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チャプター4

〜閉店後〜



「おつかれ〜」

「お疲れ様〜」

 今日の営業が終わり、片付けも終わり、二人は夕食の時間を迎えていた。それはエルリッヒにとってはいつも通りの、おばさんにとってはいつもよりも遅い時間の食事だった。

 二人は手にしたグラスを小さく打ち鳴らし、ささやかな乾杯をした。

「こうして飲む一杯は、生き返るねぇ」

「でしょう? 命の洗濯って感じがするんですよ」

 おばさんのグラスには南の土地から取り寄せた赤ワインが注がれている。そして、エルリッヒのグラスには、南西の土地から取り寄せているミネラルウォーターが注がれている。

 相変わらず、お酒はあまり好きにはなれなかった。まだまだ味覚が子供なのか、それとも人間ではない自分には適応しないのか。

 一応、飲んだ事はあるので弱い事はないようなのだが、積極的に飲もうとは思えないので、恐らくは前者なのだろう。

「はぁ〜、エルちゃん、毎日こんなに忙しくしてたんだねぇ。おばさんびっくりしちゃった」

「あはは、毎日の事だから、もう慣れましたよ。それに、毎日充実してますしね。そんな事より、今日は一日が長かったですよ、本当に」

 口を軽く湿らせてから、食事に口をつける。おばさんと共同で作ったまかない飯だが、我ながら美味しくできた。おばさんが手を入れてくれた皿はもちろん、自分一人で作った物も、である。

 自分の味覚は信じるに値すると、少なくとも実感できる。

「ごめんね、ほんと。おばさん、やっぱり迷惑でしょう?」

「ううん、朝っていうか夜中に起こされた事以外はそんな事ないですよ。お店は手伝ってくれて助かってますし、人といるって楽しいですし。でも、だからこそ、今朝言った事も本心ですから。結局、おじさんと何があったんですか?」

 いよいよ切り出した。穏やかな食事の時間に、空気を凍り付かせるかもしれない。休火山が噴火するかもしれない。だが、それでも訊かずにはいられない。

 それは好奇心ではなく、おせっかいでもなく、隣人として、そして身内同然に思っている者としての、当然の感情だった。

『仲直りしてほしい』



「あの唐変木がね……」

 重い口を開き始めたのは、食事も半分終わろうかという頃だった。

「浮気をしたんだよ」

「へ?」

 そのあまりの言葉に、つい間の抜けた返事が出てしまった。確かに喧嘩も多いが、それは全て些細な理由で、普段からとても仲のいい夫婦に見えていたのに、浮気?

 確かに、男は若い娘の方がいい、というのが一般的なイメージだ。しかし、この夫婦に限ってそんな事があるのだろうか。

「何か証拠でもあるんですか?」

「疑うのも無理ないよね。あたしだってねぇ、むやみに疑いたくはないさ。だけどね、最近あの人からいい匂いがするんだよ。あれは間違いない。女の子の香水だよ」

 香水のような物を使うのは、若い娘に限られる。しかも、それなりのお金がある家でないと無理だ。

 なるほど、香水の匂いというのは決定的な証拠かもしれない。だが、不意に疑問が浮かんだ。

「でもおばさん。浮気だったら、普通ごまかそうとするんじゃないですか? 証拠が残るって言うのはちょっと迂闊すぎるような……もしくはやましい事ではないとか?」

「あたしもそう思ったんだけどね。でも、証拠隠滅なんて手の込んだ事が出来るほど器用な男じゃないんだよ。だから、多分浮気で間違いないと思うんだ」

 疑いたくなる気持ちは分かる。証拠も一応は存在する。だが、それだけで家出まですると言うのは、やはり早計ではないだろうか。

「んー、それだけでも弱くないですか?」

「そう言うと思ったよ。だからね、あたしもあの人の後を追いかけてみたのさ。そうしたら、あれはお城近くの貴族通りの一角に消えて行くじゃないか。あたしらには不釣り合いな大きなお屋敷に、丁寧な執事に迎えられてさ。あたしゃそんな仕事を請け負った話は聞かないし、怪しすぎるのさ。で、その夜帰って来たあの人は、やっぱり香水の匂いがした。間違いないと思ったね」

 貴族通りとは、貴族や大商人など、お金持ちの数多く住んでいる通りで、本当は「エーレン通り」と言う名前がついている。それを、庶民が勝手に「貴族通り」などと呼んでいるのだ。

 確かに、エルリッヒにもそのような通りには縁がない。いくら竜の王族、姫だからと言っても、その家格は人間社会では通じない。

 縁があるのは、用心棒として雇われる可能性のあるゲートムントたちくらいなものだろう。

「確かに、私たちには縁がないですねぇ。でも、それなら尚更考えすぎじゃないんですか? だって、おじさんだって縁がないと思うんですよ。どういう縁でそんなお金持ちや貴族と知り合ったのか、さっぱり分かりませんもん」

「う! そ、それはそうなんだけどね。でも、怪しいのは確かだろう?」

 おばさんの言う通り、浮気だとしても、そうでないとしても、怪しいのは確かだった。実のところ、どうしてそのような所に行ったのか。

「まあ、謎は謎ですよね」

「だろう? だから、こないだ問いつめてみたのさ。そしたら、まあはぐらかす事はぐらかす事。やましい事がなきゃ、そう答えればいいのさ。でもそうはしなかった。間違いないね。それで、腹が立つからこうして家出して来たのさ」

 なんとも困った話である。思えば、この間の大げんかはこれだったのか。全く、いい迷惑である。

 しかし、いい迷惑と思っていつつも、この状況を楽しんでいる自分が、人と一緒に過ごす事を一日目にして暖かく感じている自分がここにいた。

 寝不足なのと、一日が非常に長く感じた事を除いて。

「さてと、それじゃあおばさん、私寝床の準備してくるから、こっちの片付け、任せちゃっていいですか?」

「もちろん。お世話になる身だからね。任せておくれ。それに、寝床の準備はさすがにあたし一人じゃどうにもならないしねぇ」

 けらけらと笑うおばさんからは、先ほどの少し重たい話をしている姿は見られない。

「じゃあ、お願いしますね」

「あいよ!」

 グラスに残った水を飲み干すと、綺麗に平らげられた皿を残し、二階へと向かった。



「さて、やりますか!」

 部屋を簡単に片付け、場所を作る。そして、おばさんがわざわざ持って来たという荷物をこれまた簡単に整理すると、その中からベッド用の布団一式を広げ、おばさん用の寝床を作る。自分一人しか寝られるようにしていないのだ。意外と大変な作業だった。おばさんの準備のよさに救われたとも言えるが。

「ふぅ〜、完了!」

 こうして、寝床が完成し、いつでも寝られる準備が整った。さあ、明日に備えて休息だ!



「おばさ〜ん! 上は準備ばっちりですよ〜!」

「ありがとね。それじゃ、寝ようか」

 こちらもすっかり夕食の片付けを終えたおばさんが応えてくれる。二人はまるで母娘のように遅くまで布団の中で語り合った。




〜つづく〜

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