表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

9 王太子の問い


 灰簾宮かいれんきゅう

 灰銀色の壁に淡い光が滑る廊下を、アレクは静かに歩いていた。

 ちょうどその角で、セドリックが部屋から出てきたところだった。


「こんにちは、リーベル卿」


 穏やかに微笑むセドリックに、アレクも口元を和らげる。


「こんにちは。ヴァーミリオン殿は、ちょうど終わったところですか」

「えぇ。これから工廠に戻るところです」


 セドリックの手には、重たげな金具のついた黒革のトランク。

 アレクはその重量を一瞥で察し、眉を寄せた。


「……重そうですね。馬車まで私が持ちましょう」

「え? あぁ、いえ、大丈夫ですよ。いつも自分で運んでいますから」

「まだ約束の時刻まで時間がありますから」


 セドリックは困ったように微笑んでから、小さく頷いた。


「では、お願いします」


 二人は並んで歩き出す。


「ラインハルトさん、時々姿が見えなくなるのです。任務かと思っていたのですが……やはり、そちらにお邪魔していたりしませんか?」


 セドリックは思わず吹き出した。


「えぇ。よくラボに来ています。週に一度は突然現れますよ。ふふ、元気な方ですよね」

「やはり、そうでしたか」

「第一騎士団訓練場と工廠は近いですから。……リーベル卿も来てくださって構いませんよ。静かで仕事もしやすい場所ですから」

「真に受けますよ? 本当にいいのですか?」

「ラインハルトさんの乱入があるかもしれませんが」


 二人は同時に笑った。


 灰簾宮の玄関を抜けると、門前には魔導工廠の黒い馬車が控えていた。


「セドリックさん……あ、いえ、ヴァーミリオン殿」

「セドリックで結構ですよ。アレク卿」


 軽く眉を上げてそう言われ、アレクの作り物の微笑が少し崩れて素の表情がのぞく。


「……セドリック殿」

「はい」


 アレクは少し迷い、ついに問いをこぼした。


「なぜ貴殿は……そのような立場にありながら、常に穏やかでいられるのです?」

「……」


 セドリックはほんの刹那だけ驚いた後、柔らかく微笑んだ。


「僕から見ると、アレク卿こそ……

 あれほど人目を集めながら、驕らず、曲がらず、常に真摯で穏やかな方に見えますが?」


 アレクは、言葉を失った。


 御者が出迎え、アレクの手からトランクを受け取る。

 セドリックはいつもの柔らかな笑みで頭を下げた。


「アレク卿。ありがとうございました。またお会いしましょう」

「……セドリック殿」


 黒い馬車はゆっくりと動き出す。

 アレクはしばらく、その背を茫然と見つめていた。


---


 ティーサロン前。白木に銀金具のついた高い扉の前には侍女ヴェラが待機していた。


「申し訳ありません。遅れましたか?」

「いえ。まだ時刻前です。事情も把握しておりますので、問題ありません」


 抑えた声量なのに、よく通る低い声。

 アレクは、ヴェラの声を聞いたのは初めてかもしれない。


 ヴェラが扉を開け、アレクを通す。


 アレクが胸に手を当てて礼をすると、エレノアはいつものようにしなやかに立ち上がり、右手を差し出した。

 アレクは歩み寄って跪き、指先に口づける。

 見上げた彼の瞳に、微かな微笑みが宿る。


 エレノアはそのまま彼の手を掴むと、ぐいと立たせた。


「見てくれ」


 二人並んで立ち、エレノアはノートを開いてアレクに見せた。

 その頬はわずかに上気し、声は明るい。


「今日はセドリックが魔導兵装の腕部だけ持ってきてくれた。スケッチをとったんだ。……かっこいいだろう」


 エレノアが楽しげに話す姿は珍しく、アレクの胸がわずかに痛んだ。


「あれは婚約者――ハルトマン嬢のために設計したらしいが、彼女は大柄なのか?

 持たせてもらったが非常に重かった。腕部二つに脚部まで装着したら、私は動けまい」


「確かにハルトマン嬢は女性の中では上背がありますが、華奢ですよ。筋力はあるかもしれませんが……

 その魔導兵装自体が操者の能力を底上げするので、起動中は軽く感じるでしょうね」


 エレノアがスケッチから視線を上げる。

 前髪に隠れた青紫の瞳が、真っ直ぐアレクを射抜いた。


「お前は魔導兵装を纏ったことがあるか?」

「あります。実戦ではありませんが、訓練では」

「そうか。どのタイプだ? セドリックから指導を受けたのか? どれほど動けた? 稼働時間は?」

「殿下。せめてリーベル卿に椅子を勧めてください」


 音もなく背後に立っていたヴェラに諫められ、エレノアははっと口をつぐむ。


 ノートを閉じ、気まずそうにテーブルに置いた。


「……取り乱して済まなかった。アレク、座ってくれ」


 俯くエレノアを見て、アレクは思わず笑みを漏らす。


 ――だが、彼女の瞳は自分を見ない。

 ――その青紫の視線は、“魔導”と、その先にいるセドリックへ向けられている。


 ――まるで、透明人間になったようだ。


---


 レオンハルトの執務室へ向かう途中、アレクは気まぐれに庭園沿いの回廊を歩いた。


 季節の花々が競うように咲き、緑は隙なく刈り込まれている。

 背の高い黒鉄製の魔導灯には、王城にのみ許される優美な装飾が施され、まだ灯りの入らぬ透明な灯器が陽光を返していた。


 柔らかな風がアレクの頬を撫で、金の髪先を揺らす。


 王城庭園は貴族にも開放されており、帰城途中の紳士淑女たちの姿が多い。

 開かれた渡り廊下を歩くたび、アレクのブーツ音に応じるように囁き声が湧く。


「見て。美貌の騎士よ。……本当に美しいわ」


「先日、ベルゼブブ伯爵と一緒にいたらしいぞ?」


「ベルゼブブとは言い得て妙だ。あの分厚い眼鏡、まるでハエだ」


「魔導兵装で王家に取り入ろうとしているらしい」


「庶民の出で準男爵をもらった程度で調子に乗っている」


「ハルトマン伯爵家までたらし込んだとか。“伯爵”気取りの悪魔だな」


「今度は王女殿下を騙そうとしているんじゃないか?」


「美貌の騎士まで絡め取ったらしいぞ」


 アレクの拳が、ぎゅ、と音を立てそうなほど握られる。


 傾いた陽が白薔薇を赤く染め、甘い香りが濃く漂っていた。


 ――お前たちが……彼の何を知っている。


 風に揺れた薔薇が、花片を零す。

 アレクの碧の瞳の黒目がわずかに広がり、その影が深く落ちた。


---


 レオンハルトの執務室。

 高背椅子に腰掛けた王太子は、黒檀の机に肘を置いたまま、アレクを正面から見つめた。


「お前とセドリックは、仲がいいのか?」


 机の金象嵌が夕陽を淡く照り返す。


「……悪くはないと思います」


 質素な革椅子に浅く腰掛けたアレクは、王太子の意図を測りかね、穏やかな微笑の仮面を外せずにいる。


「セドリックとエレノアはどうだ? 気が合いそうか?」


「殿下ともよく話されているようです。ヴァーミリオン主任技師殿は穏やかな方ですから」

「何を話していた?」

「本日は、魔導兵装の腕部を殿下にお見せしたそうです」

「なるほど。うまくやっているようだ」


 レオンハルトは軽く頷き、白銀の髪をかき上げる。

 視線を一度机に落とし、再びアレクの瞳を捉えた。


「……で、お前はどうなんだ?」

「と、申しますと?」

「エレノアのどこが好きだ?」

「……え?」


 アレクは言葉を失う。


 ――殿下はお支えする存在。

 好き嫌いで測ったことなど……。


 レオンハルトの口端が不敵に吊り上がる。


「王命の婚約は、家と血を結ぶための約定だ。

 その外に心があろうと、本来は罪ではない。

 恋人になるための許可証ではないのだから」


 レオンハルトは少しだけ瞳を柔らげた。


「……だが、なってもいいのだ。

 二人が互いを選ぶのなら、な」


 王太子は指を組み直し、淡々と続けた。


「気を抜くな。

 エレノアとセドリックは似ている。

 アレク筋からセドリックに繋がるよう誘導したのは私だが……

 別に横恋慕を期待したわけではない。彼には国が決めた婚約者がいる」


 そして淡紫の瞳が、鋭くアレクを射抜く。


「自覚を持て。

 エレノアの婚約者は、お前だ」

「……はい」


 ――エレノア殿下は俺を見ない。

 ――あんな“価値のある男”から視線を奪えるわけがない。


 背後の窓から差す赤い陽が、ゆっくりと闇に沈む。

 従者が灯した魔導ランプの青白い光が、アレクの震える拳の影を柔らかく覆い隠した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ