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春のリビドー

これはお題もらってません。

何書いているんだと思った。

 性について妄想を抱くたびに、俺はあの子のことを思い出す。白くて柔らかそうな肌、触れると何の抵抗もなくサラサラと梳いていきそうな黒い髪。目はクリクリとして大きくて、唇はいつも何か魔法の言葉を含んでいるみたいだった。俺はその子を一目見たとき、一瞬で恋をした。だけどそれは俺のことを酷く苦しめるものだった。何故ならその子は真っ黒な学ランに身を包んだ、正真正銘の男だったからだ。

 その子はとても明るい子だった。転校してきたときの自己紹介から目をおかめみたいに曲げて、唇にはいつも笑みを携えていた。誰とでも分け隔てなく接して、誰にでも愛想を振りまいていった。俺に対してもそれは同じだった。俺はあるとき、その子が体操服に着替える姿をじっと見てしまっていた。未発達の体が真っ白に光っていて目を離せなかった。だけどその子は目ざとくそれを見つけ、蔑んだ瞳で俺のことを睨んできた。「鈴木、何見てんの?」。俺はその言葉に反応できず口を噤んでしまった。すると、その子はまだ着ていない体操服で自分の体を隠して、「ギャー、ホモ木だ!」と叫んだ。俺はボーッとしてただけだと弁明したけど、俺の仇名はホモ木になった。なんとも情けない話だけど、俺は本当にホモ木だったのだ。

 俺は外ではホモであることを否定しながら、内側では自分がそうであることを否定できずにいた。俺ははっきり言ってホモが嫌いだ。ネット上で動画のURLをクリックしてホモの動画が表示されたとき、俺は殺意を覚えたことがある。ウィンドウのなかで絡んでいるふたりの男の姿は本当に気持ち悪かった。この世から存在を抹消してやりたいぐらいだった。だが俺は、俺をホモ木と呼ぶあの子のことが好きだった。あの子のことを見たときから、あの子のことでしかオナニーができなくなってしまった。あの子の白い肌を妄想して、精液をぶちまけることしかできなくなってしまった。

 俺とその子は、周りから見れば良いコンビに映っていたようだ。俺は頭はそれなりだったけど、サッカー部に所属していてスポーツは得意だったので、スポーツ大会ではいつも活躍した。あの子はバスケットボール部で、体が小さいにもかかわらずすばしっこくてスポーツ万能だったので、俺たちだけで点数を稼ぎまくり、いつも大会で優勝した。それで俺たちはヒーローみたいになるんだけど、そこであの子が俺をホモであることをからかって、笑いを取るというのがクラスのスタンスだった。

 俺とその子の関係は、周りからみれば良好に見えた。だけど俺は、実は別に良好でも何でもないんじゃないかと思うようになっていった。何故なら俺たちは、ふたりだけで話したことがなかったからだ。ただのクラスメイトで、他のクラスメイトの前だけでからかわれたりする関係。あの子は俺をホモ木というのが定番で、俺はそれに対してムキに言い返したりするのが定番だった。単にそういう役割を演じているだけで、俺が本当にホモ木であることをあの子に伝えたことはなかったんだ。それに、あの子の気持ちが分からなかった。あの子は俺が本当にホモ木であることを知っているのか、それに対してどう思っているのか。俺たちはそれなりに近くにいながら、互いのことを全く知らなかった。

 俺は毎日毎日、妄想したあの子の体に射精した。あの子の写真を学校の行事で貰ったとき、俺はスキャナでそれを取り込んで、その画像を見ながら何度も射精した。そのたびに俺はどうしようもない罪悪感に襲われた。俺は世界で一番クズな人間なんじゃないかって。変態であることを隠し続けている途方もないクズ。俺はこんな日々がいつまで続くんだと思った。もしかしたら永遠に続くんじゃないかと思った。だけど時間は過ぎていくし、実際にはいつまでも続く問題じゃなかった。

 いま思えば、中学生活はあっという間に過ぎていった。部活の大会、文化祭、体育祭、定期テスト……修学旅行のときあの子が同じ部屋を拒否したのがショックだったけど、難しい時期の子供たちをうまく成長させようとするイベント群は確実に消化されていった。そして高校受験があって、俺はサッカーで地元の強豪校に推薦で合格し、あの子は家庭の事情もあって東京のほうの学校に行くことになった。あとは卒業を待つばかりになると俺とあの子は話さなくなって、そのまま何もしないうちに卒業を迎えてしまった。

 俺はその日の午後、サッカーのスパイクを買いに街に出た。電車に乗って、いくつもの店が出ている大型ショッピングモールに行く。そこで俺はあの子に出会った。白いカーゴパンツに、赤のチェックのパーカー。バスケットシューズを眺めているところを、どちらともなく見つけてしまった。「何してんの?」とその子は言う。俺は正直に、スパイクを買いにきたことを言った。するとその子は興味を持ったのか、俺の買い物に絡んできた。

 それダサくない?

 何言ってんだよ、ここのラインが格好いいだろ。

 本気で言ってるんだとするなら、ちょっとセンスを心配するな。それよりこっちのほうがいいって。

 馬鹿、それは芝用のスパイクだろ。俺が探してんのは土用だから。

 じゃあこれは?

 俺はそのメーカー嫌いだから買わん。

 うわっ、なんてバカな考え。さすがホモ木。

 こんなところで言うな!

 俺は普通にやり取りしていたけど、内心は心臓が飛び出しそうなくらいにドキドキしていた。出会った時点で既に冷静じゃなかったけど、この目の前の子がまるで数年来の友達のように普通に接してきて、俺のやることに対していちいち指摘してくるから、俺は頭がどうにかなりそうなぐらいおかしくなった。このままだと押し倒してしまいそうだったから、反射的にその子を遠ざけるようなことを言った。

「お前もバッシュ買えよ。そのために来たんだろ」

「買わないよ。だってやめるし」

 それは空気を切り裂く鉈みたいな声だった。その子は何事でもないかのように言ったつもりらしい。だけどそれが極めて重要な言葉であることは、俺も、言った本人も多分理解していた。平静を装った真顔に、微かな揺らぎが見えるのがはっきりと分かった。

「といっても、バスケ以外にやることなんてないけどさ。だからこうして、どうしてもバッシュを見に来てしまうんだけどね」

 その子は少し眉をへの字に曲げ、離れたところの棚に陳列されているバスケットシューズを眺めながら言った。俺はその言葉に反応できなかった。その子が初めて俺の前で話した、自分のことの言葉だ。俺にはそれが重すぎて、とても対応するなどできなかった。

「早く買いなよ」とその子が言う。俺は生返事をしながら、その子が最後に勧めたスパイクを買った。咄嗟の行動だったのだけど、安いからこっちにしたと言い訳すると、その子は苦笑なのかよく分からない笑みを浮かべた。いつものホモ木という言葉は飛んでこなかった。

 その子が金余っているなら奢れというので、俺達は店でお好み焼きを食べた。その子はイカ玉で、俺がブタ玉。その子はお好み焼きを焼くのが人一倍上手いというので、自信があった俺も張り合った。結果的にその子のお好み焼きは少し崩れ、俺はメニューに写真として載せたいぐらい綺麗に焼けた。その子はとても悔しがって、何かの陰謀だと言いながら、お好み焼きを美味しそうに食べていた。

 外に出ると、あたりは暗くなっていた。電車の中で、その子と少し話をした。明日に家を出て行くらしい。そのとき、俺はひどく勿体無いという気がした。ようやく仲良くなれたのに。正直言って俺はこの日出会うまで、完全に過ぎていくことだと錯覚していた。だけどこうして今日一緒に行動したことで、離れるのがとても嫌になっている自分がいる。もっと一緒にいたい。

 電車から降りると、俺達はひどく無口になった。この隣にいる子が明日から居なくなるというのを俺が意識しすぎたせいかもしれない。歩くときに揺れるパーカーの紐だって、まともに目にすることができない。免罪符のようにポツリポツリと話したりするけど、全く耳に入らなかったし、話も続かなかった。俺はこの子の家が何処にあるのか知らない。だから突然別れを告げられれば、それでお終いなのだった。だから俺は焦った。俺は自分が帰る方向じゃないのに、その子に合わせて道を曲がっていった。不自然だっただろうから、その子も気づいていたかもしれない。

「ねぇ、なんでホモ木はホモ木なの?」

 その子は急に、俺のほうに首を傾げるようにして言った。笑っていて、ふざけているのかと思ったけど、それは俺の心に突き刺さって、どことなく真剣な雰囲気を感じさせるものだった。

「だからホモじゃねえよ」と顔を背けながら言う。どういえばいいのか分からなかった。だからいつものような返しをしてしまう。多分、これで終わりなんだと思った。こうしてこの時間は終わっていくんだと思った。

「ねぇ、鈴木」

 その子が、俺の名前を呼んだ。俺を初めてホモ木と呼んだあの日以来のことだ。その目ははっきりと俺のことを見つめていた。俺に対して真剣に向き合って話していた。

「僕、バスケやめるって言っただろ? なんでかわかる?」

「いや」と俺は言った。俺にはどうしてこの子がバスケットをやめるのか、さっぱり理解できなかった。

「身長が足りないからだよ」とその子は言う。俺から視線を外すと、これまでのことを反芻するかのように空を見上げた。その瞳は星を映したみたいに輝いて見える。もしかしたら、堪えているのかもしれなかった。

「身長がなくても、技術さえ磨けばなんとかなると思った。だけど最後の試合で見事にやられたよ。相手は、絶対に僕の手の届かないところでパスを回すんだぜ? ドリブルだってフェイクだって、僕より全然下手なのに。それで僕は初めて試合途中に交代させられた。ベンチで初めて敗戦を迎えた。こんなのないよって。努力なんかしてもどうしようもないじゃんって」

 その子は背中を向けて、少し鼻を啜ったように見えた。もしかしたら、気のせいだったかもしれない。そして完全に足を止めると、俺に向かって言った。

「僕はこんな体に生まれたかったんじゃないんだよ」

 俺はその言葉に、心臓が止まりそうなくらいドキリとした。その子はまた俺の目を、一つの余すところもなく見つめてる。

「僕は鈴木みたいな体に生まれたかったんだ。あのサッカーしてるときみたいに、競り合ってきた相手をぶっ飛ばすような体にさ。そうすればあんな下らないパス回しにやられることもなかったのにね。そうすれば僕はこれからもずっとバスケを続けていけたのに」

 俺は何も言えなかった。こんなときに何の一つの言葉も出ない、俺の頭の悪さを呪った。その子は顔を俯かせると、自分の体を両手で抱えた。俺はそのとき、その子の体を支えてやることが頭に浮かんだ。けど動けなかった。俺は金縛りにあったようにそこに縛り付けられていた。

「僕はときどき自分のことが分からなくなるんだよ。僕は本当に男として生まれるべきだったのか? 僕は間違って生まれたんじゃないか? ねぇ鈴木、見てよ。僕の体、こんなに細いんだよ」

 そしてその子は、下着ごとパーカーを捲り上げた。街灯が照らす淡い光に、真っ白な肌が溶け込んで見えた。その肌は初めて見とれたあのときと全く変わらなかった。触ればきっと、マシュマロみたいに指が沈んでいくに違いない。俺はゴクリと、息を呑んでしまった。

 白い肌がさっとパーカーに隠れた。俺がハッとして見上げると、その子はしてやったりという表情で笑っていた。

「やっぱりホモ木はホモ木だった!」

 その子はそう叫ぶと、俺が冷静さを取り戻す前にマンションの入り口へと逃げ込んでいった。唖然としている俺に、その子はいつもみたいな笑顔で言った。

「今日はどうしてもそのことが確かめたかったんだ」

 文字通りやられた、と俺は思った。完全にホモ木であることがバレてしまった。これは絶対に言い訳できない。

「じゃあ、また会う日まで」

 その子はそういって手を上げると、マンションの中に入っていってしまった。俺はしばらくそこに突っ立っていたけど、いつまでもそこにいる訳にはいかず、半ば吹っ切れたように家に帰った。

 俺は振られたんだ。


 あれ以来、あの子には会っていない。高校に入ると俺は魔法が溶けたように女の子を好きになり、付き合ってやがて結婚した。たぶん今あの子に会っても、同じような感情は抱けないはずだ。だけど、これだけははっきりと言える。あの時あの子に感じた感情は俺にとって特別なものだったし、きっとこれからもあれ以上のものに出会うことはないだろう。あの時、あの環境でしか味わうことができない青春のリビドーだったんだと思う。

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