8 光と影の回廊
アレクたちが部屋を辞すと、執事オズワルドが二人に向かって静かに頭を下げた。
「王太子殿下がお呼びです」
廊下の少し先には、すでに王太子付きの従者が控えている。
アレクとセドリックは一度だけ視線を交わし、すぐにセドリックが従者へ軽く礼をして歩み出した。アレクは彼の後ろに続く。
王城へ向かう馬車では終始、三人とも無言だった。
重厚な静けさだけが揺れに合わせてわずかに震える。
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金と象牙の装飾が壁面を彩る回廊に差し掛かると、雰囲気が一変した。
薄く青みを含んだ白大理石の床は磨き抜かれ、靴音と話し声を澄んだ響きに変える。
高窓から差し込む自然光は、並ぶ王族の肖像画を照らし、代々の王家の系譜を描いた大タペストリーに柔らかな陰影を落としていた。
ここは王城の中でも〈伝統の象徴〉とされる空間で、魔導配管も蒸気設備も一切露出を許されていない。
「……あれがベルゼブブ伯爵か」
「工廠の馬車が灰簾宮へ向かったと聞いた。王女殿下が呼んだらしい」
「第一騎士団の美貌の騎士と一緒だぞ。何の用件だ?」
澄んだ回廊に、貴族たちの囁きが波紋のように広がる。
アレクは冷静を装って歩み続けたが、セドリックを蔑む声が想像以上に多いことに、胸の奥がわずかに軋む。
――これほどまでに、彼は誤解されているのか。
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王太子レオンハルトの執務室は、大理石と濃色の木材が調和し、威厳と実務感が共存する空間だった。
窓際に立っていた王太子は、二人を認めると腕を組み、口端を上げる。
白銀の髪、淡紫の瞳、細身の体躯――幻想的な容姿でありながら、纏う空気は実直で、無駄がない。
壁には各国の地図や軍事配置図、魔導技術関連の資料が整然と並び、黒檀の執務机には書類が山と積まれている。
閉じかけのペンが数本、急ぎの用事の途中で放り出されたかのように水差しに刺さっていた。
寄木の床は軍靴によって擦れた跡が点々と残る。
半分ほど飲まれたコーヒーは、冷めて久しい。
レオンハルトは深く頭を下げるセドリックへ歩み寄ると、手を差し出した。
セドリックもその手を握り返す。
「セドリック・ヴァーミリオン。先月の技術交換会以来だな。
だが、こうして落ち着いて言葉を交わすのは初めてだ。歓迎する」
「光栄にございます」
続いて王太子はアレクの肩を軽く叩いた。
「アレク。エレノアと茶を飲んだ後は、必ずここにも寄れ」
従者が質素な椅子を二脚運び、執務机の前に置く。
二人が座ると、王太子は自らの高背椅子には座らず、書類の山の端に手を置いたまま話し始めた。
「一番上の妹アレクシアは、エストリア共和国へ嫁いだ。
小国だが、魔導飛行機の研究で群を抜いている。
二番目の妹セシリアはアークメル王国へ。
あそこは大国だ。資源も人材も豊富で、魔導研究もこの地域では最先端だ。
そして、仮想敵であるヴァルハルト公国――
軍事一点突破だが、ゆえに脅威でもある」
言葉を区切り、淡紫の瞳でセドリックを真っ直ぐに捉える。
「セドリック。私はお前の技術と知識を高く評価している。
アルトルミナの魔導技術は遅れてはいない。
だが、“思想”が致命的に古い。
この思想の遅れが、研究開発の足を引っ張っているのだ。
お前が肩身の狭い思いをしていることも知っている。
周囲の誤解は……あまりにも深い」
長いまつげが伏せられ、頬に影が落ちる。
セドリックは静かに頭を垂れた。
「……お気遣いに感謝いたします」
王太子は静かに息を吐き、執務机に指を軽く置いた。
魔導ランプの青白い光が、淡紫の瞳に冷たい輝きを落とす。
「――セドリック。“量産型魔導兵装”にこだわる理由は、私も理解している」
アレクのまつげがピクリと揺れた。
王族と技師のあいだで交わされる、この“核心”の話題を聞くのは初めてだ。
「そもそも、魔導兵装というのは本来“個人専用”だ。
魔力の癖も、流れも、容量も、まるで違う。
それを無視して誰でも使える兵装など――理論上は不可能だと言われてきた」
レオンハルトは机上の紙資料を指でとんと軽く叩いた。
「符術回路は使用者に合わせて設計し直さねばならない。
だから、従来の兵装は選ばれた者にしか扱えない。
――それが“戦場で死ぬのはいつも弱い者からだ”という理不尽を生んでいる」
アレクの胸がわずかに痛む。
セドリックが馬車で語っていた“願い”が、王太子の口からも語られる。
「お前はそれを覆した。お前が開発した“共鳴環”によって」
アレクが息を呑む。
王太子は淡々と続けた。
「使用者に合わせて兵装を調整するのではなく、兵装側が“相手に寄り添い、魔力を受け止め、整える”という新しい回路思想。
魔導の歴史で前例はない。
魔力量の少ない者でも扱えるようにし、拒絶反応を最小限に抑え……」
「――“誰もが生きて帰るため”に、ですね」
思わずアレクの口をついて出た。
レオンハルトは一瞬だけ眉を上げ、静かに笑った。
「そうだ。彼が目指しているのは、“選ばれた者だけの戦場”ではなく、“皆が帰れる戦場”だ」
セドリックは微笑の気配をにじませ、軽く頭を下げた。
「過分なお言葉にございます」
レオンハルトはその言葉を否定するように、すっと手を揺らした。
「過分ではない。だが――誤解を受けるだろうな。
“弱者を戦場に駆り出そうとしている”と。
“無能な兵を量産する気か”と。
“騎士の立場を奪う”と」
アレクの胸が強く痛んだ。
思わず拳にわずかに力がこもる。
「……そんな噂をする者がいるのですか?」
低い声だった。
レオンハルトはちらりと彼を見る。
「アレク。お前ほど誠実な男なら、なおさら許せまい。
だが、セドリックは気にしていない。
――自分の“すべきこと”だけを見ているからな」
セドリックは少し困ったような、しかしどこか穏やかな顔をした。
「騒がれるのも、責められるのも慣れています。
ただ、僕の作る兵装で救われる命が一つでも増えるのであれば、それで十分です」
アレクは言葉を失った。
その“静かな覚悟”が、胸の奥の深いところに落ちていく。
――この人は、本物だ。
――だが、俺は……。
王太子はその沈黙を受け取り、軽く顎を引いた。
「アルトルミナは、今大きな転換点にいる。
セドリック。お前の思想は、国の未来と直結している」
淡紫の瞳が細められる。
「――だからこそ。お前は大切にされねばならない」
レオンハルトはやわらかく頷き、アレクに一瞥をくれたが、そのときは特に言葉を交わさなかった。
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部屋を辞す際、王太子は最後尾のアレクの肘を軽く引き寄せ、耳元で囁く。
「――あれほどの男の“護衛”に収まるな。誤解を生む。
お前は“第三王女の婚約者”だ。自覚を持て」
アレクは静かに頷いた。
扉の向こうでは、心配そうに待つセドリックが眉を下げている。
アレクは作り笑いでその不安を掬い取るように歩み寄った。
「魔導工廠に戻りましょう。私がお送りいたします」
セドリックは安心したように微笑んだ。
「はい。ありがとうございます」
正午の陽光が、セドリックの黒髪と翡翠の瞳をやわらかく照らした。
アレクの胸が、ふっと痛む。
――価値ある男。
――何ひとつ持たない自分。
――手を伸ばすことさえ、許されないというのに。




