禁じられた遊び
夏休み前の憂鬱なテスト期間も終わり、後はそれを待つだけと云う頃。
「アルビドゥス様、アルビドゥス様。居たら答えて下さい」
夕暮れ時でも、まだ明るいこの頃。
とある高校の教室で。
五人の少女達が、それをしていた。
二人の少女が机を挟んで向かい合わせで座り、一枚の銅貨の上に軽く指を一本ずつ乗せていた。
その銅貨の下には、文字の書かれた白い紙。
『あ』から『ん』まで書かれてあり『はい』と『いいえ』の単語も見える。
その文字列の上方、中央あたりには鳥居の様な物が描かれてあった。
「…みずきの好きな人を教えて下さい…」
銅貨に指を乗せている一人の少女が、そう呟くと、向かいに座るみずきと呼ばれた少女の身体が小さく震えた。
二本の指を乗せた銅貨がゆっくりと動き出す。
まるで意思があるかの様に動くそれは、一つ一つ、丁寧に文字を拾って行く。
「…た…か…は…”…や…」
「止めて!!」
みずきが堪らず、指を離して座っていた椅子から立ち上がった。
「はあ? 何してくれてんの、アンタ?」
「アルビドゥス様が帰るまで、指を離したら駄目でしょうが!」
「信じらんない、マジこいつ何なの?」
「わざわざウチらが遊んでやってんのにさあ」
「あ〜あ。でも、先に指離したのみずきだからあ。呪われるのはみずきだけだよね?」
「うわあ、怖い。呪いって何だろね?」
みずきを取り残して、四人の少女達が会話を弾ませる。
彼女達が行っていたのは、所謂交霊術みたいな物。
それの、真似事だ。
用意された銅貨に、霊が降りて来て、どんな質問にでも答えてくれると云う。
実際は、銅貨を動かしているのは、それに指を置いた者だったりするのだが、夏のこの時期には欠かせない遊びらしい。
散々に言われているみずきだが、彼女は唇を噛んで、胸を握り締めて俯く事しか出来ない。
だって、もう、分かりきっている。
彼女達には、何をどう言っても、それが伝わる事は無い。
伝わっていたのなら、あんな事は無かった筈だ。
嫌だと、止めてと泣いて叫んでも。
彼女達は笑いながら、みずきにスマホを向けて来るだけだった。
自分は、彼女達の玩具でしか無いのだ。
『助けて』と。
『誰か、助けて』と。
何度も叫んだ。
みっともなく、涙と鼻水を流して何度も、何度も。
声が枯れるまで叫んでも、その叫びは願いは、誰にも届かなかった。
「何をしているの! もう、下校時間は過ぎたでしょう!? 早く帰りなさい!」
開け放たれていた教室の出入り口のドアから、一人の教師が入って来た。
「ああ、もう。また、こんなのやってるの!? いい加減にしなさい」
そして、机の上にあった紙を目ざとく見つけて取り上げた。
「ちぇ〜。つまんないの」
「いいや、帰ろ」
「どっか寄ってく?」
「じゃあね、みずき。呪いには気を付けて。明日、生きていたら、また遊ぼうねえ?」
「うっわ、ゆかり酷いなあ!」
「ええ? そんな事ないよ〜?」
ケラケラと笑いながら、みずきを残して四人の少女達が鞄やらリュックやらを手に、教室から出て行った。
残されたのは、俯いたままのみずきと教師だけ。
「あの子達は…。ほら、白沢さんも帰りなさい」
取り上げた紙をくるくると丸めながら、教師が溜め息をついて、みずきに声を掛けた。
「…村瀬先生…」
「なあに? 何か話があるの?」
頼りないみずきの呼び掛けに、村瀬と呼ばれた教師は何処か突き放した様な声を出した。
それも、仕方の無い事。
今日は給料日で、それも久しぶりの友人達との呑み会なのだ。
遅れて等行きたくないし、シャワーを浴びてから行きたかった。
暑さで汗をかいた身体が気持ち悪い。
さっぱりして、しっかりとメイクをしてと、考えていたのに。
よりにも寄って、こんな事で時間を食うなんて。
「…いえ…さようなら…」
村瀬の冷たいとも云える反応に、みずきは頭を下げて、自分の机に置いていた鞄を手に取ると、教室から出て行った。
「もう。あの子も言いたい事があるなら、はっきり言えばいいのに…そんな…」
そんなのだから、いじめられる。
と、言おうとして、村瀬は口を噤んだ。
違う。
これは、いじめでは無い。
実際にいじめられているのを、目にした訳では無い。
何より、本人からいじめられている等と聞いた事が無い。
だから、先のはちょっとしたブラックジョークだ。
呪いだとか、そんなのは。
「これで良しと。ああ、もう、こんな時間!? 家へ帰るより、スーパー銭湯の方が早いか!」
メイク道具は常に持ち歩いているから、問題無い。
焼却炉に取り上げた紙を放り投げて、スマホで時間を確認した村瀬は足早にそこから立ち去った。
土を踏む音が聞こえた。
それを鳴らした人物は、焼却炉から村瀬が捨てた紙を取り出して。
「…酷いなあ…」
と、瞳を細めて、口の端を上げて嗤った。
「…あ? 村瀬、それ燃やさなかったのか?」
居酒屋にて最初の1杯はビールでしょうと、中生ジョッキを注文し乾杯をして少し経った頃、今日の事を話した村瀬に、友人の一人が神妙な顔で聞いて来た。
「え? うん。でも、明日燃やされるから、別に構わないでしょ?」
「ええ? それ、ヤバくない?」
別の友人が、眉を寄せて行って来た。
「何がよ?」
話が分からず、村瀬は聞き返す。
「いや、だってさ。何かその子達、怒ってたんだろ? って事は、失敗てか間違えたんだろ?」
「うんうん、ヤバいって。ちゃんと帰って貰えない時は、災いがって聞くし。燃やさないとヤバいよ」
「ええ? ちょっと、怖い事言わないでよ」
「だって、村瀬、その紙に触ったんだろ? 何かあってからじゃ遅いだろ? お寺とか行って、燃やしてもらえよ」
「いや…」
そんな、災いとか、本当にあるのかも分からないのに。
そんなのはデマ、迷信だ。
と、村瀬は思ったが、それを口にした二人の友人の顔は、真剣その物で。
他の残る二人の友人も、重い顔をしていた。
「わ、分かったわ。今から、学校へ行って、お寺へ行くから! もう、何て日なんだろ。ごめん、またね!」
「タクシー使えよ!!」
「はいはい!」
村瀬は仕方が無く、重い腰を上げて参加費の二千円をテーブルに置くと、足早に店を後にした。
「…無い…? え?」
そう呟いて、村瀬はまた焼却炉を覗き込んだ。
燃えカスの上に、ポンと置いた紙だったが、焼却炉の扉は閉めたし、風で飛んで行ってしまうとかは無い筈だ。
「…どうしよう…タクシー待たせてあるのに…」
顎に指をあてて、村瀬はしばし考えたが。
無いものは無いのだ。
「…お祓いとかだけでも…して貰う…?」
そう呟いて、焼却炉に背を向けた時。
「…村瀬先生」
背後から。
たった今、見ていた焼却炉の方から、声が聞こえた。
思わず、村瀬の肩が跳ね上がった。
逸る鼓動を抑えながら、村瀬はそろそろと背後を振り返った。
焼却炉の横に、彼女が居た。
教室に居た時は、背中に掛かる髪を二つに分けて結んでいた筈なのに、今は結ばれて居なかった。
「…白沢さん? 帰って無かったの…?」
「探し物は、これ?」
みずきは村瀬の問いには答えずに、口の端を上げて笑って、右手に持つそれを掲げて見せた。
「それ…っ!!」
みずきの右手にあるのは、焼却炉に捨てた筈の紙だった。
「どうして、白沢さんが? あ、ううん。それを渡して」
何故、みずきがそれを持っているのか疑問だったが、それは後で良い。
今は、それを持ってお寺へ行くのが先だ。
「…もう遅いよ?」
「え?」
みずきの放った言葉の意味が、村瀬には分からなかった。
「ねえ、いじめられてるって言わないと、分かってくれないの?」
そう首を傾げて、口の端を上げて笑うみずきに、村瀬は思わず足を後ろに引いた。
こんな風に笑うみずきを見た事が無かった。
こんな風に笑う子では無かった筈だ。
「教科書とかノートとかを破られたり、落書きされたり、雨の日に傘を折られたり、上履きに土を詰められたり、机の中に卵を入れて割られたり、ま、そんなのがいじめだと思ってる?」
「…し…らさわ…さん?」
何故だか、村瀬の喉はカラカラに乾いていた。
唇も渇いて、かさついている。
こんなに饒舌に話す子だったろうか?
もっと、何処かおどおどとしていた筈だ。
村瀬の記憶にある、白沢みずきと云う生徒は。
「こう云うのもあるんだよね…」
言いながら、みずきは歩いて村瀬の目の前に立つと、スカートのポケットからスマホを取り出し、操作をして軽くあざ笑うとその画面を村瀬に見せた。
「…え…?」
それは動画だった。
音量は敢えてオフにしたのだろう。
そこには、みずきが居た。
いや、みずきと男達が。
二人の男がみずきの腕を押さえ付け、更にはみずきの上にのしかかる男の姿も。
「…な…」
目を見開く村瀬の顔を覗き込む様にして、みずきは何処か楽しそうに口を開いた。
「…この子ね…もう少しで生理来なくなって二ヶ月になるんだ。ねえ? どうして?」
「…どうして…って…」
それは…。
こう云うのも、と、みずきは口にした。
今、みずきが手にしてるスマホは誰の物?
だって、そこにはみずきが映っている。
みずきが自分で撮った物では無い筈だ。
それなら、誰が?
「…あ…あの子達が…?」
しかし、みずきはその問いには答えずに。
「…この子の最期の言葉を教えてあげようか?」
この子。
そう云えば、先程も、この子と言った。
それに、さいごって…?
村瀬は動けずに、ただ、みずきを見詰める。
軽く瞳を伏せて、唇の端だけで笑う…嗤うみずきを。
「…皆、死んじゃえ。だよ?」
「ぐっ!?」
みずきだった者の放った言葉と同時に、村瀬の首に圧力が掛かった。
それは、ただただ村瀬の喉を潰してゆく。
村瀬は喉に手を伸ばすが、そこには何も無い。
見えない、掴む事も出来ないそれに、どれだけ抵抗しても無駄で。
やがて、村瀬の身体が地面に倒れた。
「あーあ、汚いの。首絞めたら、色々出るんだっけ。まあ、良いか。記念撮影してあげるね?」
みずきだった者が嗤い、スマホのカメラを起動して、自ら出した汚物に身体を浸す村瀬の姿を撮影し、それをこのスマホの持ち主のSNSにアップした。
「…ふふ…反応が楽しみだね?」
みずきだった者が嗤い、手にしていたスマホを村瀬の身体の上へと落として、そこから姿を消した。
歩くで無く、走るで無く、唐突にその姿が消えた。
その直ぐ後だった。
タクシーの運転手が、戻って来ない村瀬を捜しに来て、悲鳴を上げながらもスマホを操作し、警察へと連絡をしたのは。
そして、村瀬の傍らに落ちていたスマホの持ち主である、ゆかりと呼ばれた少女の遺体が発見されるのは、もう少し後の話になる。