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第2話 会いたい人

 心地よい。


 ふわふわと空を漂うような感覚。


 暖かなぬくもりに包まれる。


 こんなにも満たされた気分は、少なくとも物心ついてから一度もなかった。


 きっと空高く漂うあの白い綿菓子のような雲に乗ることができたなら、きっとこんな心持なのだろう。


 正に、文字通りに夢心地だった私の意識は急激に浮上した。


 「…あ、」


 ここはいったいどこなのだろう。


 少なくとも、普段私が使っている寝室ではないことは確かだ。


 見慣れぬ天井。


 着慣れぬ寝間着。


 使い慣れぬ寝具。


 シミ一つない天井。


 糊のきいた真新しい寝間着。


 趣向を凝らしたデザインの良い管理の行き届いた寝具。


 私は、勢い余って超高級ホテルにでも泊まってしまったのか。


 上半身を起こして、記憶を辿るもどのような経緯で今、私がここにいるのかを思い出せない。


 頭が重く、思考が遅い。


 私は、いったいどれほど眠っていたのか。


 不意に部屋の扉がノックされる。


 ノックをした主は、未だ私が眠っていると思っているのか、ノックは形式上しただけに過ぎないようで私の返事を待たずに扉は開かれる。


 扉を開けて部屋に入ってきたその人は、ノックをしたその人物は、嫌な笑顔を顔に張り付けた"老紳士"だった。


 「あ、あっあ、あ゛あ」


 唐突に突然にあの夜の情景が一斉に一気に一瞬に私の脳裏にフラッシュバックする。


 あの恐怖、あの屈辱、あの痛み、あの快楽。


 「や、いやぁぁぁ。こないで、やめてぇぇ」


 「お、落ち着いてください。大丈夫ですから安心してください。」


 ベッドから落ちながら、這うように逃げる私を強く抱きしめるのは、老紳士ではなく、老紳士どころかまさかの同性の侍女だった。


 「はぁ、はぁ、はぁ」


 「大丈夫、大丈夫。」


 侍女は私を抱きしめながら安心させるように、落ち着かせるように背中を優しく撫でる。


 その行為は、正に私を落ち着かせることに対してかなり有効だったようだ。


 「あの、すいません。取りみだしたりて。も、もう大丈夫ですから。」  


 「そうですか、立てますか。立てないのなら遠慮せず私に掴まってください。」 


 立ち上がろうと、足に力を入れてみるもさながら生まれたての小鹿のような状態だった。


 これは、あの夜の後遺症のせいなのか、寝過ぎにによるものなのか。


 いずれにしろまともに歩けそうにない。

 

 「まだ、歩けないようですね。どうぞ私に掴まってください。」


 「でも、」


 「遠慮なんてしなくて良いんですよ。さ、どうぞ。」


 にっこりとほほ笑む侍女さんの善意はありがたい。


 ありがたいのだけれど、どうも他人に助けられることに抵抗を感じる。


 あの世界スラムで生きてきた身としては、助けられることに大きな対価を求められるようで・・・怖い。


 "無償の愛"なんてものもないだろうけれど"無償の善意"なんてものも信用ならない。


 「さ、慌てなくて良いのでゆっくり立ち上がりましょうか」


 なんてことを頭の片隅で考えているうち、侍女さんは私の腕を肩に回していた。


 「…ありがとうございます。」


 無事、ベッドへと帰還した私に布団をかけながら侍女は言う。


 「今、先生を連れてきますので、休んでいてくださいね。すぐに戻りますから。」


 「あの、私はどうしてここにいるのですか。」


 「ああ、ごめんなさい。そのことでしたら私も詳しいことは聞かされていないんです。先生の診断の結果が良ければ、旦那様からお話があると思いますよ。」


 「そう、ですか。」


 部屋を出る侍女さんを見送る。


 旦那様ということは、彼女の主なのだとは思うけれど私には、侍女を雇いかつこんな立派な部屋を提供できるような知り合いなんていない。


 脳裏を過るのは、大久保のことを思い出したと同時に思い出すことのできた意識が途切れるその瞬間まで私を抱きかかえてくれたあの騎士と名乗る青年。


 私にとって初めての優しい温もりを与えてくれた男性ひと


 "旦那様"があの人であって欲しいという希望的観測に我ながら呆れてしまう。


 そんな訳がないのに。


 再び部屋の扉がノックされる。


 あの、侍女さんが先生を連れてきてくれたのだろう。


 今度は、部屋の扉が勝手に開くことはない。


 「・・・はい。」


 「失礼します。先生をお連れしました。」


 「失礼するよ。」


 侍女さんの後ろから現れたのは、先生というイメージとは、ほど遠い大柄な初老の男性(医師)だった。


 クマみたい。


 「それでは、先生お願いしますね。」


 にっこりとほほ笑む侍女さんに頷き"クマ先生"はベッドの横に備えついていた腰掛けをズズッと引きづり自分の元へ手繰り寄せるとどっこいしょっと腰掛ける。


 椅子がギィと小さく軋んだ。


 「ふむ、ではいくつか質問させてもらうが。良いかね?」


 「はい。かまいません。」


 「会話が可能のようだし、意識は、はっきりしているようだね。」


 「はい。はっきりしています。」


 「身体に痛みはないかい?」


 「痛みはありません。」


 「それじゃあ、手足に痺れは?」


 「手に痺れはありません。自由にうごかせます。でも両足が・・・」


 「足にはまだ、痺れが残ってるようだね。」


 「はい。」


 「少し、足に触れても構わないかい?」


 「・・・はい。」


 正直、触れられることに抵抗を感じるがこれは触診なのだから仕方がない。


 クマ先生は、私の足に刺激を加えその反応をみているようだった。


 「この足の痺れは、あそらく投与された薬のせいだろう。」


 ・・・薬。


 大久保に無理やり打たれたあの注射。


 「だが、この反応からしてすぐ歩けるようになるだろう。正直おどろいたよ。」


 「えっ?」


 「君のこの回復力に。君に投与された薬は、適量の10倍以上の濃度があった。普通ならば、意識が戻ることさえ難しいだろう。」


 "回復力”


 クマ先生の言うそれには、心当たりがあった。


 私は、あの不衛生なスラムで病気一つしなかった。


 それに、多少の怪我なら一日かからず回復してしまうこともあった。


 始めは、それが普通のこととばかり思っていたが、周囲の子ども達を見ているうちに違うということに気が付いた。


 それからは、この異常な回復力のことは誰にも告げていないし、もちろんこれからだって隠し通さなければならない。


 知られたら最後、どんな扱いを受けることになるか簡単に想像できてしまう。


 「顔いろも良いようだし、多少なら面会も可能だろう。」


 「そうですか。それでは、旦那様をお呼びしてもかいませんか。」


 「ああ、だが無理は禁物だ。彼女だって慣れぬ場所では気疲れもしよう。」


 「極力、旦那様には手短に済ませていただくよう私からお話いたしますわ。」


 「ふむ、それがいいだろう。では、お嬢さんお大事にな。」


 「どうもありがとうございました。先生。」


 「うむ。」


 クマ先生は、ノシッと立ち上がると侍女さんに目くばせをし部屋から出て行った。


 「それでは、先生のお墨付きを頂いたので旦那様をお呼びします。かまいませんか?」


 「はい。こちらこそお願いします。」


 大久保の元から助けられた私がいったいどうなったのか、どうしてここに置いてもらえたのか気になるところではある。


 場合によっては、ここから逃げ出すことも考えなくてはならない。


 それに正直に言ってしまえば、旦那様があの青年であって欲しいという希望と、もう一度あの人に会いたいという願いがあった。


 「それでは、旦那様をお呼びしますので、もう少々お待ちくださいね。」


 そう言って侍女さんは、自身の主を連れてくるために再び部屋を後にした。


 次にあの扉が開かれたなら、そこにいるのは、彼であって欲しい。


 しばらくして、具体的には1時間くらい経ったころ、やけに大きく感じられるノック音が響いた。


 さすがは、"旦那様"は多忙らしい。


 クマ先生の時と比べるとかなりの差だ。


 「…ど、どうぞ。」


 クッションを背にあてがってベットに座り直し返事をする。

 

 心なしか声が震えている。


 扉を凝視してしまっていたらしく扉を開け先に部屋へ入室した侍女さんと目がばっちりあってしまった。


 ・・・恥ずかしい。


 咄嗟に視線を膝元に落とし視線を外す。


 「失礼するよ。やぁ、年頃の女性レディの部屋に入ると思うと緊張してしまうね。」


 低めの声に引き上げられるように顔を上げ侍女さんの後ろへ続く旦那様をそっと盗み見ると現実を突きつけられる。


 期待していたようなお伽話に登場するお姫さまのようには、物事は進んではくれないらしい。


 そこには、私が望む彼は、やはりいなかった。


 「医師の診断によると、少しなら話もできるってことだったらしいし、君も話を聞きたいとのことだったからね。お邪魔するよ。」


 旦那様は、言いながらベットまで近づくとクマ先生が座ったあの椅子に腰かけた。


 と同時に侍女さんは、部屋の隅へと移動する。


主の話を邪魔しないための配慮なのだろう。


 年齢は、30代半ばといったところだろうか。


 短かめの茶髪を後ろに流した髪型に細見の長身。


 「それじゃあ、まずは自己紹介から始めようか。初めましてお嬢さん、僕の名はブラウン・バレッド。自他ともに認める愛妻家さ。ああ、それとついでにしがない貴族をやってるよ。」


 「えっ」


 今、この正面に座っている陽気な人は、今何と言った?


 "ブラウン・バレッド"


 そう言わなかったか?


 「あの、」


 「ああ、心配しなくても僕は君を悪いようにはしないよ?今、言った通り僕は、妻一筋だからね。」


 「いえ、そうではなくて。」


 「うん?ああ、申し訳ないが、僕に惚れてしまったと言うのなら、次の恋を探してもらうしかないかなぁ。ほら何度もいうように僕は妻一筋だからね。」


 「う、うん゛。旦那様!」


 戸惑う私を見かねて侍女さんが、大きく咳払いをし助け舟を出してくれた。


 「ああ、すまんね。ついて悪ふざけがすぎた。はは、えーとそれでは、仕切り直すとしてまずは、お嬢さんの名前聞かせてもうらおうかな。」


 いやいや、と右手で後頭部を抑えながらブラウン・バレッドは笑う。


 「あの・・・私は、わ、私には名前がありません。」


 「へぇー名がないのかい。まぁ聞くところによると君はスラム出身だったね。スラム出身者で名がないのはそう珍しくもないか。」


 確かにそうだ。スラムでは私のように自身の名前を知らず生きていき者がいる。


 まぁ、生活する上で便宜上の"呼び名"はあるが、今その呼び名を自分の名前だと応えたくなどなかった。


 「あの、貴方が私を助けてくれたのですか?」


 「ん?まぁ結果的にはそうなるのかもしれんが、僕の目的が君を助けることじゃあない。僕の目的は、あの夜奴隷オークションに関わった人間すべてを殺すことそれで全てさ。君が助かったのは、その副産物にすぎないのかな。


 ブラウン・バレッドは平然と当然のように笑いながらそう言った。


 「そう関わったもの全員だ。加害者だろうが、被害者だろうが全員。禍根を残さず解決するにはそれが手っ取り早い。」


 「ッ。」


 ぜ、全員とはそういうことだったとは夢にも思わなかった。


 つまり、やはりあの夜私は死んでいた。


 「気を悪くしたのなら謝るよ。でもああいったオークションで買われた人間は特に君のような目にあった人間は、ほぼ確実に復帰は無理だ。そうだろう?普通正気ではいられないよ。むしろ死こそが救いとなる。それでも君は助かった。退紅白兎あらぞめはくと君に助けられた。」


 退紅白兎あらぞめはくとそれが、私を助けだしてくれた人の名。


 私に温もりお与えてくれた人の名だった。


 「まぁ、彼にも困ったものだよ。こんな面倒事を僕にどうしろって言うのだろうね。さて、今度は、僕からも質問なんだけれど・・・君はいったい何だい?」


 先ほどまで笑って殺すなどと話していた貴族様が一瞬で鋭い視線と圧迫感を発している。


 「ッ!」


 息苦しほどの圧迫感。


 大久保なんて子供のようだと思えるほどに。


 「ああ、すまんね。つい熱くなってしまった。長時間に渡る凌辱の傷の回復に、投与された毒素に対する抵抗力。とても普通の人間とは思えないなっと思ってね。さながら不死身の吸血鬼のようだよ」


 「・・・」


 沈黙が続いた。


 具体的に何だと聞かれても私自身ですら把握しきれないこの身体を説明できるわけもなかった。


 決して言う気もないけれど。


 「黙んまりか。まぁ良いだろう。それで、僕から提案なんだがどうだろう。何処かで働く気はないかい。」


 突然に、唐突に、変わる話の内容に付いていくことができない。


 急に働き口を斡旋された。


 「はぁ・・・」


 「いやいや、それほど難しい話でもないんだが、つまり図らずも助かってしまった人間をまたスラムに返してしまったのでは、治安維持長を任される貴族であるこのブラウン・ブラッドの立場上問題があると思わないかい?」


 まぁ確かにそうかもしれない。


 保護した人間を治安の悪いスラムへ還せば、治安維持という面から言えば決して褒められないだろう。


 ましてや、その還した人間が更に治安悪化を進めれば目も当てられないといったところだろう。


 「ある程度なら、融通もきかせられるとは思う。何ならこの屋敷で働いたって良い。僕としても可愛い侍女が増えることは大歓迎だ。」


 ブラウン・バレッドは満面の笑みで両手を広げ、受け入れ体制は万全だとアピールする。

 

 ・・・愛妻家はどこへ行った。


 でも、これは絶好の好機というヤツなのではないだろうか。


 トクンと胸が高鳴る。


 この部屋が開かれるまでに、私は何を期待していたのだったろう。


 ブラウン・バレッドはあのオークションの壊滅を、オークションに関わった人間を誰に殺すよう命じたのだろう。


 そして、殺されるはずの私を助けてくれたのは・・・


 "退紅白兎"


 未だ会うことの叶わないその人だった。


 そしてブラウン・バレッドは何といったか。


 (ある程度なら、融通もきかせられるとは思う。)


 そして彼こと退紅白兎は貴族であるブラウン・バレッドの騎士であったはず。


 「それで、どうするね?」


 その問いかけに対する答えは一つしかなかった。


 叶うことなら。


 望んでいいのなら。


 この胸の高鳴りを実現できるのなら。


 「私は・・・退紅白兎あらぞめはくと様の元へ行きたいです。」


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