14 ハマチまたはブリとイカ
――昼下がり
一通りの執務を終えて、個室に設けられたやや広めのベランダでフリーダは優雅にくつろいでいた。
フリーダが背を預けるシェーズロングのインテリアチェアは角度が高めになっており、リクライニングチェアを最大まで倒したかのような仕様だ。
朝とは別の側使えが温められたポッドからミルクティーをカップへと注ぐ。紅茶用のカップとして作られたそれは、背が低く幅広に造られており、カップの淵には花柄と金色の装飾が施されている。一帯には人工的に整えられた緑と、花が規則正しく咲き乱れていた。
シェーズロングに腰をかけカップを口へと運ぶ銀髪のフリーダ、お菓子を用意しようとしている赤髪の側使え、フリーダの背後に控える金色の長髪をした親衛隊長のヨアヒム。花々や木々、昆虫や鳥を除くと、その3人だけがその空間を彩っていた。
「昼間の件ですが、調査に向かわせなさい。あれを使って構いません」
紅茶に目を向けたまま、フリーダは指示を出す。
長いまつげの間から覗かれたその目は静かであった。
「はっ。下流のほうでよろしいでしょうか」
「ええ。まだ今回の件では精錬所が原因と判明しているわけではありません。……念のためですが、あと少しで予定の数が揃いますから事を荒立てないように」
「承りました」
親衛隊長は命令を確認し一礼すると、長い髪がふぁさっとしなだれる。果たして、彼の髪はストレスで失われるのだろうか。彼は一礼ののち、室内に戻っていく。
「あなたも部屋へ」
残る側使えも令を受けた後、会釈をすると室内へと踵を返す。
――フリーダにようやく一人だけの時間が訪れた。ベッドに陽の光がさしてから昼下がりまで、常に誰かが彼女の側にいた。護衛も兼ねているのだろう。そのため、彼女はこの昼下がりの休憩まで一人になれていなかった。
あと少し……
彼女は妖艶な笑みを浮かべ、カップに口をつける。彼女は戦争を待ちわびていた。そのために小競り合いを我慢し、2年もの歳月の間、黙々と準備を整えていた。……盗賊退治や罪人の処刑ゲームのような、多少の息抜きは必要だったが。
「うふふふふ……」
文字通り血沸き肉躍る殺戮の宴を想像し、思わず笑い声が漏れる。彼女は上機嫌で笑いながら、無意識に右手で青銅の鏡をくるくると回していた。
くるくるくるくる。
くるくるくるくる。
鏡は手のひらで弄ばれ、反射光を縦横無尽に走らせる。
――ふと、壁に映った反射光が、彼女の目に入る。
「ん?」
一瞬のことだったが、フリーダはそれを捉えていた。
訝しげにしげしげと鏡面を見つめるフリーダ。
彼女は太陽の位置を確認すると、陽光を意図的に城壁に反射させた。
そこには複雑で緻密な文様の図形が浮かんでいた。
「魔鏡か……」
再び鏡をくるりと返して鏡面を覗く。魔鏡とは裏側に図形を掘っておき、陽の光に反射した際の反射光の位相差を利用して浮かび上がらせる技巧が施された鏡のことを指す。そのため、正面から覗いても変哲もない鏡としか認識できない。
「思ったより高価なものだったか」
彼女はくすりと笑うと、再び右手で鏡を弄びだした。
くるくるくるくる。
くるくるくるくる。
カッ!
――突然、付近の茂みから強烈な光が発される。
「くっ!」
フリーダの視界に収まっていた緑の景色は突然の眩い光に奪われ、完全に白一色になる。
目くらましにより視界を奪った後の強襲。彼女はこの現象の最悪の可能性をそう考えた。よって、彼女は続けて襲い掛かるであろう敵に備え、カットラスを抜き、壁を背に構える。
……しかし、待てども追撃はなかなかやってこない。
なぜ攻撃が来ない。――私の命が目的ではないのか?
もう少しで目が慣れる。――あと数秒か?
兄の手のものか? ――いや、戦前のこの時期ではありえない。
ダルマスか? ――やつは戦略は立てるが、こずるい手は嫌っているはず。
だめだ、今は考えるな!
まずは神経を周りに集中させて、全力で迎え撃つ!
フリーダは発散しそうになった思考をかなぐり捨て、迫りくる対象者への反撃のみへと絞る。
――結局、彼女の視界がもとに戻るまで、何の変化も訪れなかった。
不可解な状態に疑問を感じえないが、まずは謎の発光前後で周囲に違いがないかを確認することにする。
違いはすぐに見つかった。
……花畑で魚がピチピチ跳ねていたからだ。
ハマチだ。いや、もしかしたらブリかもしれない。
以上から導き出される結論は、『襲撃者は厳重な警備をかいくぐり中庭に忍び込み、フリーダが一人になるのをひたすら待ち、一人になったタイミングで発光体により目をくらませたあと、ハマチまたはブリを置いて去っていった』となる。
ありえない推論に彼女は頭を抱える。
他の可能性としては、今回のことで注意をひきつけ、その間に何か仕込みを済ませるというところだが、ここまで忍び込めるものがわざわざ注意をひきつける意味がわからない。しかも、何かの番をしている人間ではなく、王女に対してと考えると論理がさらに破たんする。
彼女は考えながら、再び右手に収まっていた鏡を回しだした。
くるくるくるくるくるくるくるくる。
くるくるくるくるくるくるくるくる。
カッ!
――再び、付近の茂みから強烈な光が発される。
フローラの視界は再度奪われる。
先ほどの強襲は失敗しただけ。今度こそは襲い掛かってくる。先の時に人を呼ぶべきだった。彼女は己の失態に舌打ちする。再び、続けて襲い掛かるであろう敵に備え、彼女はカットラスを抜き、壁を背に構える。
……しかし、待てども追撃はなかなかやってこない。
視界が戻った後、彼女の目に入ったのはイカだった。長い足をくねくねさせながら、地面をもがいている。ちなみに先のハマチはぐったりしていた。鰓呼吸だからだろう。
可能性としては、『襲撃者は厳重な警備をかいくぐり中庭に忍び込み、フリーダが一人になるのをひたすら待ち、一人になったタイミングで発光体により目をくらませたあと、ハマチまたはブリを置いて身を潜める。さらに隙ができたフリーダに対し再度目くらましを行い、イカを置いて去っていた』……流石に愉快犯でもそれはありえないから。
彼女はあらぬ方向に進んだ考えを自ら否定する。
……まさか……
彼女は何を思ったのか、右手におさまっていた鏡に目を向ける。
彼女の目に映ったのはいつもどおりの何の変哲もない鏡――ではなかった。鏡面にはいつの間にか長々と文字が綴られていた。
その文頭には、こう書かれていた。
『魂狂の取り扱い方法
~作:イズマエル~』




