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10 死

 「Hilfe! Vati!」

 「Nina! Warte, ich werde dich jetzt retten!」


 数とは力である。増援の数は味方の総数が敵と拮抗することが最低の条件だ。よって、少き敵には即対応できるが、多くの敵には準備が必要になる。優れた為政者は状況が把握できないときでも、最悪を考え次善の手を打とうとする。敵が多ければ簡単に考えられる手では籠城が最適だ。ここまでは……攫うまでの作戦は良かった。


 問題なのは逃走だ。


 バジル騒動が息を潜めれば、村の中の人々は外を確認しようとする。見張り台は壊れても、他にも高い建物はある。なければ、簡易的に足場を組み上げれば良い。よって、人族を(さら)って逃亡しようとする三匹のゴブリンは即見つかる。

 門は閉じても村の外に出ることは可能だ。内側からはしごを掛ければ良い。馬などの足が速い移動手段は限られるが、走って追えば良い。そして、6人……うち4人は死体だが、それを手押し車で運ぶ逃走者達はどうしても移動速度が遅くなるからだ。



 「Nina! Warte!」


 ベルンハルト達は、6人の人族に追われていた。


 5人は武装している。1メートル以上の剣を片手に、もう片手に盾を持っている。防具も革ではない。金属の軽鎧だ。おそらく兵士だろう。残りの1人は白い服に身を包んだ身の丈2メートル近い筋肉質な大男。服にはBäckereiベーカリーと刺繍がされている。パン屋なのだろうか。その大男はしきりに大声をあげている。


 2つの集団の距離は500メートルほど。『夜の森』は遥か遠く。追いつかれるのは時間の問題だった。


 ゴブリンの身体能力は人族とさほど変わらない。不意をつかない限り、3匹のゴブリンが6人の人族に勝つことはない。ましてや武装した人族にかなう理屈はなかった。



 「クレメンス、追ってくる人族はその雌の親らしい。そいつを捨てて、その間に逃げよう」

 「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。おおお、俺の雌。俺の雌」


 走りながらクレメンスに提案するベルンハルト。

 同じく走りながら意見を否定するクレメンス。彼の中ではいくつもの感情が乱れているのだろう。その目には涙が溢れていた。


 「オスカー。手押し車ごと捨てろ。逃げるぞ」

 「うううううう。わわかった」


 ベルンハルトの言に悔しそうな顔をするオスカー。クレメンスとは異なり、彼は欲望より自分の命を優先させることにしたようだ。車を止めると、手を離し走り出した。


 「うああああああ。嫌だぁぁぁ」


 地に置かれた手押し車の取っ手を掴むクレメンス。必死に4体と2人の積まれた車を押す。力自慢のおスカーと比べ、その歩みはより遅くなる。必然的に彼はベルンハルトやオスカーと離れ、3匹だった集団は、2匹と1匹になる。


 「馬鹿が……走るぞ……オスカー……」


 もはや説得している時間はない。そう判断したベルンハルトは苦い顔をして告げる。


――しかし、オスカーは足を止めた。


 「……ごめ。くくクレメンス、とと友達」


 悟ったような優しげな笑顔をみせると、彼は盾と棍棒を手にクレメンスの元へと戻る。


 「馬鹿が……馬鹿が馬鹿が馬鹿がぁぁぁぁ!」


 ベルンハルトは後ろを振り返らず、『夜の森』へと向けて走り出した。


 鼓舞の奇声

 金属がぶつかる高い音

 固いものを殴打する音

 痛みによる叫び声

 何かが倒れる音

 安堵と喜びの声


 ベルンハルトの耳にいくつもの音が届いた。ベルンハルトは立ち止まらず、振り向かず、必死に森へと駆けた。目からは涙が流れる。その涙は恐怖からか、後悔からか、はたまた別離の悲しみからなのだろうか。



 * * *


 彼は森の中をかけていた。いつの間にか森へと自分達の領域へと帰ってきていた。そのことにようやく気づくと、ゆっくりと足の動きを止めていく。


 「ハァハァハァ……」


 彼は後ろを振り向く。人族も2匹もそこにはいなかった。


 「ハァハァハァ……」


 限界を越えていたのだろう。汗は滝のように流れ、膝は悲鳴を上げるかのように震えていた。


 「ハァハァハァ……ちくしょう。畜生畜生畜生畜生ぉぉぉ! 何で言うこと聞かないんだよ。言っただろうが、失敗したら全部捨てるって! 畜生畜生畜生畜生ぉぉぉ!」


 ベルンハルトは地面を何度も殴る。


 口から出る言葉とは裏腹に、彼の瞳は悲しみに満ちていた。



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