのがきっかけだった。その日まではそんなことなかったのに、僕は混乱して頭が真っ白になったのを覚えている。放課後になれば毎日のように一緒に遊んでいた小学校のあの頃。それが、中学に上がって全く変わってしまった。



「……ぉーい」



 それから僕は、誰かと接することが怖くなって……。




「おーい!」

「え……」




 ──世界が広がった。




 視界を隠していた僕の前髪は、いつの間にかその姿を消していた。俯いてばかりで、周りを見ることを恐れていた僕の世界。


 地面や床ばかり見ていた僕の目に映るのは、晴れ渡っていた青空だった。




「もう、晴れてるよ?」

「あ……」




 薄暗くて見えなかった彼女の顔。空に輝く太陽の光を受ける彼女の顔は、僕が思っていたよりもずっと綺麗だった。



「……なんで、髪?」

「んー? だってあんた、ずーっと俯いてるんだもん」



 髪サラッサラねー、あんた、と言いながら僕の前髪を上げる彼女。整った顔がすぐ近くに来て、僕はまた顔が熱くなるのを感じた。

 僕は彼女の手から離れるように後ろに後ずさった。それに対して、ちょっと面白くなさそうに唇を尖らせた彼女は、まぁいいや、と言って橋の下から出た。


 ぐっと伸びをした彼女の髪は、夏の兆しを彷彿とさせる太陽の光を受けて、きらきらと輝いていた。


 光が差し込む。橋の下に隠れてる僕の元にも、少しずつ。




「──あんた、結構綺麗な顔してたんだね。私、知らなかったよ!」




 彼女はこちらに振り向くと、ニコッと笑った。

 これが、僕と彼女との出会いだった。




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