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土台が違うということ

お題:議論

 大日本帝国は悪である。子供の頃、そういう教育を私はずっと受けてきました。

 例えば沖縄戦。多くの人が死んだのはアメリカ兵達のせいじゃなく、日本軍人達が人々の投降を許さず集団自決を図ったためだと聞きました。また、小さな女の子が意を決し、衣服を白旗がわりにして防空壕を飛び出すと、アメリカ兵達が暖かく迎えてくれたという話もありました。そういう話から、天皇や軍部の人達が早く降伏していれば、原爆だって落とされなかったんじゃないかということが言われておりました。また、日本の人々を取り巻く環境も酷いものでした。警察というものは大変乱暴で、ストレス解消がわりに人々のことを殴っていました。みんな荒んでいて心が冷たく、親戚にすら見捨てられていく有様で、あと頼れるのは家族だけという状況です。もちろん、南京大虐殺や三光作戦なんてのは当然のように教科書に取り上げられていました。

 私は小学校に入ってから、そういうことを耳ないし、映像ないしでずっと叩き込まれてきました。私は戦争には全くといっていいほど興味はありませんでしたが、大日本帝国が悪であるということだけは、深く脳に刻み込まれていたのです。だから高校生の頃、インターネットに初めて触れたとき驚きました。なんと大日本帝国を崇拝する書き込みがあるのです。しかもそれがある場所では、私が学んできたことよりも主流であったりしたのです。

 私はひどく混乱しました。そんなことあるはずがないと思いました。だけど調べていくうちに、私はネット上の意見が正しいのではないかという方向にだんだん傾いていきました。もちろん全てではありません。例えば戦争なのだから、南京大虐殺というのはあったかもしれない。しかしその規模はずっと小さいのではないか。本当は日本はそんなに悪くなかったのではないか。そういった思いが私のなかで少しずつ膨らんでいきました。ただ、その思いがある一定以上進むことはありませんでした。何故なら日本がそう悪くなかったという決定的な証拠だって、私が探す限りでは見つからなかったのです。

 私が見た情報には、出典が書かれているものが多くありました。元日本兵の誰々が書いたとか、米国内に保管されていた資料に書かれてあったとか、実にさまざまなものです。そういうものが世に出るたびに、ある一部の人々は「これが真実だ」、「これは嘘だ」と言ったことを延々と飽きずに議論しておりました。私はこれは一体何なんだろうと思いました。一体何のために議論をしているのだろうと。

 それから私は、あらゆる物事を疑うようになりました。子供の頃からずっと朝日新聞を取ってきたのですが、皆さんご存知のとおり左寄りの新聞です。だからそこに書かれていた戦争関係のことはもちろん疑ったのですが、その他の記事も疑うようになりました。この記事は本当のことを書いているのか。何かの意思に則って行きすぎたことを書いているのではないか。その頃になると、都合の悪い情報は報道されないということを私はネットで知っておりましたから、ますます疑うようになるわけです。ただ、ネットのみで話題になっている出来事は、普段の社会ではまるで無かったかのようでした。例えば竹島問題ですが、あれはテレビで取り上げられるよりももっと前からネット上で話題になっていました。こんなものを隠しているマスコミはおかしいぞ、韓国の手先ではないか、といったことを言っています。私もそのときは右寄りでしたので、周りの人達に竹島問題のことを伝えました。韓国とはこんなに酷い国なんだと。しかし周りの人達はそれを真剣に受け止めませんでした。私の目が確かならば、疑っていたわけじゃありません。ただ、それはあるひとつの側面から見た情報でしかないのだと。自分には関係のないことなのだと受け止めているようでした。ところが、ある日テレビでマスコミに取り上げられるようになると、反応は一気でした。韓流をもう見ない、という人が大勢現れました。いくつかの製品がボイコットされ、韓国経済は無視できない打撃を受けているようです。ネットで竹島問題を訴えていた人達は、どうだと言わんばかりに勝利宣言をしていました。ただ、私はその反応に違和感を感じました。何故なら彼らは、マスコミで取り上げられたことを何よりも喜んでいるのです。マスコミ嫌いの彼らが、マスコミに取り上げられたことで話題がようやく真実になったかのような反応をしているのです。私には真実というものが分からなくなりました。マスコミは真実を報道しておらず、ネットの情報も真実ではない。それでは真実は一体どこにあるのかと。

 ようやく私は、私の求める真実はないのだということに気づきました。真実とは、人の手で作り出されるものだったのです。

 それから、私の世界に対する認識は大きく変わりました。何が正しいか? 何が間違っているか? 何が善か? 何が悪か? そういったことについて果たして議論する余地はあるのでしょうか。所詮人間が作った情報なのではないかと思います。誰かが誰かのために作った、恣意的な情報でしかないのです。

 あなたは先ほど私にこう言いました。「たとえあなたがどんな独自の理論を展開しようとも、世間はあなたを許しはしない」と。結構なことです。世間が許さないとして、それで何の不都合があるのですか? 私は大勢の人を殺したので当然裁かれるでしょう。ですがそれは日本国憲法によってです。世間ではありません。長らくこうしてあなた方と議論してきましたが、あなた方は私を貶めることしか考えていません。世間に対して私が悪であることをどう示すか、それだけしか考えていません。

 もう一度言いますが、私は世間に許されなくても一向に構いません。そろそろ終わりにしませんか? 私はあなた方と話すのに心底ウンザリしているのです。

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