33 剣と器
ここ連日、アレクは夕刻になると灰簾宮を離れ、王立魔導工廠へ足を向けていた。
少し離れた場所で馬車を降り、徒歩で裏口へ回る。認証を受け、そのまま実験場へ。
入口に立つ警備は、アレクの姿を認めると深く頭を下げ、無言で扉を開けた。足を止めることなく中へ入り、二重扉を押し開ける。僅かに、軋む音。
広い室内。
施設を囲う高窓からは、赤く傾いた陽が差し込み、魔導防御壁に長い影を落としていた。
アレクは中にいた二人の前に立つと、軽く頭を下げた。
「お待たせしました」
「リーベル卿!」
声を上げたのは第一騎士団所属の若手、ノア・フォン・ヴァイス。若いながらも剣の腕は確かで、将来を嘱望されている男だ。
もう一人は、衣擦れの音すら立てず、静かに頭を下げた女――イルゼ。
アルトルミナでは女性は騎士団にも軍にも所属できない。彼女は傭兵団に身を置く戦士だった。
二人はいずれも、グラハムの調査によって選ばれた者たちだ。
魔導への忌避感がなく、剣の実力も確か――。
ここは、アレクが実際に手合わせを行い、最終的な選抜をする場である。
アレクは胸に手を当て、姿勢を正した。
「私は第一騎士団“蒼輪騎士団”所属、アレク・フォン・リーベル。
僭越ながら、王女殿下の剣となる魔導兵装部隊の選抜を、私が務めさせていただく」
ノアは背筋を伸ばし、「はい!」と素直に返事をした。
「“美貌の騎士”じゃないか。王族のパレードで遠目に見たことがある。
こんなに近くで拝める日が来るとは」
イルゼが目を細めて笑うと、アレクもわずかに口角を上げる。
「では、さっそく手合わせを始めてもよろしいですか? どちらから?」
二人は一瞬、視線を交わした。
「僕から行ってもいいですか?」
「あぁ、どうぞ」
イルゼが壁際へ下がるのを見届け、アレクとノアは向き合った。
「第一騎士団所属、ノア・フォン・ヴァイス! よろしくお願いします!」
アレクは歯を見せて笑う。
「久しぶりだな」
「はい!」
ノアが一歩、踏み込む。
――速い。
剣筋は正確で、無駄がない。基礎を怠らず積み重ねてきた身体だ。
「君は、魔導とは何だと思う?」
一合目。
アレクは剣を立てず、半歩引くだけで刃を外す。
金属が触れ合う音すら、立たない。
「カッコいいです! 何でもできます!」
アレクは小さく笑った。
否定ではない。真っすぐなその答えが、どこか心地よかった。
二合目。
ノアは間合いを詰め、肩口から斬り下ろす。
勢いがある。勝ちにいく剣だ。
だが、アレクは受けない。
剣の腹で流し、同時に踏み込み、ノアの胸元へ切っ先を滑り込ませる。
――止まる。
「何のために、君は剣を振るう?」
三合目。
ノアは反射的に剣を引き、体勢を立て直そうとする。
だが、すでに遅い。
アレクの剣は、いつでも突ける距離にあった。
静止。
勝敗は、音もなく決していた。
剣を収めるアレクの所作は淡々としている。
そこに高揚も、落胆もない。
「何のため……? 国のために、では……ないのですか?」
――まだ、未熟だ。
――おそらく、人を殺めたこともない。
「それも、一つの答えだろう」
だが、剣筋は悪くない。真っすぐだ。
きっと、伸びる。
「君は……俺についてこれるか?」
「ついていきます! 絶対に! しがみついてでも!」
「しがみつかれるのは……それはそれで困るな」
アレクが声を立てて笑うと、ノアは顔を真っ赤にした。
その瞳には、恐れよりも、昂ぶりが浮かんでいた。
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ノアが下がり、続いてイルザがアレクの前に立った。
互いに一礼し、向かい合う。
「魔導とは何だ……だっけ?」
イルザは、口角を上げる。
踏み込みは一瞬だった。
予備動作はない。地面を蹴り、距離を潰す。
一合目。
剣がぶつかる。
乾いた金属音が、空気を裂いた。
「何だと思いますか?」
アレクは受けた。
力を逃がさず、正面から。
「あたしは戦場で何度も“魔導兵装”に会ったよ。恐ろしいもんさ。
でも――」
二合目。
イルザは体勢を崩さない。
刃を絡め、間合いを潰し、即座に角度を変える。
――実戦の動きだ。
殺しに行く線ではない。
だが、「倒す」ことを前提にした圧がある。
アレクは半身になり、刃を押さえ、足を一歩前へ出す。
重心が低い。逃げない。
「それを纏えるなら、光栄だね!」
――理解したうえでの、覚悟。
三合目。
互いに踏み込み、剣が交差する。
火花が散り、空気が震えた。
刹那、二人の動きが同時に止まる。
アレクの剣は、彼女の喉元を外した位置。
イルザの剣は、アレクの脇腹を確実に捉えられる角度。
――どちらも、行かなかった。
次の瞬間、二人は同時に距離を取る。
剣を下ろす所作は、打ち合わせたかのように揃っていた。
そこに残ったのは、試し合いを終えた者同士の、静かな理解だけ。
「貴女は、何のために剣を?」
「死なないため」
イルザが顎を上げる。
「騎士さん。参考に聞かせてくれよ。あんたは?」
「守るため」
イルザが手を差し出し、アレクはそれを受け取った。
「シンプルでいい。惚れ惚れするね」
アレクは声を立てて笑った。
陽が落ち、実験場に魔導ランプが灯る。
白い光が、三人の影を床に落としていた。
壁際に控えていたノアを、イルザが振り返る。
「坊っちゃん。あんた――
そんな考えじゃ、戦場で死んじまうよ」
「え……」
「もし二人とも選ばれたら、あたしが鍛えてやる。
“死なないために”ね」
ノアの顔が、またみるみる赤くなる。
「あ……姐さん!!」
「なんだよ、それ……」
二人の様子を眺めながら、アレクは小さく笑った。
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二人を帰し、アレクが床に座り込んで一人で剣を磨いていると、実験場の扉が静かに開いた。
気配に振り返ると、そこに立っていたのはセドリックだった。
いつもの白衣は脱ぎ、紺の外套を羽織っている。
彼はアレクを見つけると、穏やかに笑んだ。
「お疲れさまです。どうでしたか?」
セドリックは一瞬だけ足を止め、それから自然な動きでアレクの隣に腰を下ろす。
外から持ち込まれた夜気の冷たさが、ふわりと漂った。
「……面白い人たちでした」
「ふふ。そうですか」
セドリックは外套の内ポケットから、小さな魔導ガラス瓶を取り出し、アレクに差し出した。
「……これは?」
「魔導栄養液です。工廠で技師向けに作られているもので、長時間作業時の魔力消耗や集中力低下を防ぐ効果があります。
……味の保証はしませんけど」
アレクは栓を外し、慎重に匂いを嗅いだ。
「……金属の匂いがするような」
「あはは。飲んでみてください」
アレクは眉を歪めてセドリックを一度見てから、意を決したように一気に飲み干す。
「……うわ、苦い」
「あっははは!
でも効果は本物ですよ」
アレクは顔をしかめたまま瓶を返し、やがて小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「いえいえ。アレク卿のそんな顔、初めて見ました」
セドリックは楽しそうに笑う。
アレクは苦笑しながらサーベルを鞘に収め、あぐらをかいたまま、セドリックの翡翠の瞳を見た。
――相変わらず穏やかな人だ。
つい、気持ちを委ねたくなる。
「あの……。
俺、選抜のときに“魔導とは何だと思う?”って聞いているんですが……
正直、自分自身ははっきりした答えを持っていなくて」
少し間を置いて、アレクは続けた。
「セドリック殿は、どう考えていますか?
――そもそも、魔導とは何ですか?」
「魔導とは……ですか」
セドリックは少しだけ考えるように視線を落とし、やがて穏やかに口を開いた。
「僕が教科書に書いた定義では、
“生物または鉱物に内在する微細な魔力の相を、
熱・圧力・符術回路によって工学的に拡張し、
エネルギーとして運用する技術体系”としています」
アレクの眉がわずかに寄る。
それを見て、セドリックは小さく笑った。
「……要するに、人や魔石が持つ魔力を、どうにかして使えるエネルギーにしよう、という技術です」
彼は片膝を立て、その足を軽く抱えるような姿勢になる。
「魔石が発見されてから、多くの技術が生まれました。
結晶化して魔導結晶にすれば、より効率的にエネルギーを取り出せる。
ごく小さなものなら、炉を使わず、魔導陣だけでもエネルギー化できます」
セドリックは静かに続ける。
「殿下が作っておられたオルゴールが、まさにそうですね」
魔導ランプの白い光。
王都のどこを歩いても聞こえる魔導炉の低音。
灰色の蒸気が、当たり前のように街を漂っている。
「僕は、魔導は“可能性の器”だと思っています」
「……器?」
「ええ。
器があるから、火傷せずに火を扱える。
水を遠くまで運ぶこともできる。
魔導も、そういうものだと思うんです」
一拍置いて、セドリックは言葉を選ぶ。
「ただし、万能じゃない。
扱いを誤れば、簡単に壊れてしまう」
アレクの碧い瞳と、セドリックの翡翠の瞳が、まっすぐに交差した。
「魔導は、魔法でも奇跡でもありません。
僕らが毎日使う、“器”です」
「……なるほど」
魔導工廠は吸音設備が整っており、場内は静かだった。
わずかな衣擦れの音だけが、かすかに響く。
アレクは小さく息を吸い、拳を作ってセドリックに差し出す。
セドリックは口角を上げ、同じように拳を出し、軽く触れさせた。
「勝ちましょう」
「もちろんです」
こうして、王女の“魔導部隊”は、着実に形を成し始めていた。
“持たざる辺境”グラウベルトへ、その力を届けるために。




