35 動き出す布陣
微かな金属音が、方々から囁くように聞こえてくる。
兵士たちが忙しなく行き交っていた。
砦の廊下は狭く、直線的だ。
壁には無数の補修跡が残り、場所によって石の色が違う。
兵がすれ違うたび、革と鉄の匂いが混じる。
誰も立ち止まらない。
立ち止まる理由が、この砦にはないからだ。
ヴェラを先頭に、エレノアとアレクは廊下を急いだ。
作戦室に入ると、すでにユリウス、グンター、セドリックが地図を広げて待っていた。
「すまない。遅くなったか?」
「エレノア。いや、大丈夫だ」
兄であるユリウス・アルトルミナ=ファルケンハイトは、薄紫の瞳を柔らかく細めて妹を迎えた。
セドリックは一礼し、グンター・ファルケンハイトは短く頷く。
室内には、すでに戦装束に身を包んだ者ばかりが揃っている。
張り詰めた空気が、低い天井の下に滞留していた。
ヴェラは壁際に控え、エレノアは作戦卓の脇、セドリックの隣に立つ。
互いに一瞬だけ目を合わせ、頷き合った。
「確認だ」
ユリウスが低く告げると、その場の視線が一斉に集まる。
壁の燭台の火が、ぱちりと音を立てて揺れた。
「これまで通り、人間による偵察・斥候・戦闘の主軸は鉄槍境界軍が担う。
魔導に関わる偵察と戦闘は、エレノアたちに任せる。
情報共有は常に行う。――異論はないな?」
「問題ない」
エレノアが即座に応じる。
「昨晩、魔導偵察機を敵陣に放った。まずはその情報を共有しよう」
高く結われた青銀の髪が揺れ、彼女は反対側に立つアレクを見上げた。
アレクはユリウスとグンターに向け、静かに頭を下げる。
「此度、王女殿下の魔導兵装部隊の指揮を拝命しております」
小さく息を吸い、澄んだ声で続けた。
「敵陣主力は中型魔導兵装。大盾型および投射型が中心と推測されます。
前回確認された蜘蛛型偵察機のほか、改良型魔導偵察機の存在を確認。
加えて、小型魔導戦闘機、歩兵型魔導兵装も配備されています」
エレノアは腕を組み、ユリウスとグンターを順に見た。
「――おそらく、魔導兵器を持たない兵士はいない」
低い天井に、彼らの影が揺れる。
部屋の外からは、鎧の擦れる音と兵士たちの声が絶えず流れ込んでいた。
「こちらの偵察結果とも一致する」
グンターが低く唸る。
「通常の剣や盾は、ほとんど確認されていない。
さすが、ヴァルハルトは“魔導特化国”だと――閣下も仰っている」
ユリウスの言葉に、エレノアはわずかにセドリックを見る。
彼も小さく頷いた。
ユリウスは腰を折り、エレノアの顔を覗き込む。
「だが……お前たちが持ち込んだ魔導兵器は、向こうに比べると……
いささか、シンプルに見えるな?」
「そうだが?」
ユリウスとグンターは一瞬、視線を交わす。
「戦術が違う」
エレノアは即答した。
「ヴァルハルトは“魔導に依存する戦術”。
こちらは――“血の通った魔導戦術”だ」
「……血の通った?」
エレノアが頷くと、アレクとセドリックも、彼女を挟んで静かに頷き合った。
王女は腕を組み、不敵に笑う。
「新型の大型魔導兵器も、まもなく届く。
兄上、とくとご覧あれ」
ユリウスは一瞬目を見開き、やがて同じように笑った。
「いいだろう。楽しみにしている」
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夜明け前。
辺境駅に、低く抑えた汽笛が一度だけ響いた。
新型魔導機関車が、蒸気を最小限に絞りながらホームへ滑り込む。
照明は落とされ、作業灯だけが地面を照らしていた。
貨物車両の扉が開き、分解された大型魔導兵器の構成部品が姿を現す。
装甲板、主機構、制御核。
どれも一つ一つが人の背丈を超え、鈍い魔導反応を放っていた。
魔導重機が唸りを上げ、部品を慎重に吊り上げる。
地面に振動が伝わるが、動きに無駄はない。
その一連の作業を、少し離れた場所から見守る二人の技師がいた。
クラリッサは制服の長い外套の前を留め、作業の進捗を確認してから、セドリックの方へ歩み寄った。
「セドリックさん。――お持ちしましたよ」
セドリックは濃灰のロングコートの袖を整え、軽く頷く。
「クラリッサさん。ありがとうございます。
……かなり速い移送が可能になりましたね」
視線は貨物に向けたまま。
数値と工程を即座に頭の中でなぞっている。
「貴方が提案した新型魔導エンジンのおかげです」
クラリッサは淡々と続けた。
「繊細すぎて、調整には苦労させられましたが」
セドリックはクラリッサを振り向くと、わずかに眉を下げる。
「それは……申し訳ありませんでした」
クラリッサは一瞬だけ口角を上げ、手を差し出した。
「構いません。それが我々の仕事です」
短く、しかし揺るぎのない声。
「セドリックさん。
あとは、頼みました」
セドリックはその手を取り、確かに握る。
「はい。確かに引き受けます」
言葉はそれだけ。
次の瞬間、二人はすでに別の方向を向いている。
クラリッサは機関車へ、セドリックは自分の技師たちのもとへ。
大型魔導兵器は、静かに馬車へと積み替えられていく。
やがてそれは、戦場へ向かう。
――誰かを守るための、最適解として。




