04 母
ゴブリンとは――
99%が雄である。
人族を含む様々な種族と交配可能で、妊娠期間は3ヶ月ほど。
生まれて3日もあれば自分の足で立ち上がることができる。
成体になるまで1年ほどを要するが、醜い容姿は幼体時からさほど変わらない。
* * *
鉄製の檻が並ぶ区画。そこは巣の中でも異質な一角であった。咽返るような生物の生生しい臭いが充満し、嗚咽と後悔の念が漂っていた。
槍を持ち、鎧を身につけた完全武装した寄生鬼が5匹、その特殊区画の入り口で屯していた。
ベルンハルトが近づくと、それに気づいた一匹の寄生鬼が声をかける。
「よう。ルーキー」
「こんにちは。ハインリッヒさん」
「いつもの……か?」
「……はい」
「20で良いわ」
「え?」
「お前のは、その……掃除も楽だしな。話は付けてある。気にするな」
「……ありがとうございます」
日常の出来事なのだろう。簡単なやり取りの後、ベルンハルトは塩銭と引き換えに鍵を渡される。
そして、ベルンハルトは特殊区画を歩いて行く。
くぐもった喘ぎ声と、肉と肉がぶつかる音がする。
下卑た笑いと嗚咽と慟哭が聞こえてくる。
暴力と絶望がそこにはあった。
そんな地獄の底で、歌声が聞こえてくる。
歌声はとても澄んでおり、濁った掃き溜めには相応しくないものだった。
ベルンハルトは歩をすすめる。
彼は歌声のする方向に向かっていた。
そして、1つの扉の前で彼は足を止める。
解錠し開けた扉の向こうには、鎖に繋がれた1人の人族の少女がいた。
彼女は天井を見上げていたが、その双眸は何も捕えていなかった。
足首には鎖が繋がれ、その先は壁に固定されていた。
乾いてはいるが、彼女がどういう扱いをされたのか、それがわかる痕跡が体中に残っていた。
髪も肌もボロボロになっていた。
歳は15程度だろうか、人としては結婚するにはやや幼いが、寄生鬼には関係なかったのだろう。
そして、彼女は詩を口ずさむ。
「る~♪ る~る~♬」
ベルンハルトはしばしの間、詩に聞き入っていた。
「ただいま。母さん」
「……おかえりなさい。ベルンハルト」
帰宅の挨拶が耳に入ると、少女は笑顔でベルンハルトを迎え入れる。
……その瞳は虚ろなまま。
愛おしく、大切な宝のように抱きしめる。
……光の灯らぬ瞳のまま。
「今日はどんなお話をしましょうね」
「……冒険者として活躍した話が聞きたいな……」
「うふふ。ベルンハルトは冒険者になりたいんでしょ。ダメよ。あんな危険な仕事はー」
人は許容量を超える暴力を受けると、己を守るため心が歪になることがある。
外界からの刺激を完全に遮断し、己を客観的にしか見れなくなる例然り、
暴力を愛と置き換え、すべてを受け入れる例然り……。
中でも彼女に起きた変化は歪だった。彼女の脳は生まされた寄生鬼の子供を大事な人との間に生まれた子供と置き換えた。
愛情の全てを注いだ。
人としての知識を与えた。
人としての生き方を教えた。
人としての道徳を教えた。
人の文字を教えた。
武器の扱いを教えた。
罠のし掛け方を教えた。
毒の調合を教えた。
薬草の見分け方を教えた。
集団の統率の仕方を教えた。
人がどう考え、どう行動するのかを教えた。
間違えを間違えと解き、正義を教えた。
しかし、彼の本能は、彼が習った悪そのものである。
彼の中には様々な矛盾があった。
様々な葛藤があった。
様々な苦しみと戦いながら母親の口から紡がれる物語を聞いていた。
彼はひたすら耐えた。耐えれば耐えるほど、脳が叫ぶ。
――種を犯し、蹂躙し、食い殺せ。
それを再び彼は鉄の意思で押さえ込む。
そして、彼は世界を破壊し尽くすほどの衝動と、冥府を流れる川のような冷静さを併せ持つに至る。
彼女は優秀な冒険者だった。
そして、彼女の腹から生まれた寄生鬼は人族にとって最悪の化物として育てられていた。