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41 前に立つ王女



 翌朝。

 灰簾宮かいれんきゅうの廊下を、足音が早足に響いた。


「アレク! エレノアは?」


 振り返ったアレクは、即座に胸に手を当てて頭を下げる。


「まだ寝室にいらっしゃいます」

「通せ」


 短く、それだけ言う。

 アレクは前室であるティーサロンを抜け、寝室の扉を叩いた。


 応答を待つより早く、扉が開く。

 レオンハルトはヴェラの制止を半ば押し切るようにして、中へ踏み込んだ。


「エレノア!」

「……兄上?」


 小テーブルの前にいたエレノアが、訝しげに立ち上がる。

 朝の柔らかな光が部屋を満たし、カーテンの銀糸が淡く輝いていた。

 濃い青紫の瞳は、いつも通り、厚い前髪の奥にある。


 レオンハルトは彼女の前まで歩み寄ると、両肩に手を置いて顔を覗き込む。


「怪我はないか。無事か」

「え……?」


 額に触れ、視線で全身を確かめ、そして――

 彼は妹を強く抱き寄せた。


「……肝が冷えた。本当に」


「兄上。私は何ともない。危なかったのはヴェラだ」


 腕を解こうとしたエレノアに、レオンハルトは低く言う。


「違う。

 ヴェラを排したあとに狙われるのは、お前だ。最初から“本命”はお前だろう」

「……それは、そうだが」


 レオンハルトはエレノアを離し、アレク、ヴェラと順に視線を向けた。


「二人とも。エレノアを守ってくれたこと、感謝する」


 アレクとヴェラは、静かに頭を下げる。


「ヴェラ。支度を。陛下に会う。

 髪を上げろ。――思い切り、美しくしてやれ」


「……兄上?」


 エレノアが声を上げる。

 レオンハルトは正面から妹を見据えた。


 淡い紫の瞳にあるのは、決意と、兄としての慈しみ。


「もう、隠れていても意味がない。

 ならば、出るぞ、エレノア」


 彼女の視線が、一瞬だけ彷徨う。

 無意識にアレクを探しかけ――だが、伏せる。

 短く息を整え、王太子を見る。


「……はい、兄上」


 エレノアは踵を返し、ドレッシングルームへ向かった。


---


 王城、謁見の間。

 その扉の前。


 従者が手を伸ばしかけた瞬間、レオンハルトはその肩を掴んだ。


「待て」


 白銀の髪が、静かに振り返る。

 視線は、エレノアへ。


「後戻りはできない」


 低く、抑えた声。

 エレノアは一歩前に出て、兄を見上げた。


「戻らない」


 即答だった。


 兄の目が、わずかに細められる。


「兄上。私の夢は、魔導オタクを極めることだ。

 王族として技師たちを引き上げ、魔導を育てたい。

 ――今日、私はその一歩を踏み出す」


 一拍。


「戻る気など、さらさらない」


「……そうか」


 エレノアは、ふっと口元を緩める。


「兄上も、早くあの少しだけ高い椅子に座ってくれ。

 私の夢は、兄上の治世でなければ叶わない」


 レオンハルトは片眉を上げ、苦笑した。


「言ってくれるな。まったく……」


 従者の肩から手を離す。


「行くぞ」

「はい」


 重厚な扉が、ゆっくりと開かれた。


---


 高窓から差し込む光が、巨大な広間を幾重にも満たしていた。

 影はない。

 柱の裏にも、高窓の桟の下にも、壁龕の奥にも。

 謁見の間は、光で均されている。


 藍の絨毯の先、重厚な木と金属で組まれた玉座には父王アルフォンス三世。

 その背後に従者。

 さらにそれを囲むように、円を描いて並ぶ大臣たち。


 ――ここにいる者の何人が、気づいているだろう。


 装飾用の燭台に見せかけて設えられた、淡く白い光源。

 炎は揺れず、煤も落とさず、空気も汚さない。


 それらはすべて、伝統の灯りを装った魔導ランプだった。


 王は魔導を好まない。

 だがこの謁見の間は広すぎ、常に人が集まる。

 人手。空気の滞留。維持の手間。

 ――合理性は、王自身も理解している。


 だから魔導は、隠されてきた。

 今、この瞬間までは。


 謁見の間に二人が足を踏み入れた瞬間、ざわめきが走る。


「王太子殿下の後ろにいるのは……」

「いや、あの髪色は……」


 玉座の前に立つと、レオンハルトは国王に最小限の礼だけを示し、半歩、脇に退いた。


 前に出たのは、エレノアだった。


 彼女は、ゆっくりと、時間をかけてカーテシーをする。


「……お前、本当にエレノアか?」


 額はすっきりと露わになり、髪は高く結い上げられている。

 灰簾石を戴いたティアラが、光を受けて静かに輝いた。

 いつもの地味な灰紫ではない。

 白銀地に、惜しみなく刺繍を施したドレス。


 エレノアは顔を上げ、父王に向かって微笑む。


「エレノア・アルトルミナ。御前に参りました。

 本日この機会を整えてくださったレオンハルト王太子殿下、

 そして謁見をお許しくださった陛下に、まずは感謝を」


 ざわめきが、波のように広がる。


 ――誰が場を作ったのか。

 ――誰が、今この場を支配しているのか。


 エレノアは一度、レオンハルトを見る。

 彼は鷹揚に頷いた。


 次に軍務卿コンラッド・エーレンベルク。

 彼もまた、無言で頷く。


 最後に父王を見る。

 アルフォンス三世は、わずかに眉を寄せた。


「陛下。

 僭越ながら、私エレノアは、此度のグラウベルトでの戦において

 魔導兵器を用いた指揮を執りました」


 どよめき。


「王女が前線に……?」

「やはり魔導の中枢は第三王女だったのか」


 レオンハルトが、わずかに身を返す。


 それだけで、音が止んだ。


「続けよ、エレノア」


 レオンハルトの抑えた声。

 だが拒否の余地はない。


 エレノアは頷く。


「王太子殿下のご配慮のもと、

 此度の戦では勝利を収めることができました。

 ――魔導の力によって」


 彼女は、グラハム・アーデルハイドを見る。

 老宰相は、穏やかに微笑み、静かに頷いた。


「陛下。

 半年で、ヴァルハルト公国との戦に決着をつけてご覧に入れましょう」


「……何だと?」


 エレノアは再びカーテシーをし、

 そして――レオンハルトへ手を差し出す。


 王太子はその手を取り、何の躊躇もなく歩き出した。

 藍の絨毯の上を。


 父王は、その背に言葉を投げることができない。

 肘掛けを、ただ強く掴む。


 この場の主が誰なのか。

 この場を動かしているのが誰なのか。


 大臣たちは、思い知らされていた。


 グラハム・アーデルハイドは謁見の間を見渡し、瞳を伏せて、小さく笑った。



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