恋愛とは釣りである
釣りで例えるなら、ようやく魚が釣り針に興味を示したというところだろうか。
同じ職場の鈴木ちなみさんと食事へ行く約束を取り付けることができた。グループ飲み会から少しずつ距離を縮め、焦らずに長い時間を掛けた甲斐があって、彼女も二人だけの食事だというのに快く返事をしてくれた。
後はどうやって目当ての魚に釣り針を咥えてもらうかというところだろう。それには強力な餌が必要だと考えられる。
とはいえ高価なプレゼントなどいきなり送ったら彼女も驚いて警戒してしまうかもしれない。それならば、彼女の好物で釣るというのはどうだろうか。
まずは彼女と親しい職場の人に「彼女とお昼に出掛けるときどういうところへ?」と聞いて情報を集めまくった。それらを踏まえて池袋にあるパスタの店を予約をした。さらに彼女の旅行好きという趣味に合わせて国内外の旅行ガイドを購入してネタを仕入れた。もうここまでやれば、魚が釣り針を咥えていると言っても過言ではないだろう。
そして、食事当日の夜がやってきた。
あらかじめメールで連絡をしていたので、彼女とは仕事の後で一緒に店へと向かう流れになっている。
数分経過する度に時計を確認していると、気がつけば就業時間を過ぎた事務室には四人しか残っていなかった。すぐにでも彼女の手を引っ張って外へ行きたい気持ちを抑えながらパソコンの電源を落としていると、後輩の清水という男が急に口を開いた。
「そういえば、中野さんって意外な部分が多いですよね」
なんだ突然、と私は後輩に不審な目を向けた。
彼はそんな視線など気にもしないという様子で言葉を続けた。
「職場の皆でバーベキューに行ったとき、中野さんが一人だけキャラ物の帽子を被って、女の子に迫ってたじゃないですか。まるでキャバクラみたいな遊び方でしたよ」
「キャバクラみたいな遊び?」
鈴木さんが驚くような声を上げた。
「あっ、鈴木さんはそのときいなかったですけど、それはもう凄かったんですから」
私は背中に汗を掻くのを感じた。脇汗はもうすでにぐっしょりとなっている。
確かにそれは記憶にあるが、そこまで酷い遊び方をしていたことはなかった。むしろ、一緒になって遊んでいたお前が言うか、と叫び出したい気持ちに駆られたが、そこは大人気ないと思ってグッと堪えた。
「そんなことはしてないと思うけどなあ」
と私は笑ってやり過ごそうとした。
その後、更衣室のロッカールームで彼女からメールが来た。
「ごめんなさい。今日は用事があったので行けなくなりました」と、短い文章が送られてきた。
どうやら魚はバレてしまったようだ。
(了)