53 剣に託したもの
ノクスが低く嘶いた。
張り詰めた空気を切り裂くように、二頭の馬が同時に踏み込む。
先に動いたのはカスパルだった。
巨躯の馬が地を蹴る。
その脚運びは荒々しくない。無駄がなく、重心が一切ぶれない。
転倒防止用の魔導制御具が低く唸り、馬体の傾きを即座に修正していた。
――速い。
その事実だけで、地面が圧される。
カスパルの右腕が振り上がる。
剣ではない。叩き潰すための一撃だ。
剣が振り下ろされた瞬間、空気が割れた。
アレクは迷わず、ノクスの首を叩いた。
「左!」
言葉ではない。
それは癖であり、呼吸であり、長年の信頼が生んだ合図だった。
ノクスは反射的に進路をずらす。
その刹那、カスパルの剣が地面を叩いた。
――轟音。
土が抉れ、草が舞い、衝撃が脚元から伝わってくる。
もし受けていれば、剣で防ごうと、馬ごと叩き潰されていただろう。
「ほう……!」
カスパルの声に、愉悦が混じる。
「よく躱した!」
彼は馬を制する。
脚の動き、体重移動、すべてが正確だ。
馬は“道具”として完璧に使いこなされている。
一方――
アレクはノクスの首元に、膝を密着させていた。
手綱は強く引かない。
剣も、まだ振るっていない。
呼吸を合わせる。
鼓動を読む。
ノクスが次にどう動くかを、考える前に感じ取る。
再び、二頭が交錯する。
今度はアレクが仕掛けた。
剣が閃く。
重さを削ぎ落とした、鋭い斬撃。
狙いは胴でも首でもない。
――腕。
だが、カスパルはそれを読んでいた。
左腕が持ち上がる。
砲撃型魔導装備が低く唸り、盾のように斬撃を弾く。
火花が散る。
その反動すら、馬体が吸収する。
魔導制御具が即座に衝撃を分散させていた。
「力を捨て、速さを取ったか!」
カスパルは馬を旋回させながら、間合いを詰める。
剣が振るわれるたび、重さそのものが圧力となって迫る。
アレクは一撃も受けない。
だが、逃げてもいない。
躱し、踏み込み、斬り返す。
紙一重。
ほんの指一本分の距離。
その連続。
ノクスの脚が滑る。
小さな段差に、バランスを崩しかけた。
だが、立て直したのはアレクではない。
ノクス自身だった。
踏み替え。
身体を沈め、即座に前へ出る。
魔導制御も、補助もない。
あるのは、互いを信じ切った動きだけ。
カスパルの目が、細くなる。
「……なるほど」
その声は、戦士としての純粋な感嘆だった。
「貴様は、馬と一体だ」
次の瞬間。
カスパルの左腕が、わずかに角度を変えた。
砲口が、アレクではなく、ノクスの脚線上を狙う。
引き金。
乾いた破裂音。
アレクの剣が弾けるように振るわれた。
砲弾が、軌道を僅かに逸れる。
――だが、完全には防ぎきれない。
弾丸は、地面を掠め、
跳ね上がり――
カスパルの剣が、続けざまに振り下ろされる。
重さと速さが、同時に襲いかかる。
激突。
剣と剣が噛み合い、火花が散る。
衝撃が骨に響き、アレクの腕が軋んだ。
――重い。
受けきれない。
ノクスが呻き、脚を踏み替える。
次の瞬間、砲口が至近距離で向けられた。
「終わりだ、騎士――」
引き金。
爆音。
だが、アレクは撃たれる瞬間を待っていた。
“核――そこを的確に狙えさえすれば、止められるのではないだろうか”
踏み込む。
ノクスが地を蹴る。
砲撃の反動。
左腕兵装の内側――
一瞬、青光が弾けた。
――そこだ。
――核を狙え!
剣が走る。
斬るのではない。
突く。
核を守る装甲の継ぎ目。
ほんの指一本分の隙間。
剣先が吸い込まれた。
――爆ぜる音。
青光が内部から噴き上がり、
黒煙が一気に吹き出す。
「――ッ!!」
カスパルの左顔面を、灼熱が焼いた。
皮膚が弾け、視界が歪む。
兵装が悲鳴のような音を上げ、
左腕が完全に沈黙する。
馬が制御を失い、前脚を折る。
地面に叩きつけられる衝撃。
アレクもまた、振り落とされた。
転がる。
肋が軋み、血の味がする。
それでも立ち上がる。
剣を支えに、ゆっくりと。
カスパルも立ち上がった。
左腕は垂れ下がり、兵装は黒煙を吐いている。
視線が合う。
静寂。
「……魔導、とは」
カスパルが、低く笑った。
「なるほどな」
剣を下ろす。
「我々の、負けだ」
カスパルはエレノアと、少し離れたところに立っていたユリウスを順に見た。
「ヴァルハルトはアルトルミナに負けた!
ここに認めよう。
我々は完全に撤退する!
ヴァルハルトの魔導は、
アルトルミナの“魔導の思想”に
――負けたのだ」
カスパル・ドライゼンは、背を向けた。
ヴァルハルトの陣から駆けつけてきた戦士が彼に肩を貸している。
静かに、その背は遠ざかっていった。
平原を撫でる風。
雲の隙間から、陽が幾筋もの層になって、降り注いだ。
「勝ったんだ……」
それは誰のつぶやきか、分からない。
だが、それがはじまりだった
鉄槍境界軍から、フロストギア隊から、一斉に歓声が上がった。
---
「アレク!」
叫んだのは、セドリックだった。
エレノアは、声が出なかった。
王女の横を、セドリックが駆け抜けていく。
駆け出そうとしたエレノアの腕が強く引かれた。
見上げると、いつの間にか隣に立っていた兄、ユリウス。
「耐えろ。あの男は生きている。騎士生命も断たれていない。大丈夫だ。
……お前にはまだやるべきことがある」
「……兄上」
自分でも情けないほど、声が掠れていた。
---
セドリックがアレクに駆け寄ると、アレクは、セドリックにもたれ掛かるようにして、倒れた。
セドリックは支えきれず、一緒になって倒れ込む。
「すまない……」
「……アレク」
先に起き上がったセドリックが、背からアレクを抱える。
彼はもう、満身創痍で、自力で起き上がれそうにない。
「……魔力切れですよ」
「そうか……」
抱えられたアレクの肩に、雫が落ちる。
「……泣くなよ。男だろ?」
「……よく頑張りました。
よくぞ……守ってくれました。
僕たちの魔導は、殿下の思想は、貴方が守ったんですよ」
「……俺、頑張ったよな」
「はい」
「さすがに……疲れた」
「……はい。
――救護班の方たちが来ます。砦に戻りましょう」
「うん」
救護隊が駆けつけ、アレクを連れて行く。
セドリックはそれにぴたりと寄り添い、共に砦に戻った。
---
エレノアはそれを、ただ見ていた。
瞳を伏せる。
息を吐き、青紫の瞳を、並ぶ戦士たちに向けた。
――王族の矜持。
震える足を、それだけが支えていた。




