お袋の味ならぬ、親父の味
スマホからの投稿と、一字下げをしない文体のテストを兼ねて。
うちの父親は割と料理ができる。
といっても際立って料理上手というわけでもなく家庭料理のレベルに収まるのですが、実は結構自慢だったりします。
お品書きを中心に語ってみようかと思います。
・太巻き
スーパーや、最近だとコンビニでも売ってるアレ。
家族の誕生日や子供の運動会、たまに何もない休日でも気が向いたらと、ことあるごとに作ってくれました。
桜でんぶを使った甘めの味付けで、一度に何本も作っていっぱい食べます。
そのため、私にとって 祝い事=冷ましている途中の酢飯の匂い という印象が強い。
端のほうの具材が余って飛び出している部分が特に好きで、子供同士で取り合いをしてました。
一時期は手巻き寿司になったのですが、数年で太巻きに戻りました。子供は手巻き寿司を喜ぶけど、こぼしちゃって後片付けが大変だからね……。
・手羽先の唐揚げ
祝い事の思い出として、もう一つ上げるならこれ。
まあ揚げ物は後始末が手間だということもあって、太巻きほど頻度は高くありません。可能性は半々くらいでしょうか。
そのうちに鶏肉専門店から買ってくるようになって作らなくなりました。
・おでん
冬場の休日は、昼からおでんを作るのが父の習慣みたいなものでした。
味のほうは“おでんの元”を使ったものですが、家で使っていた石油ストーブは上部に鍋を置いて調理ができる形式のもので、暖房ついでに長時間煮込んでいました。
鍋いっぱいに作ったおでんが夕食に出るのが楽しみだった覚えがあります。
その時の感覚で居酒屋やコンビニでおでんを大量に買うと思ったより財布にダメージが……。
基本的に値段の違いが判らない貧乏舌な私ですが、この点だけは実は贅沢に慣れちゃっているのかもしれません。
・豚の軟骨煮/スペアリブ
おでんを作るとき、別の鍋で必ず一緒に父が作っていたのがこちら。こちらも鍋いっぱいに仕込んで長時間煮込むスタイルでした。
私が小学生の間は軟骨だったのが、中学に上がるころからスペアリブに切り変わります。
大した理由はなかったはず。店が潰れたか取り扱いが変わったか、そんな感じで入手しやすい材料が変わっただけ。
丸ごと食べれる軟骨煮も、骨にかじりつくスペアリブも、私はどっちも好きです。
・餃子
頻度はそこまで高くなかったのですが、小学生のころに一番楽しみだったのがこれ。
家族みんなで具を包む作業をするのが一種のイベントで、とてもワクワクしました。
2-3回に分けないと焼けない量を用意して、1回分を食べ終わったら追加を父が焼いてくる、そんなワンコソバ形式。
具材はごくスタンダードなものでしたが、ニンニクではなくニラを香味野菜として使っていました。
庭(というか畑。一軒家が立つ面積)にニラを植えていたので、その関係ですね。
ちなみに皮は近所の餃子専門店から買ってました。やたら繁盛していた店だったのですが、家で作る関係でその店の餃子を食べることが皆無という。いつも皮とタレだけ買う客。
・焼肉
不定期に、されど高頻度に、思い付きで焼肉。
ホットプレートで父が肉を焼き、それをみんなで食べるのが我が家の焼肉です。
キャベツとジャガイモ、ニンジンのボイルサラダを一緒に食べるのが定番で、こちらも父が準備していました。電子レンジで加熱するだけですけども。
肉を買う精肉店は近所……というほど近くはないのですが、地元民行きつけの店がありまして。
家で焼肉するならあの店の肉、みたいな共通認識が根付いていました。特に高齢者層には、たまの贅沢の象徴みたいな扱いだったように思います。
・ピザ&パイ
一時期、父がオーブン料理にハマって、具だくさんのピザやパイをつくってました。
数年だけの話でしたが、子供心に楽しみだった記憶があります。魔女の宅急便を見て、パイに対する憧れもあったのだと思います。
ちょうどその時期に庭(畑)から勝手に生えてきたカボチャが大量に実って、パンプキンパイを大量に焼いたりもしました。
おそらく、埋めた生ゴミから発芽したものと思われます。
・ふつうの料理
目玉焼きとか味噌汁とか、そういうの。
基本的に料理は母が担当していたのですが、母の実家の介護で忙しいとか、母が庭(畑)の手入れで忙しいとか、母が前日深夜まで漫画を読んでて昼まで寝てるとか、まあそんな色々な理由で父が代わることも多かったのです。
明確に父と母の間で取り決めがあったわけではなく、なんとなく忙しそうだから作るかー ぐらいのノリ。
ああでも、庭(畑)の手入れは逆に「絶対やらない」というのが父の主張でした。土で汚れるのが嫌いらしい。
最近は仕事の関係で土いじりが増え、抵抗感はだいぶなくなったようですが。
・カレー
カレーもたびたび作っていました。
といっても父の味という印象はあまりないんですよね。同じ材料、同じルーで母も作りますから。それもあって一番最後。
材料の切り方でどっちが作ったかわかる、その程度の違いです。
丁寧に細かく切っているのが父の作で、皮つきのまま半分に切っただけみたいな、野趣あふれるのが母の作。
私の学校行事でキャンプに行ったときなどは、カレー作りでピーラーがなく悪戦苦闘する女子班への指導役みたいな感じになってました。
キャンプということで他に保護者同伴の子も多かったのですが、父親ばかりで料理ができず、やることがなくて先に酒盛りを始めていたようです。
なお当然のごとく女子班が料理で男子班が力仕事でした。今なら問題になりそうな話ですね(笑)
他にも細々ありましたが、ぱっと思いつくのはこのあたり。
今でこそ共働きが増え家事分担が浸透しつつありますが、私が幼いころはまだ「男は仕事、女は家事」という時代でした。
男性の権力が強い地域性もあって、男は座って料理が出てくるのを待つだけ というのが普通。実際、私の同級生の家庭では一切家事をしない父親がほとんどだったように思います。。
父も結婚するまでは全く料理ができなかったのですが、新婚当初から「作ってほしい料理があるなら、自分で作れば良かがね☆」という母の理屈に納得して作るようになったらしいです。
やたら理屈っぽくて好き嫌いが激しい父ですが、嫌いじゃないことで、理屈が通っていればあっさり受け入れる面もあります。
そんな経緯なので、基本は父自身が食べたい物、そして子供が喜ぶものを作ることが多かったというわけです。
料理から離れますが、妙にこだわりのあった洗濯と、母が苦手だった掃除は基本的に父の担当。
洗濯は日当たりと風通し、重量のバランスを考慮して干すことが至上命題だったようで、子供が手伝おうとするとバランスが崩れるから嫌がるまでありました。パズルゲームみたいな感覚なのか……?
料理の話に戻りまして、材料費はどこから出ていたのか。
答えは父の小遣い。料理は材料を買うところから始まるわけで、作る人の財布からというのが合理的だったようです。(「ふつうの料理」と「カレー」はあり合わせで作るので除外)
他に外食に行く場合やレジャー施設に家族で遊びに行く場合なんかも支払いは父の財布から。
自分のお金で家族を楽しませる、そういう形を父本人が好んでいたこともあります。
父の稼ぎを母が管理し小遣いを渡す割と一般的な財務システムでしたが、この辺りの事情があってかなり多めの小遣いだった様子。別名・B会計。
なお日常の料理用の買い物は後で家計から充当する形で、父が行くことも多かったです。
冷蔵庫の中を見て足りないものを自発的に買ってくるので、たまに母の買い物と内容がバッティングして、一部の食材が過多になったりもしますが……。
母が実家の介護で忙しかった時期などは、ずっと父が買い物に行っていました。
そうすると近所で「あん家は旦那さんばっか子供つれて買い物に来ちょいよ。奥さんに逃げられたんやろか」なんて噂を立てられたことも。
色々な意味で今では考えられない話ですが、まあそういう時代・地域でした。
以上、いかがだったでしょうか。
もちろん、普段料理をしていた母の味というのもありますが、私にとって父の味は特別感が強いものでした。
なお私自身の料理の腕はというと、どちらかというと母の味スタイルです。
つまり「テキトーに切って炒めりゃ食えるもんが出来いとよ!」という。
どうしてこうなった。
母の名誉のため書き添えると、煮物と梅干し作りは絶品だと思ってます。
なんだかんだで弁当作りをしてもらってた期間も長いですし、省力化の観点では料理上手。