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54 名を呼ぶだけで


「皆、よく戦ってくれた。

 戦士たちも、技師たちも」


 エレノアは、ゆっくりと視線を巡らせた。


 誰もが疲れ切った顔をしている。

 だが同時に、誰もが誇らしげに、彼女を見ていた。


「皆、よく私についてきてくれた。

 ――礼を言う」


 鳶が一つ、高く鳴いた。


 エレノアは顔を上げる。

 癖のない青銀の長い髪が、淡く陽の光を返した。


「私は、“魔導”が好きだ」


 再び、戦場に集った者たちを見渡す。


「魔導が、お前たちの未来を照らし、

 世界を広げてくれることを――

 私はずっと、部屋の中で夢見ていた」


 一拍、間を置く。


「だが、その夢を現実にしたのは、私ではない。

 お前たち一人ひとりだ」


 声は揺れない。


「私の願いは、叶えられた。

 感謝している。

 王族の一人として。

 そして、エレノアという、

 しがない一人の人間として――ありがとう。

 皆、本当によく戦ってくれた」


 拍手が起こる。


 微笑むと、ユリウスがそっと彼女の肩を抱いた。


「……まだ泣いてはいかんぞ。

 俺は、さっき泣いたがな」


 エレノアにだけ届く声。


 彼女は、くすりと笑った。


 拍手は、やがて歓声となり、それは草原を駆け抜けていった。


---


 その後、エレノアはヴェラを伴い、鉄槍境界軍の陣を回った。


 砦へ戻ってからも、

 フロストギア隊の全隊員、

 ルカとエンジニアたち、

 魔導制御塔のヘルマンたち――

 一人ひとりに、必ず声をかけた。


 それが終わると、ユリウスと戦後処理の打ち合わせを行い、王都のレオンハルトへ、魔導通信を送る。


 すべてが終わり、ようやく一人になれた時には、陽はすでに落ちていた。


 少し欠けた月が浮かぶ、静かな夜だった。


---


 エレノアは駆けた。


 砦の中を、ただひたすらに。

 王女に気づいた者たちは、言葉もなく道を開ける。

 ブーツの音が、石の廊下に鋭く響く。

 声をかけようとする気配はあった。だが、誰一人として、呼び止めなかった。


 ――そんなことは、どうでもよかった。


 一つの扉の前で足を止める。


 浅く、息を整える。


 中から、笑い声が聞こえた。


 それだけで、胸がいっぱいになった。


 ノックもせず、扉を押し開ける。


 碧い瞳が、驚いたように見開かれる。 


「アレク!」


 ベッドの縁に腰掛けていたアレクは、隣にいたセドリックの手を借りて、ゆっくりと立ち上がった。


 セドリックは軽く頭を下げただけで、何も言わずに部屋を出ていく。


 兵装はすでに外されていた。

 いつもきっちり留められているジャケットも、白いシャツも、今は緩くボタンが外され、包帯が覗いている。


「……アレク」

「……エレノア様?」


 柔らかな声。

 澄んだ瞳。


 視界が、滲んだ。


 エレノアは、その胸に飛び込んだ。


---


 アレクは、辛うじて彼女を受け止めた。


 身体のあちこちが軋み、立っているだけでも精一杯だ。


 それでも、彼女を支えた。


 後ろで、ヴェラが一礼し、静かに退室していく気配がした。


「アレク……」

「……エレノア様。その……ええと……」


 両手は、宙に浮いたまま。


 エレノアは、彼の胸で泣いていた。

 背に回された手が、彼の服を強く掴んでいる。


 ――触れていいのか。

 ――抱きしめても、許されるのか。


 エレノアが顔を上げる。

 青紫の瞳から、涙が溢れていた。


「アレク……!

 アレク……、アレク……」


 そしてまた、胸に顔を埋める。


 軋んだのは、傷ではない。

 心だった。


 自分の名だけを呼ぶ、その声。


 ――許されるかどうかなど、

 ――もう、どうでもいい。


 アレクは、そっと腕を回し、彼女を抱きしめた。


 澄んだ香り。

 確かな体温。


 ずっと、

 ずっと、欲しかったもの。


「……エレノア様」


 髪に頬を預け、今度は、逃がさぬように強く抱きしめる。 


 窓の外には、欠けた白い月。


---


 魔導制御塔の低い唸りが、ようやく安定して響き始めた辺境グラウベルト。


 “持たざる辺境”は、魔導の力で、この戦争に勝った。


 だが今だけは――

 そんなことは、きっと、彼らにはどうでもよかった。



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