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 冬の入りが間近に迫った日の午後。


 灰色の雲が空を支配して間もなく、はらりはらり、と粉雪が舞いだした。

 初めは風に煽られて流されていた雪の花びらも、少しずつ結晶を大きくしていき、ふわりふわり、と邪悪な都に降り積もり始めた。


 夕刻には辺り一面の銀世界になっていた。


「雪とは。はて、何十年ぶりか」


 年老いた鬼はひとり呟いて、足早に帰路へとつく。


 古き魔王ヴァストラーデが支配する国の中心、魔都ルベリアの大通りを行き交う魔族の足取りはいつもよりも速い。

 陽が沈み、さらに寒さが増す前に帰宅しようと、誰もが急ぐ。

 寒冷に耐性を持つ種族でもない限り、魔族にも寒さは辛い。

 外套を深くかぶる者。自身の体毛で防寒する者。行き交う魔族は皆、寒さに震え、うつむき加減で歩みを進める。


 そのせいだろうか。大通りの隅で、積もって間もない雪を赤く染める人族には誰も気づかなかった。

 降り増す雪に客足を奪われ、早々に店終いをしたのだろう。入り口を閉ざした店の前まで、壁により掛かるようにしてなんとか立っている様子の人族の少年。

 だらりと垂れた左腕の先から、たらりたらり、と落ちる赤い滴は薄く積もった新雪を新たな色に変えていく。

 よく見れば、少年の衣服の背中は裂け、皮膚が打ち叩かれたように傷だらけだ。それだけではなく、全身にも無数の傷がある。

 頭や背中から流れ出した血が、垂れ下げた左腕を伝って落ちている。

 血は下半身にも染み、お世辞にも良いとは言えない襤褸の衣服を赤黒く変色させていた。

 血を流す少年は、痩せ細っていた。


「もう、これ以上は逃げ切れないな……」


 少年は苦しそうに小さく呟いて、背後を振り返る。血の跡は、建物のすぐ脇の枝道から続いていた。

 雪を赤く染めた血痕をたどって、奴らは今にもやってくるに違いない。

 邪悪な魔族。人族を奴隷や家畜、もしくはそれ以下の消耗品程度としか思っていないような者たち。

 追いつかれ、捕まってしまえば、きっと殺される。逃げ出した見せしめとして、なぶり殺されるに違いない。考えただけで、少年の身体はがたがたと震えだし、顔が青ざめる。


「でも……」


 少年の瞳は死んでいなかった。

 もう、きっと逃げ切れない。捕まれば、死が待つのみ。

 それなら……

 最後に、悪あがきをしてやろう。一矢ぐらい報いてやろう。

 少年の瞳には、強い意思が凍ることなく宿っていた。


 鞭に打たれ、鈍器で殴られ、刃物で斬り刻まれた全身の傷は、もう痛まない。脱臼した左肩の痛みもない。恐怖なのか寒さのせいか、少年の痛覚は麻痺してしまっていた。

 しかし、いくら痛みは麻痺していても、疲弊しきった身体は思うように動いてくれない。

 少年は建物の壁にもたれかかって、ようやっと立っていられるような状況だ。

 意識も、流れる血とともに身体から失われつつある。


 それでも。

 怒りを、憎しみを、悔しさを、そして何よりも人族の誇りを、追ってきているだろう鬼たちへ最後にぶつけてやろうと、少年は身構えた。


 もう間もなく、奴らは現れるに違いない。

 建物の角から奴らが姿を見せたときに、体当たりをしてやろう。あわよくば武器を奪い、さらなる攻撃をしてやろう。

 最初で最後の機会を、少年は息を潜めて待つ。


 崩れ落ちそうになる下半身を必死に保たせ、薄れて行く意識を引き留める。

 集中し、耳を澄ませていると、程なくして雪を踏み進む足音が聞こえてきた。

 少年は緊張する。

 覚悟を決めたはずなのに、恐怖で全身の震えが止まらない。


「それでも……!」


 やってやろう。人族の意地を見せてやろう。


 足音が近づいてくる。

 少年は壁にもたれ掛かかりながら、脇道に面した建物の端まで近づく。

 呼吸をすると、白い息が出た。

 慌てて、動く右手で口元を押さえる。

 気づかれてしまうと、奇襲は失敗してしまう。

 足音はもうすぐそこだ。

 少年は近づいてくる足音で距離を予測し、飛びかかる頃合をはかる。

 震えが止まらない下半身に力を入れる。

 ぐっ、と一度姿勢を落とす。


 三、二、一。


 計った間合いで、脇道から人影が現れた。

 その瞬間、少年は力いっぱいに地面を蹴る。

 前屈みに突進し、相手の腰あたりに右肩から突っ込む。


 奇襲は成功した。


 突然、建物の陰から体当たりをしてきた少年に反応することができず、現れた人影は体勢を崩してたたらを踏む。


 よし、当たった。

 押し倒すことはできなかったが、ふらふらな状態の少年にとっては上出来だ。

 少年は追い打ちをかけようと、よろめいた相手を殴ろうとして右手を振り上げる。


「こんちくしょょおぉぉっっ!」


 殴るなら顔だ。自分よりも長身の相手を睨みあげ、拳を叩き込もうとして。

 少年の動きは止まってしまった。大きく腕を振り上げた姿勢のまま。


 少年から体当たりを受けた者も、勢を崩したまま動きを止めていた。


 視線を交差させて、二人は硬直していた。


「……あ、あんた、誰だよっっっ!?」


 女性だった。

 豪奢な装いの、美しい女性。


 体当たりをされた女性は突然のことに戸惑い、ただ少年を見るばかり。そして少年も、美しい女性に見とれてしまい、次の行動がとれない。

 仰け反った体勢の女性と、密着して右腕を振り上げたままの少年。二人はしばし、困惑のあまり見つめ合ったまま硬直した。


 もうほとんど疎らになっていた大通りを行き交う魔族たちも、この奇妙な二人に気づいて視線を向けはじめる。


「あの小僧、貴族のご麗人に体当たりをしたぞ」


 目撃していたのだろう、ひとりの魔族が言う。

 人族の分際で、魔族に体当たりとは。野次馬たちは少年の愚行に殺気立つ。

 居すくむような周囲の殺気に、少年が先に我へと返った。

 気づけば、大通りには魔族たちが集まりだしていた。


 魔族にとって、人族は奴隷以下、家畜や消耗品でしかない。その人族が、魔族の、しかも高貴な身分の女性に手を上げるとは。多数の魔族の殺気に、少年は恐怖に震えあがる。

 がたがたと震える身体は限界を越え、立っていられないほどだ。

 少年はとっさに、女性の腰にしがみつく。


 そのとき、脇道の先から三人の鬼が現れた。


「小僧め、やっと追いついたぞ」


 先頭で走ってきた鬼はそう言うものの、戸惑いを隠せない表情をしていた。


 少年は、はっとして脇道の方を見た。

 視線の先、脇道の奥から駆けてきた鬼を見て、顔面蒼白になる少年。


 先頭の鬼は、身の丈人の倍はあろうかという巨体。青黒い肌、筋骨隆々の肉体をしていた。後から来た二人の鬼は、鼠の顔、細い尻尾付き。中背で、下級の魔族だ。


 現れた三人の魔族は、一様に困惑していた。

 追跡していた少年に追いついたと思ったら、見るからに身分の高そうな麗人に抱きついているのだ。しかも、大通りには多数の魔族が集まり、殺気立っている。

 状況が飲み込めないまま、三人の魔族は少年と、少年が抱きついている女性に詰め寄る。


「ご、ご麗人。その小僧をこっちに頂きたい」


 巨躯の鬼が、下手に交渉してきた。

 女性は、身に纏った豪奢な衣装や美しい容姿から推察するに、おそらくは貴族か高貴な身分の魔族だ。そして、そうした高位の魔族は、雇い主である奴隷商の商売相手だ。機嫌を損ねさせるわけにはいかない。それ以上に、不快を与えてしまっては、自分たちの命に関わる。

 醜悪な姿であれ、麗しい姿であれ、魔族は魔族。恐怖と絶望の存在なのだ。下位の者が上位の者の機嫌を損ねてしまえば、奴隷だろうと魔族だろう、どんな仕打ちを受けるかわかったものではない。


「た、助けてっ!」


 少年は追ってきた鬼たちに怯え、自分が体当たりをしてしまった女性へ咄嗟にしがみつく。


「ご麗人、そいつはうちの商品でして……。申し訳ないですが、こちらに渡していただけませんでしょうか」


 巨躯の鬼が一歩前に出る。女性の視線よりも姿勢を落とし、恐る恐る伺う。


「戻ったら殺されるんだっ。助けて!」


 少年はもうほとんど残っていない力で、それでも懸命に女性に抱きついた。


 完全に硬直していた女性は、少年の二度の叫びでようやく我に返る。

 女性は、巨躯の鬼と鼠顔の下級魔族を見た。次に、騒ぎで集まった野次馬を見渡し、そして最後に、自分の腰にしがみつく少年を鋭い視線で見下ろす。

 少年と女性の視線がもう一度交差する。


 そして、少年は絶望するのだった。


 鋭く、殺気を帯びた冷たい視線。

 自分が助けを求めた相手は魔族なのだと、少年は今更ながらに思い知る。


 女性は、仰け反ったままだった姿勢をゆっくりと戻す。

 すでに体力の限界だった少年は、それだけであっけなく振りほどかれた。そのまま力なく、女性の前に頽れる。

 絶望、恐怖、出血、寒さ。どれもが少年の体力と精神を消耗させていき、意識が薄れていく。

 崩れ落ちた少年を、女性は見つめる。


「ご麗人……?」


 巨躯の鬼に催促され、女性は視線をあげた。

 そして「汚らしい」と眉根を寄せて、少年を鬼たちの方へと足蹴りにして飛ばした。

 軽く蹴ったようにしか見えなかったが、少年はまるで小石のように、巨躯の鬼の足下まで転がっていく。


「申し訳ねぇです」


 少年を片手で担ぎ上げると、巨躯の鬼は一歩退く。


「ご麗人、ご迷惑をおかけしやした」


 言って巨躯の鬼と鼠顔の下級魔族はきびすを返す。


「たす……け……て……」


 薄れていく意識の中で、少年は誰にとでもなく助けを求めた。

 しかし、ここは魔族が支配する邪悪なる魔の都。

 野次馬の中に少年を、いや、人族を助けようというお人好しな者はいない。


「おい、行くぞ」


 巨躯の鬼は鼠顔の下級魔族を促し、足早に来た道を戻ろうとした。


「……ところで」


 そこへ、背後から女性の言葉が降りかかり、三人の動きが止まる。三人は顔を見合わせ、恐る恐る女性へと振り返る。


「この汚れた服の弁償はお前たちに請求すればいいのだろうか」


 言った女性の豪奢な服は、少年の血で赤黒く汚れていた。


「ああ、そうか。お前たちは雇われ者なのだから、雇い主に請求すればいいのだな」


 汚れてしまった服を見ながら、女性はひとり納得したように頷く。

 巨躯の鬼たちの顔からは、見る間に血の気が引いていった。


 女性は、見るからに貴族か高位の魔族だ。そんな女性が身に纏う豪奢な衣服の弁償額など、下っ端の鬼たちには想像もつかない。ただ、自分たちに弁償ができるよう金額ではないことくらいはわかる。しかしだからといって、雇い主の奴隷商の旦那に頼んだとしても、今度は問題を起こしてしまった自分たちの命が危うくなる。


「ご、ご勘弁を、ご麗人」

「勘弁なるものか。きっちりと弁償はしてもらう」


 間髪入れずに返され、鬼たちは顔を引きつらせた。


 この女性は、わかっていて言っているのだ。巨躯の鬼たちでは弁償できず、かといって雇い主へ報告すれば自分たちの命がないということを。


「くそっ。こいつのせいだ」


 巨躯の鬼は、担いでいた少年を地面に投げつけた。


「こいつが奴隷市から逃亡さえしなければ、こんなことにはならなかったんだ!」


 怒りに任せ、少年を何度も踏みつける。

 もう意識がないのか、少年は無抵抗に踏まれ続けた。

 殺してしまってもかまうものか。自分たちの命も、風前の灯なのだ。

 巨躯の鬼は、少年の頭めがけて強く足を落とした。


「ぎゃあああぁぁぁっ」


 しかし、悲鳴をあげたのは巨躯の鬼だった。

 少年の頭は踏みつぶされることなく、代わりに巨躯の鬼が倒れ込む。


「あ、足がっ!?」


 見れば、巨躯の鬼の片足が膝から下を失っていた。

 そしていつの間にか、巨躯の鬼のそばには中剣を手にした女性が立っていた。


「ご麗人、なにをなさるんです!?」


 慌てて、二人の鼠顔の下級魔族が女性と巨躯の鬼の間に割り込む。


「したいことをしたまでだ」


 女性は、倒れて悶絶する巨躯の鬼を見ながら言う。


「この人族にも、服を汚した償いをさせる。だから勝手に殺されては困る」


 だとしても、問答無用で足を切り落とすのか。巨躯の鬼の悲鳴は、なかったものとして聞き流される。


「もちろん、関係者だろうお前たちにも賠償させる」


 一方的すぎる女性の主張に、しかし鬼たちどころか集まっていた野次馬たちも反論はできなかった。


「この人族はわたしが貰う。お前たちはさっさと雇い主に報告して、賠償金を持ってこい」


 高位の身分であるらしい女性にそう言われてしまえば、鬼たちに選択の余地はない。

 二人の鼠顔の下級魔族は慌てて走り去り、巨躯の鬼もほふく前進のようにしてゆっくりとその場を去って行く。


「だれか」


 女性は、去って行く鬼たちから集まった野次馬に視線を移す。


「わたしの宿に、この人族を運べ」


 言って女性は歩き出した。


「ご、ご麗人……」


 巨躯の鬼が思い出したかのように振り返り、声をかけた。


「どちらにお伺いをすれば?」


 そういえば、この女性がどこに住んでいるのかをを聞いてい。

 しかし、女性は振り返ることなく「自分で探せ」と言う。

 そんな、と巨躯の鬼は痛みと困惑で顔をしかめた。


「そうそう。だれもその人族を連れてこなかったら、お前たちを全員殺すから」


 去り際の女性の言葉に、野次馬から悲鳴が流れた。

既に書き終わっている物語になります。

それを分割して投稿するので、一話ごとの文字数がバラバラになるかもしれません。

「竜峰」を最新話まで読んでいると、色々と理解できたり伏線の回収になっていたりしますが、それを気にすることなく読んでいただくことも出来ます。


二話目は、日付が変わる頃に投稿します。

寝落ちしていなければ!

かわりに、金曜投稿分の竜峰が犠牲に……!?



そういうわけで、短い物語ですがお楽しみください。

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