何でも屋アリス
初めて僕の家に訪れたのは、NHKの集金人だった。集金人は僕がテレビを持っていると決めつけて、僕から金を取ろうとした。だけど僕はテレビというものを全く持っていなかった。液晶テレビやプラズマテレビといったものはもちろん、スマートフォンにワンセグさえ付いていなければ、パソコンにテレビチューナーも付いていない。僕はそのひとに家の中に上がってもらい、本当にそれらがないことを確かめてもらった。そのひとはワンルームをぐるっと見回しただけだけど、テレビがないということはどうやら信じてもらえたようだった。
「はぁー、近頃の若者はテレビがないって言っても必ず持っているものだけどねぇ」
そのひとは感心したように言った。僕がそのように言われたのは本当に久しぶりのことだった。僕は長い間、そういったやり取りを何処か遠くに置き忘れたみたいに感じていた。
「新聞もとってないのかい?」と言われたので「はい」と答えた。スマートフォンに無料で新聞を読めるアプリが入っているが、実際のところは全く読んでいない。読んでいないということは「とってない」と考えていいだろう。僕はそのことを伝えようとしたけど、うまく言葉にできなくてやめた。
「兄ちゃんダイブ変わってるみたいだけどねぇ、世の中の動きぐらいは知っておいたほうがいいよ。こうして一人暮らししている間にも、世界は刻々と変わっていってるんだからさ」
集金人はそういって帰ることに決めたようだ。マンションの廊下を遠ざかっていく後ろ姿を見て、僕は反射的に口から言葉を出していた。
「実は僕、テレビ見てますよ」
集金人は一瞬足を止めて、それから何事かというように僕に振り返る。
「何だって? 何で見てるんだい」
「街頭テレビです」
「街頭テレビ?」
集金人は狐につままれたような顔をした。かまわず僕は話す。
「僕、朝にこの辺りをジョギングしているんです。すると駅の前に大きな液晶モニターがあるでしょう? 帰るときにあれを見るんです」
集金人は呆れて帰ってしまった。何故あんなことを言ったのか。僕はいつも言うべきことを間違える。
僕は数年勤めていた会社をやめて、一人暮らしを始めた。僕はそれまで、沢山のひとに支えられて生きていた。実家暮しだったので両親はもちろん、たまに幾らか友達と会ったりして、日頃の不満をぶつけたりしていた。だけど僕はそれでは満足できなかったのだ。何故なら僕が感じる不満は、僕がアイデンティティとなるものを何ひとつ持っていないことに起因するものだったからだ。だから僕は一人暮らしをして、アイデンティティとなる仕事をやってみることにした。数年前から頭のなかで計画はできていたけど、それは途方もない努力を伴うものであり、これまで生きてきた人生の中で僕がずっと拒否してきたことだった。だが、それでも僕はやっていかなくてはならない。じゃないと、生きていけない。
一人暮らしの厳しさを僕は想像していたが、実際には想像していたよりもずっと困難だった。それなりに計画して一人暮らしを始めたはずだけど、生活していくうちに次々と必要なものが出てきて費用がかさんでいった。例えば僕は夕食を食べるときまで、この家に机がないということを把握できずにいた。僕は僕のやろうとしている仕事については準備万端で物事を進めたのだけど、それ以外のことは全くからっきしだった。調理をしようにも、調理器具が全く無かった。貯金にまだまだ余裕はあるものの、あと何年生きられるかという計算が僕をひどく苦しめた。
僕は負のエネルギーを全部推進力に変えるようにして作業を進めた。ひとりしかいない夜というのは大変寂しいものだった。僕はあれだけひとりになりたがっていたのに、いざひとりになってみると人が恋しくて堪らなかった。もしかしたらペットでも飼ったほうが良かったのかもしれない。ただここはペット禁止だし、いざ飼ったとしても自分の首をさらに締めるだけだと思われる。何もかもが八方塞がりだった。だから、僕はあんなものに手を出してしまったのかもしれない。
僕はある日某通販サイトで、何でも屋アリスというネットショップを見つけた。五百円から注文を受け付けている。通販サイトを通じて注文を行うのだが、何とその商品が何も表示されていなかった。これでは購入しても送られてくるものが分からない。それだけなら普通の福袋と変わらないのだけど、アリスがそれと異なるのは、アリスが客にとって必要なものを考え、その商品を送付してくれるということだった。もちろん全くの手がかりがないところから考えるというのではなく、アリスに要望を伝えるためのテキストボックスが注文ページに用意されている。ただし具体的に欲しいものを指定しての購入はできないというのが、アリスから商品を買ううえでのルールだった。
僕は五百円でアリスに注文した。あのとき手を出してしまったことを今では凄く後悔している。あれのせいで多大な金と時間を無駄にしたんだ。だけど僕は、何か不思議な力に導かれたように注文してしまった。要望は「役に立つものをくれ」。こんなので通るのかと思ったけど、注文は受け付けられた。
それから数日経ったある日のこと。僕の元に一つの小包が届いた。箱にALICEと書かれている。間違いなくアリスのものだ。僕はテストの合否通知を開けるようなドキドキした感覚で、箱を開けた。
箱のなかには爪切りが入っていた。
ALICEのロゴが入ったそれを見ながら、僕はフンッと鼻を鳴らした。
なるほど、爪切りか。確かに実用性のあるものだ。たとえ既にひとつ持っていたとしても、ふたつ持っていて困るもんじゃない。それに都合良く僕は爪切りを持っていない。その爪切りは小さく折りたたみ可能で、形がシュッとしててスタイリッシュだった。百円ショップで買うようなものとは質が違うだろう。たまには良い爪切りを買うのも悪くはない。
僕はその日、購入した爪切りで手足の爪を切った。
案外良いものが届いたので、僕はまたアリスで注文した。
僕のところにはいろんなアリス製の商品が届いた。カップ、フォークにスプーン、石鹸、歯間ブラシ……耳掻きはいらなかった。僕は綿棒派だ。商品の評価をするページでそのことを伝えると、次は綿棒セットが送られてきた。ほとんど棒みたいな百円ショップの綿棒と違い、綿の部分がとても柔らかく、お風呂上がりに耳を掃除すると大変心地が良かった。
あるていど日常品が出揃った気がしたので、そういうのはもういいと言った。もっと別のものを送ってくれないだろうか。代わりに僕は料金を千円に上乗せした。どのようなものが送られてくるかとワクワクしてくる。ただ、その気持ちは比較的落ち着いたものだった。僕はアリスに対してある程度の信頼を置いていたのだ。
数日後、アリスから荷物が届いた。それはこれまでで最も大きく、片手よりも両手で持った方がいいというものだった。僕はいつものように箱を開けてみる。中には虫カゴと、カブト虫の幼虫が入っていた。僕は仰天した。
畜生、何てものを送ってきたんだアリスのやつ!
僕はこの世のなかで虫が最も嫌いだった。品種や種別などの問題ではない。とにかく虫であるもの全てが嫌いなのだ。だいたいカブト虫の幼虫なんて、ただのデカい蛆虫じゃないか!
僕はそれを直ぐに近所の公園に捨てた。僕はとても怒っていること、いきなり虫を送ってくるなんて非常識であること、虫であるかどうかにかかわらず、今後生き物は一切送らないでほしいことをアリスに伝えた。あまりにも腹が立っていたので、僕は次の注文を行わなかった。
暫くして、僕の手元に小包が届いた。注文をした覚えがないのに、それはアリスからのものだった。開けてみると、真っ白で柔らかいタオルと詫び状が中に入っていた。詫び状の中身は以下のようなものだった。私の不注意で貴方を怒らせてしまい、大変申し訳なく思う。私はまだ勉強中の身で、今回の件は大変参考になった。お詫びの意味を込めて、つまらぬものかもしれないがこのタオルを贈りたい。もし加藤様にお許しいただけるようであれば、是非また本店をご利用いただきたいと考えている。
僕は驚いた。まさかアリスから直接こんなものが送られてくるなんて思ってもいなかった。詫び状に目を通した後、最初に思ったのは、これは個人情報の利用目的に違反しているのではないかということだった。僕が同意した利用規約に「詫び状を送る場合」なんて項目はあったのかどうか。だが、今そんなことはどうでもよかった。利用規約なんて今更見直す気はない。問題なのは、アリスが僕に対してこんな形で接触してきたということだった。僕らはネット上でやり取りをしつつも、あくまで疎遠な関係だったはずだ。気に入るものをアリスが送ってきたならば、続けて利用する。そうじゃなければ利用しない。とてもシンプルで、一時的な関係だったはずだった。それなのにアリスはこんな詫び状を送り、僕と親密な関係を築こうとしている。僕は怖くなって、送られてきた小包をまた元に戻し、部屋の隅へと押し退けた。
僕は一ヶ月くらいアリスと関わろうとしなかった。そのあいだ僕は僕の仕事について、半ば取り憑かれたように取り組んだ。自宅でのデスクワークだったので一人で過ごす日々が続き、あるときには三日間、一歩も家を出ようとしなかった。仕事は大変充実していたけれど、時に外を見れば何時の間にか夜になっており、差し込むような寂しさが僕を襲った。寒さも敵だった。フローリングの床が冷たくて、僕はいつも布団の上で過ごさねばならなかった。
僕はどうしようもなく人の暖かみが欲しかった。ホストやキャバクラに何十万もつぎ込む人達の気持ちがわかる気がする。今の僕にはどこにも当てがなかった。あるとすれば、あの変な小包を送ってきたアリスぐらい。馬鹿なことだと思うが、僕はふたたびアリスに注文してしまった。
アリスから小包が送られてくる。僕は最初に荷物を受け取ったときよりも緊張していた。僕は本当にどうかしていて、アリスに自分の心情を吐露してしまっていたのだ。僕はいまとても寂しい、この心を癒すものをどうか送ってほしい。しかも僕は五千円で注文していた。一体どう思われたのか。カモだと思われたかもしれない。けど今はそれでもいい。僕は特効薬が欲しい。
小包のなかにはプリベイド式の携帯電話が含まれていた。馬鹿にしているのか。そう一瞬思った後、アリスの意図に気付き、電話を取り出して電話帳を開く。ひとつだけ連絡先が登録されていた。もちろん、何でも屋アリスである。
全身が震えるくらい衝撃を受けた。それは僕が最も望んでいたものであり、最も望んでいなかったものでもある。これではテレクラだか出会い系サイトと同じだ。僕はこれまでの人生のなかで、それらにだけは手を出さないようにしようと思って生きてきた。けど寂しさというのは、ひとの決意すら曲げてしまうものらしい。僕は散々悩んだあげく、発信ボタンを押して電話をかけてしまった。
「お待ちしておりました、加藤様」
そのとき、僕は終わったと思った。アリスは僕にとって完璧な声で、最高の対応をした。僕はその声から、とても洗練された金髪の美人を想像しないわけにはいかなかった。
アリスはとても聞き上手だった。アリス自身から何かを話すことはなく、アリスは僕の話したことがどんどん広がっていくように言葉を返した。僕が「寂しい」というと、「どうして寂しいのですか?」と言ってくる。「一人でいるからだよ」というと、「なぜ一人でいるのですか?」と聞いてくる。そうして僕は自分の身の回りのことを話さずにはいられないのだった。アリスは僕のことを肯定も否定もしなかった。だけど僕は自分のことを話しているだけで気持ち良く、何分でも何時間でも話していたかった。五千円のプリペイドなんてあっという間に使ってしまった。
僕は評価ページに、今回の商品は大変満足したと記述した。できればまた君と話がしたい、なんて赤面するようなことも記述した。注文のときに商品を指定するのはNGだ。だけどこうして気持ちを伝えておけば――? 僕はまた五千円で注文した。寂しさは前よりもずっと酷くなってる、はやく僕を癒してほしい。ほとんど口説き文句だった。僕はどうしてもアリスともう一度話をしたかった。
そして僕の手元には目論見どおり、プリペイド式携帯が送られてきた。その次もまたその次も、僕が同じことを言えば同じものが送られてきた。「癒してほしい」は僕らだけの合言葉なんだ、そう思うと僕は興奮せずにはいられなかった。ますますアリスと話したいと思うようになった。もっとアリスのことを知りたいと思うようになった。だけどその思いが強くなっていくたびに、このプリペイド式携帯だけで繋がれているという現状に僕は満足できなくなっていった。
「何で君は自分のことを教えてくれないんだ!」
ある日、僕はアリスに怒鳴った。アリスはとても申し訳なさそうに、「なぜ私のことを知りたいのですか?」と返してくる。そうじゃないんだ、と僕は言った。僕がその問いに答えると、アリスはそっち方面で話を進めてくるに決まっている。そんなことを望んでいるんじゃない、僕は君のことをもっと知りたいだけなんだ。だけどアリスは、どうしても自分のことを教えてくれなかった。出来の悪い子供みたいに、どうして自分のことを知りたいのかと執拗に繰り返した。声だけが申し訳なさそうにどんどん小さくなって、僕がアリスを虐めてるみたいになってきた。僕はヤケクソになって電話を切った。
なんで僕に何も教えてくれないんだよ、アリス。
僕は初めて、プリペイド式携帯に満足していない旨を評価ページに記述した。僕と君はこれまで良好な関係を築いてきた。だけどそれだけじゃもうダメなんだよ、もっと君と親密になりたいんだよ。そして僕は五十万円の注文をぶち込んだ。何でも屋アリスで最高金額の注文だった。これで最後だと記述した。満足できるものを君が送れなければ、これで最後だ。僕は君との関係を終わりにしたくない。
数日後、僕の手元にこれまでで最も重い荷物が届いた。僕はその重量感に、どこかしら覚えがあった。荷物を開くと、その中にはA4のノートパソコンと一枚のパッケージソフトウェアが含まれていた。パッケージの表面にはALICEと書かれている。僕はそれをパソコンごと窓から投げ捨てた。
お題:リピーター
今度から、後書きにお題を書くことにした。
一個前に投稿したものよりかは小説っぽくなっていると思う。