6 召喚状の行方
王立魔導工廠の黒鉄の正門をくぐり、石畳の中庭へと進む。左右には第一実験棟と第二実験棟。その二棟をつなぐ渡り廊下が中庭をコの字型に囲んでいた。
柔らかな風がアレクの三つ編みをかすめる。灰簾宮からの召喚状を胸に、彼の濃紺の騎士服のボタンが穏やかに陽を返した。
中庭にいた技師たちが、ひそひそと声を交わす。
「おい……あれ、“美貌の騎士”じゃないか?」
「本物……?」
アレクが視線を向けて微笑むと、技師たちは驚きつつも慌てて頭を下げる。
彼が通り過ぎると、その後ろでさざ波のようなざわめきが広がった。
赤茶の煉瓦と黒鉄の補強梁が重厚な影を落とす第二実験棟。
その前では警備が二人、扉を挟むように立っている。アレクが軽く目礼すると、一人が扉を開いた。
入り口は二重の構造で、踏み込んだ先にある受付のさらに先は魔導ガラスと鉄格子で厳重に守られている。受付窓口の職員が顔をのぞかせると、アレクは静かに名乗った。
「第一騎士団“蒼輪騎士団”より参りました、アレク・フォン・リーベルです。
セドリック・ヴァーミリオン主任技師殿に、灰簾宮よりの召喚状をお持ちしました」
職員は真剣な顔で頷き、手を差し出した。
「伺っております。身分証のご提示を。それから、こちらの認証板に手を」
アレクが徽章を示し、格子の脇に設置された黒い板に触れると、じわりと温かな光が掌を包み、青白い波紋が板の内側から広がった。
――魔導認証。
魔導工廠は、国の軍事力を担う頭脳と心臓。
すべてが厳重に管理されている。
「確認しました。どうぞお入りください」
魔導ガラスと鉄格子が、重い音を立ててゆっくりと開く。
廊下へ入ると、天井の魔導配管が淡い脈動を放ちながら走っていた。
床の黒鉄タイルは磨かれ、足音が吸い込まれるように小さくなる。
防音の魔導吸収陣のおかげで、異様な静けさ。
遠くで、実験炉の“シュー…”という放熱音だけがかすかに響く。
角を曲がるごとに、安全確認の魔導文字が淡い光を放つ。
階段を上りきると、そのフロア全てがセドリック・ヴァーミリオンのラボだ。
――“頭脳国宝”と呼ばれる男。その待遇に、国がどれほど彼を重んじているかがよく分かる。
扉を叩くと、その音すら廊下に呑まれていく。
「どうぞ」
静かな声に、アレクは扉を開いた。
広いラボの中央、スチール製の大きな作業台の前にいた男性が、書類を置いてこちらに歩み寄ってくる。
「第一騎士団より参りました、アレク・フォン・リーベルです。
本日は、召喚状をお届けにあがりました」
アレクが胸に手を当てて礼をすると、セドリックは穏やかな笑みを浮かべ、控えめに頭を下げる。
白衣越しに見える姿勢は端正で、瓶底メガネの奥では翡翠色の瞳が柔らかく光っていた。
「お待ちしておりました、リーベル卿。どうぞおかけください」
応接セットを示され、アレクは浅く腰を下ろす。新品同様の硬い座面が、静かな緊張を際立たせる。
セドリックは奥の給湯器の前に立ち、陶器のカップを並べた。
湯を沸かしながら、ふとこちらを振り返る。
「紅茶と珈琲、どちらがお好みですか?」
「あっ……いえ、お構いなく……」
そう言いつつも、セドリックの柔らかな微笑みに押されるように、アレクも苦笑して頷く。
「……では、紅茶をいただけますか」
「喜んで」
翡翠色の瞳が柔らかく細められる。
つい気を許してしまいそうなほどに丸い空気。
――ラインハルトが“良い奴だ”と言った理由が、少し分かる気がした。
天井からは何本ものガラス管や銅配線が垂れ下がり、ゆっくりと魔導液が脈打つように流れていた。
壁一面の書架には分厚い技術書が整然と並び、中央には複数の作業台とデスク。ものは多いが、どこか几帳面な秩序がある。
部屋の奥には大型魔導炉が据えられ、青白い光が心臓の鼓動のように明滅していた。
アレクの前に白いカップが置かれる。
セドリックが向かいに腰を下ろした。
「召喚状をお持ちと伺いました」
落ち着いた、耳に心地よい声だった。
アレクは小さく頷き、机に召喚状を置いて彼の前へ押しやる。
「灰簾宮、第三王女エレノア殿下より預かりました」
「拝見いたします」
セドリックは召喚状を開くと、迷いのない動作で読み、静かに畳んでテーブルの端へ置いた。
「謹んでお受けいたします」
そしてふっと穏やかに笑う。
「きちんとお会いするのは三度目ですね」
「はい。守護天使殿」
アレクが冗談めかして言うと、セドリックは小さく笑った。
セドリックは、魔導反対派の貴族たちからは“ベルゼブブ伯爵”と呼ばれ、忌み嫌われている。
自身の腕に誇りを持つ第一騎士団の中にも、魔導兵装を受け入れられない者は多くいた。
それを怒ったのは、彼の婚約者であり、騎士団長の娘であるヴァレリア・ハルトマン。彼女は、なんとアレクに決闘を申し込んだのだ。アレクを相手に選んだのは、単に彼が目立つからである。
魔導兵装を纏ったヴァレリアにアレクは敗れたが、魔導兵装の強さや美しさを反対派の騎士たちに見せつけるいい機会にもなった。
そして、決闘の最後にヴァレリアはこう言ったのだ。
――彼は悪魔などではない。彼こそが、この国を守る“守護天使”なのだ、と。
元々アレク自身は魔導兵装に対して何も意見は持ち合わせていなかった。使えと命じられれば使うだけである。
「ヴァーミリオン殿は、特に驚いたりされないのですね」
カップに口をつけていたセドリックは、首を傾げる。
「何をですか?」
「王女殿下から召喚状が出されたことについて」
「あぁ」
カップをテーブルに置くと、セドリックは小さく笑った。
「王族の方々とはお会いする機会がありますが、国王陛下はあまり魔導にご興味がない様子。王太子殿下は国政として必要性を感じていらっしゃる。
ですが、王女殿下は、純粋に興味がお有りなのかなと感じていました」
アレクは微笑んだまま、膝の上の拳がわずかに震えた。
「……なぜそう感じたのですか?」
「挨拶しかさせていただいたことはないのですが、僕や、他の上級技師達の前では雰囲気が柔らかくなるので」
「……そうでしたか。
王女殿下は魔導工学に強い興味をお持ちです。ぜひ、ヴァーミリオン殿には話し相手になっていただければと思います」
「はい。ありがたいことです」
――本当に、春風のように穏やかな人だ。
――自分が纏う“作られた穏やかさ”とは違う。
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アレクが去り際に、ふとセドリックのラボの書架に目をやる。
「児童書も執筆されるのですか?」
セドリックは瞬きし、少し遅れて穏やかに笑った。そして棚から一冊を取り出す。
――まどうこうがくってなんだろう? 絵でみるまどうのふしぎ
――さくしゃ・セドリック・ヴァーミリオン
「こちらのことですね。子ども向けの入門書が欲しいと言われまして。絵本のようなものですが」
アレクはそれを受け取って、ページをそっとめくる。
大きな文字と、可愛らしい図解。温かい本だった。
「殿下から、“はじめての魔導工学”をいただいたのですが、私には少し難しく……」
「あぁ、あれは魔導工学を専門に志す者向けですから。一般書とは言い難い難度です。
こちら、読まれますか? よければ差し上げます」
アレクはセドリックの翡翠の瞳を見つめ、小さく頷いた。
「では、お言葉に甘えて。
ありがとうございます」
アレクが礼を述べると、セドリックは穏やかに頷き、ふとアレクの背へと手を添えた。
「第一騎士団はお忙しいでしょう。殿下のために魔導工学まで学ばれようとは、貴方は真面目な方ですね。
少しお疲れのようです。ご無理なさらないように」
アレクはその碧の瞳を改めてセドリックに向けた。
――“お疲れのようです”?
――気をつけていたのに、そんなに顔に出ていた?
セドリックはきょとんとアレクを見返す。
――違う。この人が鋭いだけだ。
「……また、来ます」
「え? えぇ、いつでもどうぞ。僕はだいたいここにいますから」
セドリックの笑みに背を向け、アレクはラボを出た。
扉が閉まると同時に、小さなため息が漏れる。
――また本が増えてしまった。




