第8話
ドクドクから徒歩十数分の場所にある、人気のない小さな公園。
そこの長ベンチに、姫タル俺と鈴音ちゃんは横並びに座っていた。
向こう側には狭く汚い公衆トイレ。俺はいつも、ここで姫タル衣装に着替えている。男女共同だから、どちらの姿でも気兼ねなく入れるのだ。
彼女は、もじもじと恥ずかしそうな表情で膝元に視線を落としている。
俺氏、人生初の女子とのツーショット。
しかも相手は、ずっと密かに片思いをしていた鈴音ちゃんである。だが、どうやらそんな甘ずっぱい気分に浸れるような雰囲気ではなさそうだ。
先ほどの彼女の台詞が、頭の中でリフレインする。
【彼女は、わたしたちの大切な仲間なんです。友達なんです】
友達……か。
これ以上、彼女たちとの距離を縮めてはいけない。だから、ずっとバンド加入を拒んでいる俺である。だけどさすがに、ちょっと心がぐらついた。ていうか不覚にもウルってしまったじゃないか。
そろそろ陽も傾きかけた頃、彼女はようやく重い口を開いた。
「ツバメちゃんからツイッターのメッセで聞いているかと思うんですけど……。わたし最近、ネカマのストーカーに付き纏われているんです」
俺は前日の翼さんからのメッセを思い浮かべた。
【燕】『姫、一度スズと二人っきりで、じっくり相談に乗ってやってもらえないかな?』
このツーショットの流れも、おそらく翼と事前に打ち合わせ済みなのだろう。
「その相手とは、高校入学当初ぐらいから仲良くしていたんです。ツイッターで知り合った、同じO県に住むロック大好きJKとして。最初は本当に人懐っこくていい子だったんです。でも次第に高圧的なツイートで絡んで来るようになって……」
最初は善人ズラのフォロワーに、リプやメッセでネチネチ絡まれる。ツイッターあるあるだ。
「あんまりしつこいんでミュート掛けたんです。ブロックは気を悪くするかなと思って……」
ミュート、ブロックしなくても相手のツイートがタイムラインに流れてこなくなる機能だ。俺も頻繁に活用している。5ちゃんねらーらしき連中に絡まれることが多くて困っているのだ。
「でも今度はしつこくメッセを送りつけてくるようになって。それでさすがにブロック掛けたんです。そしたら、すぐさま別のアカウントからこんなメッセが……」
鈴音はポケットからスマホを取り出し操作した。ツイッターの画面を開いて俺に差し出す。
「これは……」
【Deathメ樽】『てめこらスズメ。なにブロックしてんだよ。俺、実は男なんだよ。こっちが本垢だ。オマエ聖女の軽音バンドのボーカルなんだろ? ほんでK市からギター担いでJR山陽本線の電車で通っているんだよな。悪いけどすべてネタバレ済みなんだよ』
髑髏マークの不気味なアイコン。その後にも延々と毒メッセが続いていた。
【Deathメ樽】『何度ブロックしても無駄だ。何度でもネカマ化けして副垢作りゃあ済む話だからな。俺から逃げられると思うなよ』
「わたしバンドの宣伝だと思ってプライベートなことも晒していたんだけど……」
SNSなんて退会してしまえば済む話だが。現状ツイッターはネットで活動するアマチュア・クリエイターにとって、欠かせない営業ツールなのだ。だからこそ彼女もバンドの為にと、続けているのだろう。
「姫さまはわたしなんかよりも、ネットの有名人でずっと輝いているから。きっと、こういう被害も多いんですよね?」
鈴音は膝の上でぎゅっと拳を握った。
「許せない。女の子を装って女の子に近寄るだなんて。わたしそんなの絶対に許せない」
何も言えない。俺なんかに何も言う資格はない。
「姫さま、わたし怖い。これからどうしたらいいですか?」
すがるような視線。鈴音の瞳からじわっと涙が溢れ出す。肩が小刻みに震えている。
「信じてたのに……ネットで知り合った仲だけど。その子のこと友達だって信じてたのに……」
真夏の夕日が足元に長い影を落とす。彼女は姫タル俺にすがり付き、細い肩に顔を埋めた。
俺氏、女子に泣きつかれる。
こんな経験、初めてだ。しかも相手は片思いの大好きな子。だけど俺には、気の効いたアドバイスを言う事はおろか、優しく肩を抱いてあげることすら出来なかった。
JKと偽りみんなを欺く、クズなネカマ野郎の俺には……。
◇
鈴音ちゃんをK駅まで見送った後。俺は再び公園へと向かった。
細い肩には駅のコインロッカーから取り出したショルダーバッグ。中には普段着が入っている。公園の公衆トイレで着替えて自宅へ戻るのだ。
ふと背後を振り返る。そこには二十メートルぐらい離れた場所に人影が。
人影は俺の視線に気付くと、慌てて踵を返した。
実は最近、駅周辺で誰かに付け狙われているような気配を頻繁に感じている。
「……まさか、俺にストーカー?」
◇
「最近、スズメちゃんが元気ないのだ」
何時ものファミレスにて、何時もの配列で座るメンバーたち。今日も姫タル俺以外は制服だ。
「そこでヒナちん、こんな名案を思いついたのだ」
今日は関西弁じゃないな。キャラ作ってるのか。天才バカボンのパパっぽいぞ。
陽菜が立ち上がった。ビシッと美羽を指差す。
美羽の手には夏目漱石『明暗』の文庫本。たしか漱石の遺作で未完に終った作品だ。
「明暗だけに名案なのだ。ねっ、ミューちゃん」
美羽がフッと薄い唇を歪めて微笑む。陽菜は通学鞄から一枚の用紙を取り出した。
「じゃかじゃん!」
『聖女軽音お疲れサマーツアー! ~女だけの夏の海合宿♪~』
手書きのレジュメ。POPなイラストが満載だ。やたらと上手い。
陽菜は聖女のデザイン科の生徒で、進路は美大志望。メンバー全員のツイッターイコンも彼女の自作である。芸術家のタマゴなら、不思議ちゃんな電波キャラも納得かもだ。
レジュメに目を通す一同。
日時は一週間後の三泊四日。場所はS市U窓海岸沿いの大型ログハウス。広いホールではパーティー用の音響設備も整っている。近くにはビーチは元より天然温泉の露天風呂もある。
そこは冬堂家つまり美羽の別荘なのだとか。仲良し同士のお泊まり会なので、学校に許可を仰ぐ必要はないのだ。
「むふふのふ、実はミューちゃんとふたりでナイショで進めていた極秘プロジェクトなのだ」
まじか。しかもあの、はぐれメタル美羽との共同企画とは。
陽菜ちゃん、何時もは美羽の文句ばっかり言っているくせに。女子の人間関係ってのは実に分からないものだ。
「この際、じっくり確認しておきたい事もあるしね」
美羽は意味深な口調で俺をチラ見した。
「おおう、いいじゃん。なっ、スズもそう思うだろ」
翼も激しく同意する。
「うん、楽しそう。バンドの練習もしっかり出来そうだし。ミューちゃんにヒナちゃん、素敵なイベントを考えてくれて本当にありがとう」
鈴音は久々に満面の笑みを浮かべた。
「当然、姫ちんも絶対参加なのだ」
ニヤリと笑みを浮かべる陽菜。サイドテールを掴んでしならせる。
それをフェンシングの剣のように、ピシッと俺の鼻先へと突きつけた。
「姫ちん、来ないと死刑なのだ」