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チャプター8

~職人通り~



「ん~、ちょっとやり過ぎたかな~。さすがのフォルちゃんもあっけにとられてたしなー。でも、あれくらいで行動を改めてくれる相手じゃないだろうし……」

 職人通りを歩きながら、一人先ほどの行動について考えていた。いや、実際にはその効果がどれほどあったのかを考えていた。あの忠告で、少しは自分を大事してくれればいいのだが、若いうちの無理は年を取った時に体を壊しやすくする。言ってもなかなか通じないかもしれないが、やはり、大切な友達の一人、健康に長生きしてほしい。

「そういえば、こうして何人の人と知り合って来たんだっけ」

 この300年、数多くの人々と知り合い、その全員と、死に別れて来た。人間の姿としては年を取らないという事を怪しまれないために、何度居所を転々としただろうか。そして、恐らくはこの街でも……

「えぇい、要らん事は考えるな! それより、フォルちゃんの事と、おじさんの浮気調査が重要なんだから!」

 ブンブンと大きく頭を振り、雑念を振り払う。周囲の住人が不審そうに見ているが気にしない。元気よく駆け出すと、おばさんの待つ竜の紅玉亭へと急いだ。




〜竜の紅玉亭〜



「ただいま〜。ごめんなさ〜い、遅くなっちゃった」

 エルリッヒは、勝手口ではなくお店の入り口から入って来た。急いでいる時は、こちらの方が都合が良い。仲に入ると、おばさんが厨房で支度をしていた。開店に間に合った事が何よりも救いだった。

「あぁ、エルちゃん、お帰りなさい。大丈夫だよ。こっちも一人でなんとかなったし、開店には間に合ったしね。さ、今日はエルちゃんが開店準備をする番だよ。でも、一応味のチェックもしてもらおうかな。どっちが先かは、お任せするよ」

 確かに、おばさんはもうする事をほとんど終えたのか、鍋の火加減を見ているだけだった。相変わらず、この手際は素晴らしい。

「じゃ、開店準備先しちゃいますね。っとと、お店の中、普段より綺麗? おばさん! もしかしてこれ!」

「えぇ? 掃除かい? だったら大した手間じゃないよ。うちの家みたいに、散らかってるわけじゃないからね」

 本当に、この手際には驚かされる。見習わなくては、という気持ちが、どこからともなく湧いてくるのだから、やはりこの人はこの街に於いて、「母」や「師」と呼ぶにふさわしい存在なのだと実感させられる。

「助かります〜! これならお店の準備も早くに終えられそう!」

 こちらも慣れた手際で椅子を並べ、テーブルを拭き、その上にランチョンマットを並べて行く。ここ最近始めたのだが、無骨な木のテーブルだけだったそれまでに比べて、遥かに店内が華やいで見える。

「よしっ、お店の準備完了! それじゃ、今度は味のチェックしますね。どれどれ〜?」

 これまた急いだ様子でおばさんの下ごしらえした食材や出汁を確認して行く。どれもしっかりとした味がついており、十分だった。主婦のベテランは伊達ではない。この十日間、何度そう感じただろうか。

 ここは高級レストランではなく、庶民的な料理を出す店だ。おばさんが数十年鍛え上げた家庭料理の味がいいのだ。後は、そこにエルリッヒの個性を加えるだけでいい。もっとも、それが一番大切で、一番難しいのだが。

「ん〜、私の味だと、少し黒胡椒を足すかな。ちょっと贅沢だけど、小さなこだわりっ」

 黒胡椒と言えば、エルリッヒが人間として生活を始めたばかりの頃は、それ一粒で金一粒と等価だった。産地までが遠く、そこまでの航路が危険だと言う事はもちろんあるのだが、料理に使うと味がピリリと締まり、痛みにくくする効果もあるので、長期遠征を行う騎士団の保存食に珍重された。とはいえ、そのような事情を差し引いても、なんであんなに高価だったのかしらと思う。航路の安定と大陸での苗木の育成により以前のように高騰しなくなったからかもしれないが、妙に冷静に捉えていた。

 香辛料としては確かに便利だし、とても美味しく仕上げられるのだが、そんなに重要だったのだろうかと、一種のムーブメントのような物を感じてしまう。

「ん〜、いい香り。ちょっと昔を思い出すな」

「本当だねぇ。これはいい香り。でも、よくこれだけちゃんと仕入れられるねぇ。黒胡椒って言ったら、それなりの値段はするだろう何か秘密でもあるのかい?」

 エルリッヒには秘密の交易ルートがあった。といえば聞こえはかっこいいが、単純に王都に来る以前に知り合った仲間の行商人に仕入れてもらっているだけだ。もっとも、そういう人脈を持っている事は、食堂の主という普段の肩書きを考えればとてもかっこいいのだが。

「ま、伊達に余所から来てませんよ〜?」

「なるほどね。今度さ、あたしにも少し売っとくれよ。これがあったら、もっと色んな料理が出来そうじゃないか」

 香辛料一つでワクワクできるのは、料理人と料理が嫌でない主婦くらいなものだ。そして、二人はまさにそれに当てはまる二人だった。

 開店準備一つとっても、一人よりも二人、楽しい時間が流れていた。




〜竜の紅玉亭 ピークタイム〜



「え〜? 明日は休みなの? おじさんそれはショックだよ!」

「だから〜、休みじゃなくて、私がいないだけで、ここにはおばさんが立ってくれますから。おばさん、私より料理上手だし、きっと私の味もちゃんと再現してくれますから、ね? 明日も来てくださいね!」

 お昼時、開店してから一体何度このやり取りをしただろう。「明日はおばさん一人で切り盛りをする」という事を伝えると、決まってこんな反応をされる。寂しがってくれるのはとてもありがたいが、お店が休みなのだと勘違いされては困る。結局は、若い娘がいいと言う事なのだろうか。そうだとすると、それはそれで少し寂しい。

 何しろ、人間年齢に換算してこそ二十歳そこそこだが、実年齢で言えば、覚えているだけでも400年は下らないのだから。あまりにも寿命が長い竜王族ならではの、特殊な話ではあるのだが。

(何にせよ、親しまれてるのはいい事、か。前向きに考えないとね)

 そんな事を、強引に結論めかして思うと、再び次なる客と向かい合った。




〜竜の紅玉亭 昼下がり〜



「ふ〜、片付いた〜」

「お疲れ〜。それじゃ、お昼にしようか」

 いつものように、一旦お店を閉め、片付けをしてから、世間よりも少し遅い昼食をとる。このひとときが、とても安らぐ。

 テーブルの上にお皿を並べ、ナイフとフォークを並べて行く。それは、お店に出しているメニューとは違うが、とても美味しいささやかな腕試しだ。

「今日はお魚かい?」

「そうなんですよ。ほら、朝の市場でライントラウトが上がってたから仕入れたじゃないですか。味を見ないうちにお客さんに出すのは悪い、なんてのは建前で、やっぱり最初は私たちで味わいたいなーと思って、こうして確保しておいたんですよ」

 それをずるいと見るか、グルメと見るか、意見は分かれる所だろう。だが、それをわざわざとがめ立てるような人間はここにはいない。もちろん、その本音を人に話すような事もない。そこにあるのは、ただただおいしい昼食の盛られた皿だ。

「それじゃ、頂こうかね」

「はい! っとと、おばさん、明日は一人でお任せしちゃう事になりますけど、大丈夫ですか? もしかしたらお客さん今日より少ないかもしれないし、私も一日中出歩くわけじゃないかもしれないけど、一人で任せちゃうのはやっぱり心配だなぁ……」

 手はしっかりと塩焼きにされたライントラウトを切り分けつつ、器用に食事と心配を両立させていた。

「ありがとうね。でも、普段のエルちゃんがやってる事なんだろう? それができないっていうんじゃ、おばさん主婦の名折れだよ。それに、この十日間何して来たとおもってるんだい。心配おしでないよ!」

 豪快な笑いと共に、勢いよくエルリッヒの頭を撫でる。くしゃくしゃと髪が乱れて行くが、大きくて温かい手に撫でられていると、不思議と心も温かくなる。

「そっか、そうですよね。ここは心配じゃなくて、信頼するところですよね。この十日間、どれだけ助けられて来たかを考えたら、むしろ私が焦っちゃうくらいですもんね。そう考えたら、ものすごく気が楽になりましたよ」

 心からの安心は、心からの力を生む。それが今は食欲となって顕現していた。

「ま、任せておくれよ!」

 その日の食卓は、いつも以上に話が尽きなかった。




〜つづく〜

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