偶像を支配すること アイドルマスター劇場版
アニマスの劇場版を観ました!! 感想と考察的な物。
アイドルマスターにドはまりして、かつ暇(そこ、ニートとか言わない!)なので、アイマス劇場版を友人から借りて観たのですが、ぞっとするシーンがあったのでその事を語ろうと思います。
ショックだったシーン……それは終盤辺りで、一人の少女がストレスで太ってしまうシーン。あのシーンほど、私はぞっとする映像を見たことがないかもしれない。皆さんは知人が太ったり、痩せたりしたのを見たことがあるだろうか。これは私の主観なのだが、それがあまりに急激だと、結構ぞっとしてしまうものだ。何故なら、心や精神と言った部分は表面上なら(荒が出るかもしれないけれど)いくらでも誤魔化せるのだ。しかし……身体は違う。私は太るシーンを見たとき、恐ろしくぞっとした。「そう簡単には変えられない! 変わらない!」というのを叩きつけてくるのが身体性だ。それは彼女が背負ってきた哀しみもあるのだろうけど、身体性としてのぞっとだ。
人間は体から逃れられない。ある哲学者や最近の研究で精神と言うのは身体の一部分でしかなく、身体に従属的な物であるということが分かっている。そうなると、あのシーンは非常に恐ろしく私には見えた。
女性が太ったことで得る精神的ダメージを外から受け、そして、その身体と自分自身が向き合わなければならないのだ。心や精神、つまり「自分」は自分でも良く分からないけれど「身体」は明らかにはっきりしている。鏡で見れば、それは一目瞭然であり、それは今までの自分の人生を映し出す。そこから逃げられないのだ。そして、それがアイドルであり、鏡(ファンやPや友人)と向き合う彼女を襲う、というのは恐ろしい。否、人間だれでも外見上で大きな変化があるのは恐ろしい現象であると言える。そう、自分自身と外界の偶像を操作すること、それは人間にとって逃れられぬ課題であり、だからこそ怖いのだ。アニマスでは意図的かはわからないが、そのような偶像と本物のズレみたいなものは見せなかったからこそ、あのシーンは怖い。いくらアイドルがやりたいって言っても、太っていては衣装が入らないし、踊りも心配(動けるぽっちゃりもいるけどさ)、それ(自分)と対峙しなければならない事がドンッて乗っかってくる感じがとても怖かった。
鏡から逃げる映画が「ブラック・スワン」である。あの映画は身体から発せられる物(自分)から逃げる映画だ。逃げた先にあったのは「自分」という自分で作り上げた偶像だ。あの映画と同じなら、太った少女の未来は映画ファンにはぼんやりと見えてしまうのではないか。私は心底ぞっとした。「ザ・フライ」のように逃げられない身体性は、人間を縛り続ける。「ザ・フライ」で主人公に待っていた物は身体性から逃れる最後の手段「死」だ。傑作二作で身体性に負けた二人は死に、狂気に取り込まれた。だからこそ、私は怖かった。
太った女の子が苦悩する理由とかは色々な方が考察してらしていうので省くが、私自身はそれを(身体性)をどうやって解消したかが気になる。私情で申し訳ないが、私は体質上とても痩せていて、それがずっとコンプレックスだった。恐ろしいと思うのは、それから逃げられない事。あの少女は果たしてどうそこから脱したのか。その過程が気になる。太る痩せる、という行為が正しいとか悪いとかはないからこそ、怖い。外見の変化は認知現実の変化である。とするなら、彼女は痩せる過程でいろいろなことを経験したはずだ。そこの選択が気になってしまう。それは人生を大きく変えるし、だからこそ怖い。
彼女は逃げたのか、それとも……それは映画だけではわからない。映画のテーマが変える! だったので、気になるなぁ。
あ、映画はすごく面白かったです。まだ終わりじゃないよな……ゲームはなぁちょっと高い(本体が)。てか、俺はゲーム苦手なんですよね。メタルギアとか雷電とスネークを何回殺したことか。
映画面白かった!! 考察とか読むとふむふむとなります。ちょっとでも興味を持たれた方は是非、アニメをどうぞ!!