55 世界の脈動
アルトルミナ王国。王城。
謁見の間の扉が開いた。
戦装束のまま、エレノアは王太子レオンハルトの手を取り、広間へ入場した。
藍の絨毯のその先に、父王が静かに座している。
多くの貴族が集まっており、高い天井に、そのざわめきが吸い込まれていった。
柔らかい光が、影を作らず、その広い空間を満たしている。
しかし、白い柱が並ぶその脇に、ひときわ声を上げている集団がいた。
――魔導反対派。
レオンハルトはそれを一瞥すると、エレノアに視線を送る。
彼女は小さく首を振った。
レオンハルトとエレノア、その後ろにはセドリックとアレクが並んで歩く。
「我々は“正しさ”を失ってはならないのだ!」
一人の男が、彼らが横に並んだ時、そう叫んだ。
――エルンスト・クラウゼン伯爵。
魔導反対派筆頭。
領地は小さいが、議会歴は長い男であり、「王に忠実」であることを自称している。
大した男ではない。
魔導反対派は、言わば有象無象の集まりだった。
だからこそ、レオンハルトは彼らを潰すことができずにきた。
「魔導は恐ろしいものだ!
我々は道を踏み外してはならない!!」
それに賛同する声がいくつもあがる。
「ベルゼブブ伯爵を追放せよ!」
集団のうちの一人が、セドリックに掴みかかろうと躍り出てきた。
アレクがセドリックを庇い、躍り出た男は衛兵に取り押さえられる。
エレノアは足を止めた。
レオンハルトは静かにエレノアを見、一歩下がって彼女を守る位置に立つ。
アレクも王女の脇に立ち、セドリックは頭を僅かに下げるとアレクに並んだ。
「恐ろしくて当然だ」
抑えた声。
だが、その声は一瞬で謁見の間を支配し、誰も口を開けるものはいなくなった。
「だが、我々はこの力を持ってしまった。
知識なく扱うほうが危険であろう。
学び続けろ。
考えることをやめたものが最初に死ぬ。
死にたくなければ知れ。
――それこそが生み出し続ける者の宿命だ」
レオンハルトは微笑みを浮かべ、エレノアの背に手を回した。
「時代遅れの者は去れ」
たった一言。
だが、エルンストはその場に力が抜けたように、座り込んだ。
レオンハルトは父王を振り返る。
その足はゆっくりと、絨毯を踏み、玉座への段を登った。
王太子は玉座の父王の脇に立つと、そっと、その肩に手を置く。
国王は、静かに息子である王太子を見つめた。
そして、そっと目を伏せる。
「……そうだな」
――こうして、彼らは静かな凱旋を遂げた。
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そのすぐ後に、王太子レオンハルトの即位が決定した。
彼は、魔導政策を国家の中心に据えることを発表。
また、第三王女エレノアは初の女性官吏として、“魔導政策総書記官”に指名された。
アルトルミナ魔導創製局、魔導先進戦術班《フロストギア隊》戦術指揮官を務めたアレク・フォン・リーベルは、男爵に昇爵。
王女専属近衛騎士長および魔導兵装部隊統合指揮官に就任することが決定された。
魔導統括官を務めたセドリック・ヴァーミリオン。
彼も、男爵を授爵。
王女の右腕となる王国魔導政策首席顧問、魔導技術総監に就任し、国家の魔導そのものを背負う官職に就くこととなった。
この日、アルトルミナは魔導と共に歩むことを選んだのである。
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灰簾宮、ティーサロン。
すみれ色の絹壁を、月光が柔らかく青に染めていた。
アレクはエレノアの前に静かに跪き、サーベルを両手に捧げ上げた。
刃を伏せ、柄を彼女へ向けて。
エレノアはそれを丁寧に受け取る。
手に伝わる、確かな重み。
王女はその剣を、そっと、アレクの右肩に当てた。
二人だけの、静かな儀式。
重なる呼吸と、微かな魔導の唸りだけが、空間に落ちている。
エレノアは剣を両手で持ち、アレクに返した。
――こうして、彼は剣を捧げ、
――彼女は、その人生を受け取った。
エレノアは腰をかがめ、アレクと目線を合わせる。
「アレク……。
偏見を取り去るのは、時間がかかる。
だが私は、私の戦い方で魔導を守り、育てていきたい。
そばにいろ、アレク」
「もちろんです」
エレノアはアレクの肩に手を添え、彼を立たせた。
一歩進み、その胸に顔を埋め、腕を背に回す。
アレクもそれに応えるように抱き返し、癖のない長い銀髪をそっと撫でた。
やがてエレノアは顔を上げ、背伸びをする。
だが、途中で動きが止まり、眉がきゅっと寄った。
それを、アレクは不思議そうに見下ろす。
ふと意図に気づき、静かに笑った。
背で編まれた金の髪が、かすかに揺れる。
アレクは少しだけ身を屈め、
エレノアの唇に、短くキスを落とした。
彼が柔らかく微笑むと、
彼女は頬を染め、嬉しそうに笑った。
窓の向こうには、灰色の煙を吐く黒い尖塔。
遠くで、規則正しく歯車が回る音がする。
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美貌の騎士と、無才の王女。
すべては、彼らの政略婚から始まった。
今日もアルトルミナ王国の空には魔導飛行船が浮かび、
街のどこを歩いても、魔導の唸りが小さく響いている。
それは――
彼らが選び、守り、育ててきた、
世界の脈動なのだ。




