50 ただ一騎
『こちら魔導制御塔。
運転は正常に戻った。引き続き警戒する』
本陣と技師区画に、押し殺した安堵の気配が走る。
エレノアは、ようやく小さく息を吐いた。
気づけば、手のひらが汗で濡れている。
それを誰にも見せないよう、膝の布にそっと拭った。
「殿下。
広域魔導遮断フィールドと魔導位相歪曲砲の展開準備が整っています。
どうされますか?」
技師区画から戻ってきたセドリックに問われる。
エレノアは立ち上がった。
銀の髪が僅かに揺れる。
「……展開してくれ。
――いや、待て」
その声は、途中で止まった。
エレノアは前線に目をやる。
前線は、ほぼ膠着状態と言えた。
押されてもいない。だが、押し切れてもいない。
大盾型兵装は数こそ多いが、本来ならヴァレリア式で削り切れるはずだ。
その先の魔導歩兵も、鉄槍境界軍が囲めば討ち取れる。
――だが。
戦車型魔導兵装の砲撃が、そのすべてを妨げていた。
動きも早く、硬い。空への迎撃も確実に行なってくる。
大盾と対峙しているヴァレリア式魔導兵装部隊の足元を砲撃で狙ってくるため、突破できるはずの大盾魔導兵装でさえ、討ち果たせていない。
鉄槍境界軍の足も止められてしまっている。
――戦車型の奥は、軽装備の射撃兵と本体は弱い砲撃型だけだ。戦車型さえ突破できれば勝ちが見えるというのに……。
――魔導位相歪曲砲は何度も撃てない。
――戦車型を突破する方法を考えなければ、無駄撃ちになる可能性もある。
「セドリック、とりあえず遮断フィールドだけ展開してくれ。
少し、私に時間をくれないか」
「かしこまりました」
セドリックは頭を下げ、技師区画に戻っていく。
「アレク……。戦車型をどうにか突破したいな」
エレノアは腕を組みながら、アレクに並ぶ。
「はい……。
フロストギア隊の小型兵装部隊でも、撃破には至っていません。
飛行隊の砲撃も、ほぼ迎撃されている。
戦車型の砲撃範囲が広すぎて、隙を突いて脇を抜けるのも困難です」
少し間を置いて、アレクは続けた。
「敵兵装を全て叩く必要はない。
本陣に入り込んで敵将を討てば、それでも勝てる。
ですが……今の状況では、その“隙”すら作れません」
「アレク。核を見つけたいのだ。少し寄りたい。いいか?」
「核?」
「魔導兵器の心臓部だ。そこをピンポイントで狙えたら止められるはずなんだ」
アレクの眉が寄る。
「それは、内部に収められているのでは?
装甲がまず抜けない可能性が……」
「いや、そうとも限らないんだ。
あの戦車型はずっと砲弾を撃ち続け、走り続けている。セドリック曰く、あの砲弾は実弾ではなくて魔導動力を圧縮したエネルギー弾なんだ。
とんでもなく魔導動力を使い続けていることになる」
乾いた風に、金属の焼ける匂いと、蒸気が混ざって頬を打った。
「つまり、丁寧に核を守ることよりも、出力を上げることを優先した構造をとっている可能性が高い。核は――冷却と放熱を優先した位置にあるのではないか?
場所さえ分かれば、
――そこを的確に狙えさえすれば、止められるのではないだろうか」
アレクも前線を見下ろす。
黒い大型の戦車が、いくつもの弾を発射し続けているのが見える。
「……わかりました。お供します」
「前線まではいかない。少し前に出るだけだ」
「はい」
二人は本陣の端へ進む。
高台。
敵狙撃兵の射線が、確実に通る位置。
エレノアは遠眼鏡を構えた。
――探せ。
――動きの癖。
――熱の逃げ道。
――無理をした痕跡。
その瞬間。
アレクのサーベルが、音もなく閃いた。
弾かれた弾丸が、乾いた音を立てて地に落ちる。
王女の肩が、僅かに跳ねた。
敵狙撃手。
ここが“見えている”証拠。
だが――。
「見つけた。
下がるぞ!」
エレノアは即座に踵を返した。
アレクは射線を切りながら、彼女を庇って後退する。
「一番鋭い射撃ができる者を呼んでくれ!」
アレクは耳に手を添える。
「第四小隊、ジン。
強撃銃を持って本陣へ急行しろ」
『了解』
---
強撃銃が設置される。
三脚。
照準。
銃の先床に魔導回路が、低く脈打つ。
エレノアは地面にしゃがみ込み、指で前線を示した。
「砲塔の左、出入扉の反対側。
黒い塗料の下に、魔導陣の痕跡がある。
……そこだ」
ジンは何も言わず、照準を微調整する。
引き金を引く。
衝撃音。
魔導砲弾が一直線に飛び――
青白い光が、一瞬だけ内部から噴き上がった。
そしてそれは、――動きを止める。
「アレク! 止まった!!」
「こちら本陣。一両の戦車型の核破壊に成功。
第二小隊、そのまま撃破せよ!」
『了解!』
散開していた小型兵装部隊が取り囲み、完全に沈黙させる。
爆発音。
戦車型から黒煙が上がり、再び小型兵装部隊が散開する。
『第二小隊、戦車型一両撃破!』
「こちら、本陣。
他の戦車型の核破壊も試みる。続けてくれ」
『了解!』
アレクはジンを見た。
彼は淡々と砲弾を詰め、次の標準を合わせている。
「ジン、残りも頼む」
「もちろんです」
エレノアは、知らず息を呑んでいた。
――見えた。
確かに、勝ち筋が。
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それから、残る四両の戦車型魔導兵器の核破壊にも成功した。
戦場の均衡は、決定的に崩れた。
足を止められていたヴァレリア式魔導兵装部隊が一気に前へ出る。
大盾型は次々と撃破され、鉄槍境界軍が押し寄せるように小型兵装を囲み、殲滅していった。
あれほど驚異だった砲撃型の大型魔導兵器も、
数で包囲されると、抵抗らしい抵抗もできないまま崩れ落ちる。
――勝敗は、もはや明らかだった。
ヴァルハルト兵は、秩序を保ったまま撤退を開始する。
鉄槍境界軍も、フロストギア隊も、深追いはしない。
初めに構えた陣まで下がり、静かに、その背を見送った。
だが――
黒馬の脚が、止まった。
グンターが振り返る。
その瞬間、
誰もが、同じ音を聞いた。
――蹄。
ひとつ。
またひとつ。
撤退していくヴァルハルト兵の流れを、逆らうように。
---
アルトルミナ、フロストギア隊本陣。
「……何か、来る」
アレクの低い呟きに、エレノアは椅子から立ち上がり、前線を見据えた。
引き波のように退く敵兵の隙間から、
――真紅の毛並みを持つ駿馬が、姿を現す。
まっすぐに、ただ一騎で、アルトルミナの陣へ。
平原の中央で、馬はぴたりと止まった。
静止。
それだけで、場の空気が変わる。
圧が、降りてくる。
最前線にいた兵だけでなく、
本陣に控える補給兵や技師たちまでが、無意識に息を呑んだ。
赤き巨馬にまたがるのは、黒衣に紅のマントを翻す男。
高く結われた黒髪が、風に揺れる。
武人――否、武そのもののような佇まい。
男はゆっくりと視線を巡らせ、朗々と名乗りを上げた。
「我こそは、ヴァルハルト国前線指揮官
――カスパル・ドライゼン」
その声は、戦場を渡る。
「アルトルミナの魔導、見事であった。
魔導の将よ。出で参られよ。
話そうではないか」
エレノアが一歩、前に出かけた。
その腕を、アレクが静かに伸ばし、制する。
「……簡単に応えてはなりません」
澄み切った碧の瞳が、まっすぐに敵将を捉えている。
その横顔に、エレノアは一瞬、息を忘れた。
――来る。
皮膚の奥が、ざわりと震えた。




