48 蒼穹に託すもの
眼前で、スカーレット・ウィングが鋭く高度を上げた。
赤の機体が、雲を切り裂くように天へ躍る。
ヴァルハルトの小型機も反射的に追従するが、次の瞬間、白い雲塊が視界を塗り潰した。
――雲は、盾だ。
――だが、同時に罠でもある。
計器は沈黙している。
レーダーは死に、索敵補助も機能しない。
今この空では、見えた瞬間が敗北だ。
操縦席に汗が滲む。
魔導エンジンの低音が、機体全体を震わせていた。
雲を抜ける。
視界が一気に開けた、その刹那――
正面から、赤い閃光が突っ込んできた。
回避か、射撃か。
判断は一瞬。
――遅れた。
---
轟音。
砲撃が交錯し、空気が裂ける。
スカーレット・ウィングは爆散する敵機をかすめるように、鋭角に旋回した。
「こちらスカーレット・ウィング。小型一機、撃墜」
『本陣、了解』
遮断フィールドの影響は明らかだった。
敵小型飛行戦闘機は、もはや“兵器”ではない。
索敵も、追尾も、補正もない――ただの飛ぶ鉄塊だ。
完全な腕の勝負。
敵八機。こちら六機。
数では劣る。だが、練度と統制は上だ。
「小型は俺が引きつける。
フロストギア隊は前線の撹乱と偵察に集中しろ」
『了解』
通信は短く、確実に。
残る敵小型機は統制を失い、散開していた。
低空には、大型魔導戦闘機が一機。
今はまだ、動きが鈍い。
ルカは雲を裂いた。
蒸気の軌跡を引きながら、紅の機体が敵機の背後を取る。
敵が慌てて旋回する。
――遅い。
青空を背景に、黒い機体が火を噴き、落ちた。
さらに一機。
急降下。
操縦席越しに、敵パイロットの顔が見えた。
引き金。
砲撃。
黒煙を上げ、機体が地へ沈む。
「こちらスカーレット・ウィング。小型、二機撃墜」
『本陣、了解』
ルカは一瞬だけ、視線を下に落とした。
低空の大型魔導戦闘機。
その機体から、魔導の色が立ち上り始めている。
――遮断は、永遠じゃない。
セドリックの言葉が脳裏をよぎる。
その直後だった。
重低音。
空気が、波打つ。
「……来た!」
操縦桿を引き、急上昇。
一筋の青光が、スカーレット・ウィングを追って伸びてくる。
追尾弾。
螺旋を描いてかわす。
だが、すぐに――二発目。
「ちっ!」
速度を上げ、高度を変える。
追尾弾の軌道が、わずかに逸れる。
大型魔導戦闘機が、信じがたい加速で高度を上げた。
背後を取られかけ、急降下で回り込む。
――でかいくせに、速すぎる。
さらに追尾弾。
二発、三発。
「あいつ……何発撃てるんだ!」
高度を変え、速度を変え、軌道を乱す。
避け続けるしかない。
その時。
視界の端で、敵小型機が陣形を取り始めた。
狙いは――フロストギア隊。
「フロストギア隊! 逃げろ!
背後につかれる! 撹乱は中止だ!」
訓練は積んだ。
だが、実戦は違う。
「……まずいな」
追尾弾を紙一重でかわした直後、空で爆散。
閃光と衝撃で、視界が一瞬、白に染まる。
ルカは勘だけで操縦桿を引いた。
機体が悲鳴を上げながら、高度を稼ぐ。
――空が、牙を剥き始めていた。
---
操縦桿を握る手に、汗が滲んだ。
「フロストギア隊! とにかく逃げろ!
背後を取らせるな!」
視界の端で、アルトルミナの戦闘機が必死に陣形を組み直している。
互いに距離を保ち、旋回し、ヴァルハルト機の背後へ――だが、追いつけない。
ルカは歯を食いしばった。
――指示を出す余裕がない。
追尾弾。
また追尾弾。
回避、上昇、急降下。
速度と高度を絶えず変えながら、背後に張り付く大型魔導戦闘機を振り切る。
重い。
速い。
そして――しつこい。
これ以上、視線を割けない。
『――ルカさん!!』
魔導通信が割り込む。
「どうした!」
『ルカさん! 俺たちを信じてください!
貴方が与えてくれた技術と誇りを、俺たちは持ってます!
小型は俺たちが――』
通信が乱れた。
『――っ、回れ! 右だ!』
ルカが低空を探した、その瞬間。
衝撃。
追尾弾が左翼を掠めた。
『俺たちが引き受けます!
大型を――頼みます!!』
「……っ!」
ルカは一瞬、歯を剥いて笑った。
ゴーグルの奥で、獣のような笑み。
「――そうだよな。信じる。
絶対に、落ちるなよ!」
『はい!』
通信が切れる。
---
ルカは、深く息を吸った。
――集中しろ。
――俺は“蒼の翼”。
――空に選ばれた男だ。
スカーレット・ウィングは、追尾弾を引き連れながら空を裂いた。
それでもなお、自由に。
大型魔導戦闘機が追う。
獣の咆哮のような魔導エンジン音。
胴を走る魔導光は、竜の鼓動そのものだ。
赤い機体が、雲に潜る。
大型機は高度を取った。
鷹が獲物を待つように、静かに、冷酷に。
――静寂。
耳鳴りが、世界を満たす。
その刹那。
爆発音。
「真下だ!!」
ヴァルハルト機のパイロットが叫んだ。
遅い。
腹部に穴が穿たれる。
続けて、マシンガン。
尾翼が削ぎ落とされ、方向舵が折れた。
制御不能。
スカーレット・ウィングは、下から上へすり抜ける。
旋回。
急降下。
――追尾弾が発射される。
「堕ちろ!」
引き金。
爆撃。
ルカは操縦桿を強く引いた。
轟音。
爆風が機体を叩き、視界が揺れる。
黒煙。
炎。
大型魔導戦闘機は、そのまま――堕ちた。
ルカは、ようやく息を吐いた。
「……はっ。久々に緊張したな」
視線を下へ。
フロストギア隊は、まだ飛んでいる。
ルカは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「こちらスカーレット・ウィング。
大型魔導戦闘機、撃墜」
『こちら本陣――よくやった!』
---
フロストギア隊第三小隊は、空に散っていた。
陣形を組み、ほどき、また組み直す。
追えば追われ、背後を取れば、すぐに取り返される。
敵の小型戦闘機は、まだ追尾弾を撃ってこない。
――撃てないのだ。
遮断フィールドの影響で、操縦補助も索敵も効かない。
完全な目視と勘、そして腕だけの戦い。
「……くそ。やっぱり、速いな」
第三小隊隊長は、息を詰めながら操縦桿を握り直した。
――でも、機体性能なら負けていない。
――足りないのは、経験と――
「……勇気だ」
彼は通信を開いた。
「フロストギア隊!
俺たちの機体が負けるはずない!
足りないのは、経験と勇気だけだ!」
『了解!』
「次、背後を取ったら、躊躇するな!
――行くぞ!!」
二機が、ふっと雲に消えた。
「頼んだぞ。俺が囮になる!」
残る三機が、あえて目立つように高度を下げる。
ヴァルハルト機五機が、それに食いついた。
包囲。
挟撃。
「……まだだ。
――耐えろ」
敵が広がる。
三機だけを、追う。
――その瞬間。
霧が裂けた。
空と同化していた二機が、背後から現れる。
爆音。
一機が、黒煙を上げて堕ちた。
『一機!』
「よし! 散開!」
もう一機がマシンガンを叩き込む。
残る敵三機が、反射的に散る。
そこへ、囮だった三機が合流した。
今度は、数で囲む。
制御を失った敵機が、ゆっくりと回転しながら落ちていく。
「二機! あと三機!」
『後ろ!』
衝撃。
右翼から蒸気が噴き出す。
警告灯が鳴り響いた。
「……くっ」
だが、仲間のもう一機が、撃った敵の背後を取る。
戦闘機が交錯する。
黒煙が空に線を引く。
『一機撃墜!』
「あと二機だ!」
---
味方機が追われている。
「落ちるなよ!!」
操縦桿を引く。
被弾の影響で、動きが鈍い。
『悪い……被弾した! 制御が――』
「謝るな! 囲め! 今だ!」
派手な動きはできない。
だが、判断は早く。
急降下。
距離を詰め、確実に撃つ。
マシンガン。
敵機が炎を上げる。
追われていた味方機が、辛うじて抜けた。
「……よし」
旋回。
爆風をかわす。
黒い機体が、落ちていく。
「あと一機!!」
息が荒い。
全機、蒸気を吐き、動きが重い。
――あと一機。
――だが、あと一機が、遠い。
---
その時。
影。
上空から、赤い閃光。
爆撃音。
最後の黒い機体が、火を噴いた。
そして――堕ちる。
スカーレット・ウィングが旋回し、並んだ。
『よくやった』
「ルカさん!!」
『フロストギア隊第三小隊。
空小型五機、撃墜』
『本陣、了解。空は一掃できた。
被弾した機体は一度戻れ。
引き続き、撹乱と迎撃を頼む』
『了解!』
隊員たちは、ようやく息を吐いた。
今さら、心臓が激しく脈打つ。
だが――
眼下では、まだ怒号と砲撃が続いている。
戦場は、終わらない。




