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評論文の本質について

文章構成?何それ美味しいの?


私は学生であるので、模試やら教科書やらで評論文を読まされる機会が多い。そこで、評論文を読んでいると最近よく違和感に悩まされる。


それは、文章がいまいち頭に入ってこないということである。理解できないという訳では無いが、読んでいて文脈に違和感を感じ、何度か読み返すということも多い。


私自身の読解力の低さと指摘されればそれまでではあるが、それにしても読みづらいことこの上ない。学生諸君にもそう感じられる方が多いのではないだろうか。




この読みづらさの正体は、迂遠な言い回し、非常用漢字、過度な比喩表現、必要のない英単語などの修辞技法の乱用にあると考えられる。


これらの表現は読者を楽しませる、いわば文章を引き立たせるスパイスであるが、それと同時に過度な表現は文章を難解にしてしまうこともある。これは、読者に意見を伝える評論文において致命的な弱点である。


また、評論文を読んでいて感じるのは無駄の多さである。


常用単語で言い表すことができるのに、敢えて難しい単語(漢字)を使うのはなぜか、日本語で書けば良いのにわざわざ英単語を、それも日本国内で一般的に使われていない英単語を使うのはなぜか、何度も何度も同じ表現を言い換える必要は何処にあるのか。


これには必ずしもそうではないが、評論家自身の自己満足的な側面を感じる。俗な言葉で言えば知識をひけらかし、マウントをとるということである。


しかし、当然ながらこのような行為は読者に違和感を与える。場合によっては不快感すら与えるだろう。


これらの表現は、小説であれば作者の、文章の個性として読者を楽しませるためのスパイスになる(それにしても過度な読みづらさは敬遠されがちであるが)。


しかし、評論文においては読者を楽しませるスパイスなど全くもって、一切不要である。


そもそも評論とは、【物事のよしあし・優劣・価値などについて論ずること。また、その文章。】*Wikipedia参照 である。


であれば、読者が求めているのは、平たくいえば分かりやすい根拠と結論である。難解な文章など初めから誰も求めていない。


ここでは評論家が難解な評論文を書きたいかどうかという多様性についてを論じている訳ではないことを述べておく。必要とされているかどうか、需要の有無が論点である。




物事を分かりやすく説明、解説するための比喩表現などを否定する訳ではない。その表現が存在することで文章を難解にさせることが問題なのである。


料理で例えてみれば、ただ焼く、煮るよりも調味料で味を引き立てたり整えたりしたものの方がより美味しいのは明らかである。


しかし、当然ではあるが、どんな料理にも合う調味料、合わない調味料がある。インド料理によく使われる香辛料は、日本料理にも必ずしも合う訳ではない。醤油や味噌もまた然りである。


つまり、評論文の場合は文章をどう分かりやすく書くか、そのためにスパイスは使われるべきである。読者を楽しませるためのスパイスは小説において求められるものであり、評論文ではただ単に文章の難解さを助長するだけである。




話は変わるが、以上の事を踏まえて私が主張したいのは、入試問題として難解な評論文を採用するべきではないということだ。


評論文に求められるのは前述の通り、分かりやすい根拠結論である。必要とされていない難解な評論文を解読する必要が何処にあろうか。


そもそも『難解』と『評論文』は結びつかないはずの単語ではないだろうか(ここで使われる『難解』は批評の対象とされる物事の難解さではなく、文章の読みづらさによる難解さを指す)。評論文が分かりやすさを旨としている以上、当然だと考える。それをあろうことか自ら意図して、文章に無駄な表現技法を散りばめ、難解にしたものを『評論文』などと宣っているのである。


しかしながら、『難解な評論文』という虚構が存在し、あまつさえ社会に求められる技能を身につけるはずの学校の入試に採用されるのには甚だ疑問であり、違和感を禁じ得ない。


しかも、蛇に手足をつけ、毛を生やし、挙句の果てには翼を与える勢いで難解な表現をばらまいた、最早文学とすら呼べないような駄文を『文章読解力試験』などと称しているのである。これは怒りさえ感じさせる暴挙である。


入試に使われる評論文が難解であるという理不尽な暴挙は、自らの知識をひけらかしたいだけの愚かな評論家による自己満足、ただ読みづらいだけの文章を入試問題に採用するという学校関係者の浅慮、そして、違和感に気づきながらも声を上げず今の今まで黙認してきた元、現受験生諸君の怠慢による、本来存在し得ない、恐るべき虚構である。




この理解不能な常識を認め続けることは、私には出来ない。


今この瞬間も、受験生達は奇怪な評論文に頭を悩ませているのである。意図して難解にされた文章という全くもって必要のない事にだ。


駄文の読解力を身につけたところで何の役にも立たないだろう。もしそれが必要とされるならば、その文章もまた同様に駄文である。


ただでさえ学習量過多に悩まされている学生、特に高校生に必要のない事を学ばせるべきではない。


より良い入試制度を構築するため、入試問題から『難解な評論文』を削除するよう今一度、強く勧告する。

評価は要りませんが(強請るような文でもないので…)感想を頂けると喜び庭駆け回ります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 現役高3生です。 全くもって同感です。たった今も複雑怪奇な評論文を読解していました。やたら『()』やルビを多様したり、傍線(――)で挟んで特に意味の無い言い換えをしたりするなどを目にする度に…
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