日曜日の夜、王様が公園に落ちている
「余としては、やるべきことはやったと考えている」
コンビニで買ってきたホットスナックを渡すと、お腹がすいていたという王様はとてもお上品に串に刺さったカラアゲを召し上がった。私はお上品なからあげの食べ方ってどんなものだろうかと、想像してよくわからないが、とにかく、王様の食べ方というものはお上品だった。
王様というのは大変なんですね、と私が相槌を打つと「貴殿のおーえるというのも大変であろう」と労ってくださった。ふわりと王様が笑うと、深夜なのに暖かい日が差し込むようだった。
王様はなんとか、なんとか、なんとか、なん世とか。そういう、長くて御大層な、ありがたい名前なのだという。陛下、とか、呼んだ方がいいのかと最初に聞いたら、王様は首を振った。何か名前を適当に区切ってもいいかとも聞いたが、それにも首を振った。王様、と呼ぶと返事をした。ので、王様と呼んでる。王様は明日死刑になるそうだ。
背は私より高い。いかにもな外国人。金の髪に青い目。肌は白くて、痩せている。王様は王様だったのに、粗末な麻の服を着ていた。それでも私が王様が王様だと信じて呼んでいるのは、その佇まいがどう見ても平凡なひとじゃなかったからだ。
「何か飲みます?」
「貴殿は余の給仕ではないのだから、気を使う必要はない。好きに飲みなさい」
私はビールが飲みたくなった。一人で飲むのも侘しい。ので、王様を誘うと、王様はふわりと笑った。お酒は飲まれないのか。飲まれ、という言い方が丁寧な言い方になっているのかわからないが、まぁ、丁寧だ。
「酒は思考を鈍らせる。酩酊させる」
「めいてい」
「気が大きくなって、陽気になることだよ」
「それは結構なことじゃあありませんか」
しめじが生えそうなほどうじうじしていた王様を公園のベンチで拾った私としては、気が大きく陽気になって頂きたいところだ。真面目な顔で言うと、王様が苦笑した。酩酊、というのは進むと足がふらふらして、危険だとも言う。
「余は無様な姿を晒せぬのだよ」
私はビールをぐびり、と飲んだ。お酒を飲む姿は無様なのだろうか。
「じゃあこれ、コーラとか、炭酸。いいですよ。揚げ物にあうんですよ」
大きなバッグの中から、私はあれこれと飲み物を出す。王様を拾った時、飢えて動かなくなっていたので慌ててコンビニで色々買った。コンビニで七千円分なので、いろいろ入ってる。爪切りとか。ウェットティッシュとか。綿棒とかも買ってしまった。慌てていたのでなぜか蚊取り線香とか花火まで入ってる。なのにライターはない。
王様は野菜ジュースのパックを手に取ってまじまじと眺める。
「中々に趣き深い絵であるな。色使いが良い。画材はなんだろうか」
「プリントですよ。……って、どういう風に聞こえてるんだろう……」
私は日本語を話しているし、王様もそうだけれど、私の耳にそう聞こえるだけで、王様はきっとこちらの言葉を話してはいない。王様の耳にも私の言葉は日本のものではない、王様にわかる言葉になっているのだろう。
「ぷりんと」
王様が首を傾げた。そういう技術はないらしい。該当しない言葉はそのまま伝わるようだ。不思議なものを発音するような顔をして、もう一度野菜ジュースのパックを見つめる。
「王妃にも見せてやりたい。あれは芸術を愛していた」
王妃様。奥さんも処刑されてしまうのだろうかと私は気になった。聞くのは失礼だ。自分の好奇心を満たすために他人を傷付けていいわけはない。王様は私が黙ったので、ふわりと微笑んだ。
「あれの兄はライズヴァリーの皇帝であるから、委員会の者たちもそう簡単に断頭台へは送れぬよ」
「その、奥さんのお兄さんの国は大丈夫なんですか?」
王様の国では、王様というのは神様から「この国を治めなさい」と仰せつかった神様の代理人だったそうだ。王様がいることで太陽が昇り、沈む。国民には王様がいなければならないと、それが当然だったのに、国がどんどん良くなくなって、王様はいらないと、そういうことを誰かが言い始めた。そして王様は王様じゃなくなって、明日処刑されるらしい。
奥さんのお兄さんの国は、王様がいらないと、思われていないのかと心配になった。王様は微笑む。
「ヨルゼルフ六世の治める国にほころびは見えぬ。あの男はうまいからなぁ」
初めて、王様が少年のように笑った。笑うとえくぼが出来る。
なにがうまいんですか、と聞くと、いろいろだ、と仰った。
「いろいろ?」
「うむ。いろいろだ。剣もうまいし、歌もうまい。頭もうまい」
「頭がいい、じゃなくてですか?」
「うまいんだ。自分の頭の使い方をわかってる。あの男は皇帝としてどううまくやればいいかわかってるんだ」
王様はわからなかったのか。聞くと頷いた。
「余が王としてうまくなかった。まずかった。クランツ王国の王として、いや、クランツ王国には王というのがまずくなったのだろうよ」
話が難しくなったので、ポテトチップスを開ける。サワークリーム、厚切り、しょっぱいのにまろやかクリーミー。ザクザクと前歯で噛むと、王様も一枚食べた。
「これはなんであるか」
「ジャガイモを油で揚げたやつですよ」
「ジャガイモ。あれは良いものだったのに、うまくなかったな」
「美味しいですよ?」
いや、そうではない、と王様は言う。王様のところにもジャガイモがあって、国として「この作物は強いものだから植えるように」とおふれを出したけれど、王様の国のひとたちは植えなかったそうだ。
「なぜです?王様が言ったのに」
「信頼がなかったからだ。そして、あるべき権威が消えていたとその時思い知らされた」
王様が王様になったのは十六の時だそうだ。おじいさんの代くらいから、国にお金がなくなっていて、これは、なんとかしなければならないと王様は真っ赤な数字を見て決意した。いろいろうまくやろうとして、ジャガイモはそのうちの一つだったそうだが、うまくいかなかった。いろんなものが、うまくいかなかったと王様は言う。
「イングロンド国の貴族が竜の姫君より賜ったというジャガイモはうまい手であると思ったが、王家の信頼が足らず、普及しなかった。防げたはずの飢饉が起きて、国民は更に王家から心が離れていった」
「折角王様が色々考えてくださったのに、みんな馬鹿ですね」
「愚かなのは民ではない。彼らをそのように振る舞わせた我々貴族の振る舞いこそが愚かだったのだよ」
良い人なのに、なんでこの王様が処刑されるのだろう。私はチョコレートの箱を開けた。中にお酒が入っている一粒一粒別々になっているものだ。
口の中に入れると、アルコールで熱くなっていた口内にすぐ溶ける。王様にも一つ差し出した。王様は口に入れて、目を細める。
「酒が入っているな」
「あ、すいません」
「良い。このくらいならば酔わぬだろう」
「美味しいですか」
うむ、と王様が頷いた。チョコレートが好きだと言う。王様ならたくさんチョコレートを食べれたんじゃないかと聞くと、笑った。
「望めば、そうであったろうな」
「そうですか」
「うむ」
ベンチで何を考えていたんですか、と聞く。
「民のことだ」
すらり、と王様は答えた。明日、自分は処刑されるのに、まだ国のことを考えるのか。
「王様がいなくなって大丈夫かって、ことですか?」
「それは案じてはおらぬよ」
王様の国は、王というものがまずくなったので、それは心配していないらしい。ただ、と王様は続けた。
「ただ、ただ。案じるのだ。王とはそういうものである」
これから先、飢えぬだろうか。怯えぬだろうか。寒い思いをせぬだろうか。案じる。案じる。もはやどうすることも己にはできないにしても、王というものは、そういうものらしい。
親みたいですね、とは言わなかった。言うと、彼らは親を殺すことになる。代わりに、鞄からスマフォを出した。
「写真を撮っても?」
「しゃしん」
「こんな感じで」
カシャ、と私はスマフォで缶ビールを撮った。ほう、と王様が目を見開いて驚く。
「おぉ、これは。これは。なんとも、なんとも」
「王様の写真を撮ってもいいですか?」
「ほう、ほう」
返事が上の空。王様はしげしげとスマフォの画面を眺める。私は得意になって、動画サイトを開いたり、これで買い物が出来る、という説明をしたりした。映像……今この瞬間だけでなく、時間も残せると言うと王様は少し考え込んだ。何か動画を撮りますか、と言うと「いや、止めておこう」と首を振った。
残しましょうよ、と私は誘った。自分にこんな声が出るのかと驚くほど、甘い声だった。女が男を惑わすときはこういう声を出すらしい。王様が、王様というものを何もかもなくして良しとしていることに、私は腹が立ったのかもしれない。
「男の人って、そうですよね。潔く、とか、そういうの」
ここが王様の世界じゃなくても、いや、世界じゃないんだから、残したって、この世界に王様が「在った」っていいじゃないですか、と私は強請る。
「先延ばしにすることはできたのだよ。不治の病の病人にするように、転がる坂の、傾斜を少しでもなだらかにすることはできた」
でもしなかった。王様の国は革命が起きた。
王様は、革命を止めなかった。そう、聞こえる。
「余としては、やるべきことはやったと考えている」
王様は言って、立ち上がった。
「それでは、馳走になったな」
「やっぱり、写真、撮らせてくれませんか?記念に」
「記念」
そうです。記念です。私は神妙に頷いた。
「王様に会うなんて、人生そうそうないじゃないですか。だから、記念ですよ。記録じゃなくて、記念。大事じゃないですか。記念って」
真面目に言うと、王様も真面目に頷いた。
「思えば、余の顔の彫られた金貨は残るだろうな。記念。うむ、さようであるか」
記念は大切だ、と王様は言う。それで、私は鞄の中から固定フレームを出して、ベンチにカメラを設置する。先に立って貰った王様がカメラの枠の中に納まるように調節した。
タイマーをセットして、私は王様の隣に、並んで立っていいものかと悩む。
記念なので、友達と取るような軽薄な感じではいけない。国王陛下にお会いした記念なので、これは丁寧なものでなければならないと、緊張した。王様は私が困っているのに気づいて、私に手を差し出してきた。膝をついて、その手を恭しく取る。連続でシャッター音がした。
スマフォの画面を確認すると、十数枚の写真が撮れている。その中で一番よさそうなものを王様に見せた。
「うむ。良い」
王様は頷かれ、微笑んだ。
了