43 気づかぬまま、答えに触れて
灰簾宮、小書斎。
エレノアは机に肘をつき、顎を支えていた。
「魔導兵装部隊を大幅に増やしたいのだ」
「どれほどをお考えですか?」
「百五十」
隣の椅子に腰掛けていたセドリックは鞄から資料を取り出す。
「……問題ありません。
ヴァレリア式の課題は、限りなく軽量化させた結果、パーツが繊細になり、手作業を必要としていたことです。
ですが、専用設備が整った今は大量生産が可能です。
破壊された際の補充も含め、多く用意しておきましょう。
それより、人は確保できるのですか?」
エレノアはニヤリと笑う。
「軍務卿が表立って私の後ろ盾になってくれた。
これまでは、極秘に人を集めていたが、これからは大々的に人を集められる。
アレクが一人ずつ手合わせして選抜しているから、大変そうではあるがな」
壁際の本棚を、エレノアは満足げに眺める。
小書斎の本棚から、恋愛小説や哲学書は姿を消した。
それらはすべて、王城図書室へ寄贈されている。
今、彼女の周囲に残るのは、魔導に関わる書物だけだった。
――ようやく、居心地のいい部屋になった。
小さな窓から差し込む柔らかい光。
耳を澄ませば、いくつもの音が聞こえる。
蒸気の吐き出される低い唸り。
魔導灯の微かな脈動音。
「アレクか……」
王女の独り言に、セドリックは手元の資料を閉じて、顔を上げる。
「お前たちは、いつの間にか呼び捨てし合うようになったな。
いつ仲良くなったんだ」
「……徐々に、でしょうか」
「なんなら――私よりも、お前の方がアレクと話している時間が長いのではないか?」
「性別や立場の差もありますから……。
それは、なんとも言えませんが」
「なぁ、セドリック。
なぜアレクは婚約者なのに私に手を出さないのだ?」
不意打ちの言葉に、セドリックは思わず吹き出してしまった。
「……え?」
謁見の間に立ったあの日から、エレノアは額を出すようになった。
アーモンドアイの青紫の瞳がまっすぐにセドリックを見つめる。
「率直に言うと、彼は模範的な“騎士”です。殿下がお許しにならなければ“手を出す”ことはないでしょう」
セドリックはエレノアを見返す。
「ただ……。
――殿下はアレクに手を出されたいのですか?」
「え……」
翡翠の瞳を細めて、彼は小さく息を吐いた。
――それがどういう意味なのか。
――ご自分がアレクに対してどんな感情を抱いているのか。
――本当に分かっていないんだな……。
セドリックは一つため息をついた。
それは呆れではなく、諦めに近い。
そうして彼は、おもむろに眼鏡を外して手に持ち、足を組んだ。
香り立つような気配が、ふわりと漂う。
それを見たエレノアは息を呑み、目を泳がせた。
「……アレクが言っていたが、本当にセドリックは“大人の色気”があるのだな」
セドリックはあえて声を落とし、静かに笑む。
「そうですか?」
翡翠の瞳に見つめられ、エレノアは頬を染めて視線を逸らした。
「それでは殿下は僕に触れたいと思いますか?
もしくは触れられたいと思いますか?」
「えっ……!」
エレノアは思わず息を呑んだ。
胸の奥が、きゅっと小さく縮む。
「……でも、アレクには触れたいのですよね? それが答えでしょう」
セドリックは静かに眼鏡を掛け、妖艶な気配を消し、優しく笑った。
「はい、この話はおしまいです」
愕然としてエレノアはセドリックを見る。
「お……、お前は二度と眼鏡を外すな!」
「あはは」
エレノアはそっと自分の頬に手を添えた。
――彼女の頭の中にいるのは、きっとあの金髪の騎士だろう。
セドリックはエレノアが落ち着くまで、静かに隣で資料を読むことにした。
――まったく……手がかかる二人だな。
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翌朝。
朝の挨拶にアレクが訪れた。
エレノアは小テーブルに手を置いて、彼が歩み寄るのを待ってから、立ち上がる。
エレノアはアレクを見た。
陽の下では白金に輝く金の髪は、室内では甘い蜂蜜色に落ち着くことを彼女は知っている。
その柔らかそうな髪は、いつも背できっちりと編まれていた。
あの髪に、エレノアは触れたことがない。
外での訓練も多いというのに、その肌は白く澄んでいる。
手首や肘には触れたことがある。
その感触を、指先は覚えている。
彼は無駄のない動作で跪き、エレノアが出した右手をそっと取った。
甘い顔立ち。柔らかい碧い瞳。
アレクは、そっと指先に口づけを落とした。
そして、顔を上げ、エレノアの瞳を見つめる。
柔らかく、甘く、彼の目が細められた。
その瞬間――
エレノアの世界が、一拍遅れて赤く染まった。
頬が熱い。
胸が痛い。
アレクは僅かに目を見開いた。
その小さな仕草でさえ、彼女の胸をさらに締め付ける。
――“……でも、アレクには触れたいのですよね?”
セドリックの声が、胸の奥で静かに響く。
――そうか。
私は――彼に触れたいのだ。




