7 始まりの調律
黒と濃灰を基調とした馬車が、石畳を静かに叩いて進む。
黒鉄の車輪と鋲打ちの補強、側面には王立魔導工廠の紋章――銀の歯車と青炎。
その厳しい意匠が、王城の敷地の白壁に淡く反射して揺れた。
アレクは視線を横に流し、斜め向かいに座るセドリックを見た。
彼は車窓の向こうに開ける城下の朝をじっと眺めていた。
瓶底眼鏡の奥の翡翠色の瞳は深く澄み、揺れひとつない湖面のようだ。
今日のセドリックは、王立魔導工廠の上級技師正装。
銀糸の繊細な刺繍が施された立ち襟の、深いチャコールグレーのロングコート。
胸には“技術局長級”の紋章。
普段は額に落ちる黒髪も、今日は丁寧に整えられている。
――どこか柔らかい、しかし確かな威厳。
ふと彼が視線をこちらに向け、目が合うと穏やかに笑った。
アレクも自然とわずかに口角を上げる。
「ヴァーミリオン殿、頂いた本、読みました。あれくらいが、私にはちょうどよかったです」
「読んでくださったんですね。嬉しいです」
「絵が可愛くて良かった」
「ふふ。あれは専門の画家にお願いしました。僕も気に入っているんです」
セドリックはそう言って、少しだけ視線を外へ戻した。
馬車の窓を流れる朝の光が、彼の瓶底眼鏡に柔らかく反射する。
「……そういえば、リーベル卿」
「はい?」
「あなたは、訓練で汎用魔導兵装をまとったことがありましたね」
「ええ。ですが……正直、あれがどれほど特別なのか、俺はよく分かっておりません」
セドリックはわずかに目を細めた。
説教めいた色はまったくなく、むしろ静かな確信を湛えた眼差し。
「本来、魔導兵装というのはオーダーメイド品なんです。
魔力の癖も、流れも、器官耐性も、人は皆違う。
だから兵装はその人に合わせて回路を組み直す必要がある。量産など本来は成り立たない」
「……では、俺がまとったものは?」
「“誰でも扱えるように”調整した試作です。
理屈としては、あり得ないとされていたものです。
本来は拒絶反応か暴走が起きて、身体が持たないはずなんです」
アレクが息を呑む。
「そんな危険なものを……」
「違います。危険を無くすために作っているのです」
穏やかで、しかし芯の通った声だった。
「兵装とは、本来“選ばれた人間”だけが扱えるもの。
だからこそ、戦場では“生きて帰れない者”が常に出る。
僕は、それが嫌でした」
「……嫌?」
「才能の有無に関わらず、徴兵された一般兵でも、生きて帰れる兵装であってほしい。
“特別な人間だけが助かる”技術では意味がない。
生き残るのは、誰かの息子であり、誰かの夫であり……誰かの希望です」
アレクは目を伏せた。
「……ヴァーミリオン殿は、そんな願いで……」
「はい。だから私は量産型兵装の開発を諦めません。
たとえ誰に揶揄されても、誤解されても、です」
アレクの胸の奥で、何かがひとつ、ほどける。
――この人は、本当に、心の底から。
――誰かの命を考えているのだ。
朝陽が差し込むたびに、濃紺の騎士服の生地が端正な光沢を返し、アレクの金の髪を柔らかく照らす。
魔導工廠製の馬車は振動を吸収するため、車内はほとんど音がしなかった。
ただ静かで、温かで、穏やかな朝が満ちていた。
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「エレノア王女殿下、セドリック・ヴァーミリオン主任技師殿をお連れしました」
灰簾宮のティーサロンで、アレクが胸に手を当てて一礼し、横でセドリックも深く頭を垂れる。
ソファにいたエレノアは、手を置いていた丸テーブルからすっと立ち上がった。
「セドリック、よく来てくれた。話を聞かせてくれ」
「光栄にございます」
エレノアはアレクに向き直り、右手をすっと下へ向ける仕草で差し出す。
アレクが跪いて指先に口づけると、エレノアは僅かに身をかがめて彼の肩を軽く叩いた。
「アレク、よくやった」
アレクは微笑を崩さず、静かに頭を下げる。
そのままエレノアはセドリックへ猫脚の椅子を示し、アレクには隣を指して座らせた。
「殿下、本日は私は控えて――」
「いいから隣に座れ」
エレノアの淡々とした圧に、アレクは逆らえずソファに腰を下ろす。
ヴェラが茶器を並べ、真鍮製の箱をエレノアに渡した。
「セドリック、見てもらえるか?」
エレノアが箱を差し出し、蓋を開ける。
内側に刻まれた魔導陣が青く脈動し、歯車が回転――やがて柔らかな旋律が流れ出す。
「魔導式のオルゴールですか」
「そうだ。自作した」
「殿下が……。拝見してもよろしいですか?」
エレノアが頷くと、セドリックは丁寧な所作でオルゴールを手に取り、歯車や魔導陣を指先で確かめていく。
「これは……共鳴干渉理論を応用しているんですね。それをここまで小型化するとは……。精密で美しい構造です。見事な作品ですね」
エレノアは身を少し乗り出し、底の基盤を指した。
「ここがもたつく。“もっといいやり方”はあるか?」
セドリックは少し眼鏡を押し上げて観察し、静かに言う。
「何か書けるものをいただけますか?」
ヴェラが無音でペンと紙を差し出す。
セドリックはすっと頭を下げ、さらさらと式と図を描いた。
「僕なら、こうします。魔導干渉が互いを打ち消さず、動力の伝達がより滑らかになるはずです――」
「……へぇ、そうするのか。これ、貰っても?」
「もちろんです。簡略図ですが、お役に立てば」
エレノアは表情をほとんど変えない。
だが――頬が、ほんの少し赤い。
アレクは静かにその変化を見つめていた。
「セドリック、今後も……ここに通ってくれないか。そうだな――家庭教師として」
真鍮のオルゴールを両手で包んだまま、エレノアが告げる。
その声音は、微かに上ずっていた。
セドリックは一度アレクを見る。
アレクが静かに頷く。
続いて執事、侍女――全員が頷く。
ゆっくりとセドリックも頷いた。
「畏まりました。日程は工廠に戻り次第、改めて調整してお知らせします」
エレノアの唇に淡い笑みが浮かぶ。
セドリックもやわらかく微笑み、アレクはそっと視線を落とした。




