「血の繋がりなど、些末な問題ですわ」証拠を捏造されて断罪される予定の娘を守るため、継母は静かに家を出ます!~残された屋敷では随分と面白いことになっているようです〜
「――ルシールお嬢様が、婚約者様の御髪を切り落とそうとした証拠がございます」
夜、書斎の扉越しに聞こえてきたその声に、私は思わず足を止めた。声の主は、夫オズワルドの再婚相手候補として社交界に出入りするようになった、ヴィオレット様だった。
(証拠、ですって? あの子が、そんなことをするはずがないのに......)
義理の娘のルシールは確かに態度が高慢で、社交界では「悪役令嬢」と陰口を叩かれるような娘だ。だが、その実態は、不器用で人に頼るのが苦手なだけの優しい子である。少なくとも、婚約者を傷つけるような真似をする子ではない。
扉の隙間から覗くと、ヴィオレット様が夫に何やら書類を差し出しているのが見えた。
「まあ、ルシール様の筆跡そっくりですことね? 証拠として、婚約者様のご実家にお渡しになるのがよろしいかと」
「――しかし、ルシールがそんなことをするとは、にわかには……」
「オズワルド様、証拠が全てを物語っておりますわ。それに......あのように険しい態度の娘御では、いずれ婚約者様も愛想を尽かすことでしょう。今のうちに手を打つのが得策かと」
親身な体を装いながらも、その言葉の端々には明らかな悪意が滲んでいた。
(――なるほど、そういうことね)
私は静かに書斎を後にした。娘を陥れ、婚約を破談させ、いずれはこの家からも追い出すつもりなのだろう。
夫は、すっかりヴィオレット様の言葉を信じ込んでいる様子だった。長年連れ添った夫ではあるが、この状況で悠長に説得を試みている時間はない。
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その夜のうちに、私は荷造りを始めた。
「お母様、こんな夜更けに何をなさっているのですか......?」
眠れずに起きてきたルシールが、目を丸くして尋ねてくる。
「――ルシール、今から一緒に旅に出ますわよ!」
「は、えっ……? い、今からですか.......?」
「ええ、今から。理由は道中でお話しいたしますわ。それより、大事な物だけ手早くまとめてくださいませ」
「お、お母様、せめて理由の一つくらい先に伺いたいのですが」
「今は詳しい話をしている時間も惜しいのですわ。信じてくださるかしら?」
有無を言わさぬ様子に、ルシールは戸惑いながらも頷いた。かねてより、こういう時のために準備していた荷物袋を手渡すと、彼女は思いのほか素直に荷物を詰め始めた。
「お母様、随分と手際がよろしいのですね。まるで前々からこうなることを見越していらしたような」
「あら、母たるもの、いつでも“危険な場所”から娘と逃げ出せるように備えておくものですのよ?」
冗談めかして答えながらも、私の胸中は静かな決意で満ちていた。証拠を捏造してまで娘を陥れようとする相手のもとに、大切な娘を置いておくわけにはいかない。
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数日後、私たちは辺境の小さな町に落ち着いた。
「お母様、この町.......随分と静かですのね」
「ええ。誰もわたくしたちの事情を知らない場所ですもの。少しの間、羽を伸ばしましょう」
慣れない家事に四苦八苦しながらも、ルシールは少しずつ表情を和らげていった。
「きゃあああ! お、お母様......! ぱ、パンが、その.......また焦げてしまいました……」
「あら、立派な炭ですこと。これはこれで、消臭剤として活用できそうですわね」
「お母様、それは慰めになっておりません」
むくれるルシールの様子に、私は思わず笑ってしまった。屋敷にいた頃には見せなかった、年相応の表情である。
「屋敷にいた頃は、失敗するたびに侍女たちの視線が怖くて、萎縮しておりましたの。ここでは、その.....失敗しても誰にも笑われませんし」
「あら、わたくしは今、盛大に笑っておりますわよ?」
「お母様は別ですの!!!」
すねたように言い返すルシールの様子に、私はますます頬が緩むのを感じた。屋敷での彼女は、いつも取り繕った表情を崩さなかった。ここでの失敗続きの日々こそが、彼女にとって本当の意味での“初めて”の経験なのかもしれない。
「ここでの暮らし......悪くございませんわね」
「ええ、随分と悪くございませんわ。それに――ようやく、あなたの素の顔が見られたような気がいたしますもの、ね?」
私の言葉に、ルシールは少し照れたように視線を逸らした。屋敷での彼女は常に気を張り、令嬢らしくあろうと肩肘を張っていた。だからこそ、悪徳令嬢という名の固い鎧をまとっていたのである。
だが.......ここでの穏やかな日々が、少しずつその鎧を解かしているようだった。
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そんな穏やかな暮らしの中、知人からの手紙で屋敷のその後を知ることになった。
「――まあ、随分と面白いことになっていますことね」
手紙によれば、ヴィオレット様の捏造工作は、私たちが姿を消した後、すぐに露見したという。証人として仕立てられていた使用人が、罪悪感から真相を語り出したらしい。
「お父様、随分と慌てていらっしゃるようですわね」
覗き込んできたルシールに、私は苦笑しながら手紙を見せた。
「ええ。ヴィオレット様は屋敷を追い出され、お父様は今頃、わたくしたちの行方を必死に探していらっしゃるそうですわ」
「――今さら、ですこと」
「あら、随分と冷たいこと。もっとも、わたくしも同感ですけれど」
「しかし、婚約者様のご実家にも、真相はきちんと伝わったのでしょうか.....?」
「ええ、そちらも手紙に書かれておりますわ。婚約者様は、捏造の件を知って随分と憤慨なさっているそうですの。ルシール.......あなたを疑ってしまったことを心から悔いていらっしゃるとも」
「――今さら悔いられても、困りますわね!」
つんと澄まして答えるルシールだったが、その頬はほんのり赤らんでいた。まだ婚約者への想いが、完全に冷めたわけではないのだろう。
顔を見合わせて笑う私たちの様子に、屋敷の緊迫した空気とは対照的な、穏やかな時間が流れていた。
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「お母様、これからどうなさるおつもりですか?」
パン屋の手伝いで小銭を稼ぎ始めたルシールが、ふと尋ねてきた。
「あら、決まっておりますわ。このまま、二人で気ままに暮らしましょう。お父様が本気で謝罪にいらしたら、その時にまた考えれば良いことですもの」
「......ふふ、随分と気楽でいらっしゃいますのね」
「あら、これでも本気ですわよ! 証拠もなく娘を陥れようとする相手のもとに、易々と戻るつもりはございませんもの!」
「ですが、お父様のことも、少しは案じていらっしゃるのでしょう?」
図星を突かれ、私は思わず苦笑した。
「――ええ......少しは、ね。ですが、あの方がご自分の目で真実を見極める力を身につけない限り、また同じことが起こりますわ。そんな様では、いつまでも安心して暮らせませんもの」
「お母様らしい、厳しくも優しいお考えですわね」
きっぱりと言い切る私に、ルシールは小さく微笑んだ。
「――お母様、ありがとうございます」
「あら、礼を言われるようなことはしておりませんわ。ただ、大事な娘を守っただけのことですもの」
「大事な娘、だなんて......血の繋がりもございませんのに......」
「血の繋がりなど、些末な問題ですわ。わたくしにとって、あなたは間違いなく大切な娘ですもの」
まっすぐに告げると、ルシールは目を潤ませながら、それでも精一杯の強気な顔を作ってみせた。
「な、泣いてなどおりませんわ.......こ、これは、その.......そよ風が目に染みただけで......!」
「......ふふ。まあ、いいですわ、そういうことにしておいて差し上げます。娘の配慮もできる優しい母親に感謝しなさってくださいまし?」
窓の外に広がる、屋敷とは違う穏やかな景色を眺めながら、私は静かに息をついた。断罪される予定だった娘との日々はこうして、思いがけない優しさに満ちた新生活へと姿を変えていったのである。
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オズワルド様が本気で謝罪に訪れる日は来るのか、ルシールの婚約者との関係はどうなるのか、まだまだ書きたいことがございます。よろしければ作者フォローもしていただけると幸いです!
それでは、また次のお話でお会いしましょう!




