38 守り抜いたもの、触れられなかったもの
本陣。
“迎撃・対魔導”を専門とする第二小隊の隊員が、ほとんど駆け込むようにしてアレクの前に現れた。
「敵魔導波動を至近で感知。ただし、位置が掴めません。
陣近くに魔導偵察機が侵入している可能性があります」
空気が、一段冷える。
「……いつからだ」
短く問う。
隊員は歯を噛みしめ、首を振った。
「撹乱が巧妙で……正確な時間は」
「いい。技師と連携しろ。場所を割り出せ」
「はっ!」
隊員は即座に踵を返した。
「……放射型の乱撃も、目くらましか」
呟きは低い。
アレクが一歩、エレノアの方へ寄る。
王女は腕を組んだまま、静かに頷いた。
「聞こえていた。
アレクの推測は妥当だろうな」
その瞬間。
『迎撃隊より報告! 魔導偵察機、撃破!』
張り詰めていた空気が、ほんのわずか緩む。
――だが、それは一拍。
「……いや、遅い」
アレクの声が落ちた。
霧の向こう、砕けた魔導偵察機の残滓が青く弾ける。
その魔導波動が拡散する前に――明確な“指向”を帯びた。
「……位置を抜かれたな」
エレノアは冷静だった。
だが、
空気が、鳴いた。
甲高い破裂音。
一直線に走る殺意。
「――殿下!」
ヴェラが躊躇なく動く。
エレノアの前に身体を滑り込ませ、抱き寄せるように庇った。
同時。
金属音。
アレクの魔導兵装が火花を散らす。
肩口で、弾丸が弾かれた。
「アレク!」
エレノアの声が、わずかに揺れる。
だがアレクは振り返らない。
すでに踏み込んでいた。
剣を抜く動作は、終わっている。
――近い。
――狙撃だが、距離が詰められている。
単独ではない。
一歩踏み出し、
飛来した弾を斬る。
さらに二歩、
続く弾を弾く。
「迎撃隊! 特定を急げ!」
思考が高速で回る。
――どこだ。
――数が多い。
背後。
予備動作なし。
横薙ぎに振った剣が、突然現れた伏兵の鎧に弾かれた。
さらに二つ、影が浮かぶ。
鈍い金属音。
ヴェラが短剣で一撃を逸らしながら、なおエレノアを庇っている。
一瞬で距離を詰める。
一人を蹴り飛ばし、斬る。
もう一人、鎧を掴み、剣を押し込む。
低い断末魔が、陣に沈む。
――まだいる。
最後の一人。
身を低く構え、明確な殺意でアレクを捉えていた。
狙撃。
弾が頬を掠める。
血が、散る。
「アレク!」
剣戟。
狙撃を避けながら、倒れた伏兵を蹴り、間合いを作る。
振り下ろされた剣を、正面から受けた。
――重い。
ただ者ではない。
背後には、ヴェラとエレノア。
一歩も退けない。
さらに一発。
弾が兵装を掠め、蒸気が噴き上がる。
警告灯が赤に変わった。
「アレク卿!」
「セドリック! 出力を解放してくれ!」
一瞬の沈黙。
そして、
「――了解!」
セドリックは調整を断ち切り、兵装制御盤を掴む。
「アレク! 解放しました! 行ってください!!」
世界が、軽くなる。
アレクは口角を上げた。
剣を斬り上げ、伏兵の体勢を崩す。
突きを紙一重で躱し、
袈裟斬り。
さらに踏み込み、頭部装甲を掴み――突き。
「ぐ……!」
『狙撃兵、撃破を確認』
「……こちらも終わった」
伏兵が崩れ落ちる。
金属音が、静かに陣に沈んだ。
「アレク!」
セドリックが駆け寄る。
「申し訳ない。腕部をやった」
「そんなもの、すぐ直せます。
それより血が――」
「俺は大丈夫」
アレクはセドリックの腕を掴む。
「今の対応、助かった。
――頼む」
セドリックは一瞬だけ目を伏せ、強く頷き、持ち場へ戻った。
「……アレク」
エレノアが、ヴェラに支えられて立ち上がる。
「殿下。引き続き警戒を」
微笑みは、いつも通りだった。
だが、エレノアは気づいている。
――ほんの少し、遅れていたら。
――ほんの一手、違っていたら。
前線では、なお放射型の砲撃が続いている。
戦場は、まだ終わらない。
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「魔導位相歪曲砲、調整完了!」
セドリックの声に、エレノアはヴェラの腕を離し、一人で前に出た。
戦場へ向けて、静かに腕を伸ばす。
「魔導位相歪曲砲展開。
目標、放射型魔導兵装」
抑えた声。
だが、もう震えはない。
その声は、確実に陣の隅々まで行き渡った。
張り詰めた静寂の中、技師の声が響く。
「カウントダウン開始。
五、四、三、二――」
低く、地を這うような重低音。
「――展開!」
空気が、止まった。
それまで平原を叩き続けていた砲撃の雨が、嘘のように途切れる。
「境界軍、出撃! 進めぇ!!」
ユリウスの号令が戦場を割った。
鬨の声。
鉄槍境界軍が、再び前へ走り出す。
グンターの黒馬が嘶き、黒いマントを翻しながら戦場へ躍り出た。
散開していた魔導兵装部隊も、次第に隊列を取り戻していく。
空では、赤の閃光――スカーレット・ウィングが、
動きを失った放射型魔導兵装を、次々と撃ち落としていた。
前線。
大盾型魔導兵装が突破され、
鉄槍境界軍と魔導兵装部隊が、放射型へ肉薄する。
「撤退! 撤退だ!!」
ヴァルハルト兵の叫びが上がる。
「深追いはするな!」
グンターの声が、平原に響き渡った。
波が引くように、ヴァルハルト兵は素早く陣を離脱していく。
残されたアルトルミナの兵士たちは、
しばし、呆然とその光景を見送った。
「……勝った、のか?」
誰かの呟きが、引き金になった。
歓声が上がる。
だが――
グンターだけは、撤退していく敵の背を、静かに見据えていた。
「……これで終わるとは、思えん」
その低い呟きは、戦士たちの歓声に飲み込まれていった。
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アルトルミナの使者の前に、ヴァルハルト兵が静かに立ち、一礼した。
「我がヴァルハルト国の指揮官カスパル・ドライゼン閣下より言伝を預かって参りました。
『此度の戦において、
アルトルミナ王国が示した軍事力と運用思想には、相応の敬意を表したい。
もっとも、我々ヴァルハルトは、
この一戦のみで是非を決する立場にはない。
王都と連絡を取り、今後の方針を改めて定める必要がある。
即答はできぬ。
ゆえに本日は、ここで陣を改める。
これは撤退ではない。
次なる局面へ備えるための、再配置である。
——本日は、ここまでとしたい』
以上。
使者殿は、無事お帰りいただきたく存じます」
書状を受け取り、使者は顔を上げるが、ヴァルハルトの男は静かに笑むだけだった。
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アルトルミナの陣は静かに片付けられ、砦へと一同は撤収する。
その様子を、エレノアは静かに見つめていた。
「エレノア様、我々も砦に戻りましょう」
アレクに呼びかけられ、ハッとして顔を上げる。
技師達は未だ忙しなく片付けに奔走されているが、それを警護している兵以外は全て撤収し終えていた。
ヴェラは少し進んだところで待機している。
乾いた風が、エレノアの頬をかすめていった。
技師達の声と、僅かな金属の擦れる音。
エレノアはアレクを見上げた。
兵装の隙間から、彼の金の髪が覗いている。
夕焼けの陽を浴びて、蜂蜜色に落ち着いていた。
優しく細められる碧眼。
「アレク……お前は格好いいな。素晴らしい騎士だ。誇りに思う……」
声が僅かに震える。
「だけど……。だけど、私はお前を失うかと思った……」
エレノアがそっと手を伸ばし、アレクの肘に触れる。
鎧から守られていない、肘の内側。
指先に伝わる、彼の僅かな体温。
アレクは小さく息を呑み、柔らかく微笑んだ。
「エレノア様。俺は貴女を守るために剣を取っているのです。
――お守りできて本当に良かった」
包み込むような、優しい声音。
いつもの、アレク。
エレノアは視線を外し、小さく頷いた。
触れていた指先を、そっと下げる。
風が二人の間を通り抜けていった。
――此度の戦は、一応、アルトルミナの勝利に終わった。




