28 見上げたら嬉しくなる塔
灰簾宮、ティーサロン。
執事に案内されて入室したヘルマンは、思わず眉をひそめた。
上品なすみれ色の絹壁。
昼のやわらかな光が淡く満ち、部屋の奥、ソファに腰掛ける主の姿に、静かな威厳を与えている。
銀髪の王女。
未だに得体の知れない“無才の王女”。
その隣には、一人の騎士が立っていた。
剣を床に立てるようにして、微動だにせず。
絵画から抜け出してきたかのような容貌。
だが、そこに漂う気配は柔らかさとは程遠く、少しの歪みも許さぬ静謐さと鋭さを孕んでいる。
王女の前には低いティーテーブル。
そこから少し離れた位置に置かれた高背椅子には、足を組んで座る男がいる。
王太子レオンハルト。
白銀の髪、淡い紫の瞳。穏やかな微笑みの奥に、獰猛さを滲ませたその姿は、神聖でありながら猛獣のようでもあった。
――生きて帰れるのか?
ヘルマンは小さく息を吐き、背後にいた妻の手を取る。
促されるまま、ティーテーブルの向かいに、アメリアと並んで腰を下ろした。
「ヘルマン。壮健か?」
「えぇ、まぁ……」
雑な返事に、淡い茶色の猫っ毛を揺らしてアメリアが驚いたように夫を見る。
「ちょ……ちょっと、ヘルマンさん……」 「ん?」
エレノアは肘掛けに身を預け、口角を上げた。
「アメリア。今日は突然呼び出して悪かったな。
お前もヘルマンと共に設計士をしているのだろう? 一度、話を聞いてみたかったのだ」
予想していなかった名指しに、アメリアは目を見開き、慌てて頭を下げる。
「こ……光栄です!」
「アメリア、持ってきたんだろう?」
ヘルマンが声をかける。
「ルキウスさんに、持って行けと言われたから持ってきたけど……でも、こんな拙作……」
「いいから出せ」
「何か、持ってきてくれたのか?」
エレノアの問いに、アメリアは一瞬逡巡し、背後の執事オズワルドを振り返った。
彼は静かに包みをテーブルに置き、布を払う。
現れたのは――魔導時計塔の模型だった。
エレノアの肘掛けを掴む指先に、思わず力がこもる。
その微かな変化を感じ取り、アレクは内心で小さく笑ったが、表情は崩さない。
「……これは?」
「学生時代の卒業制作です。
故郷の第七魔導時計塔をモデルにして……。
ルキウスさんに、王女殿下は第七魔導時計塔をご覧になりたがっていると聞いて……役に立つかもしれないと……」
言葉は次第に小さくなっていく。
エレノアは勢いよくアレクを振り返った。
アレクは静かに頷く。
王女は身を乗り出すように、模型へ視線を落とした。
「……触っても?」
「どうぞ」
恐る恐る、指先が模型に触れる。
「これは……光るのか?」
「はい。ライトアップできます」
アメリアが模型を受け取り、起動させ、再びテーブルに置く。
星のような青光が塔を巡り、時計盤が柔らかく輝いた。
――コォォーン。
澄んだ音が、静かに部屋へ広がる。
「鐘の音も再現しています」
「時計塔の音は、このような音なのか?」
「いいえ」
即座に否定したアメリアに、ヘルマンが眉をひそめる。
「そんなに違わないだろう」
「全然違うでしょ?」
アメリアは王女を見た。
「もっと……美しい音です。
隣町まで響くのに、うるさく感じない。
聞くと、“あぁ、帰ってきたんだな”“ここが私の街なんだな”って……嬉しくて、切なくなる音なんです」
エレノアは、そっと模型を撫でた。
「……お前は第七魔導時計塔を愛しているのだな。
そして、ヘルマンはアメリアが大好きだ。よく分かった」
ヘルマンはそっぽを向き、アメリアは小さく笑った。
「これが“人に寄り添う塔”か。
造形も、信念も、美しい。内部構造も、さぞ美しいのだろう。
……やはり、いつか実物を見に行きたいものだ」
二人は揃って頭を下げる。
「この街では、どんな塔にするつもりだ?
“生きた塔”か、“寄り添う塔”か……それとも、すべてを併せ持つ塔か?」
アメリアがヘルマンを見る。
腕を組んでいた彼は、静かに手を膝へ置いた。
「――見上げたら、嬉しくなる塔だ。
人々と共に呼吸し、静かに佇み、そっと見守る塔」
「見守る塔……」
エレノアは静かにアレクを見上げた。
気配に気づき、アレクも視線を返す。
「アレク……まるでお前のような塔だな」 「……」
騎士が固まると、アメリアが小さく笑った。
「殿下をお守りする方ですもの。そうかもしれません」
ヘルマンは不敵に笑ってアレクを見たが、彼は平静を装い、周囲の警戒を崩さない。
レオンハルトも何か言いたげに視線を向けたが、やがて何も言わずに紅茶へ目を落とした。
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レオンハルトが腕を伸ばし、静かにティーカップをテーブルに置いた。
――コトリ。
その音に、エレノアはわずかに首を傾げる。
「ヘルマン。私は、魔導が好きだ」
淡々とした声だった。
だが、その濃い青紫の瞳には、確かな熱が宿っている。
「規則正しく脈動する青光。
息をするように滑らかに回る歯車。
吐き出される熱い蒸気」
艶やかな銀髪が、肩口をさらりと流れた。
「魔導のもたらす恩恵を、すべての人に行き渡らせたい。
生活が便利になるだけではない。
――大切なものを、失わせないためだ」
「大切なもの……」
アメリアの小さな呟きが、部屋に落ちる。
エレノアは、静かに頷いた。
「災害時の迅速な魔導障壁の展開。
避難誘導。復興も、より早くできるだろう。
そもそも、災害そのものを跳ね除けられる技術さえ、可能かもしれない」
そこで、わずかに言葉を切る。
「――そして」
背筋を伸ばし、エレノアは顔を上げた。
「愛する者を、失わせないために。
私は、魔導を使いたい」
ヘルマンとアメリアは、思わず息を呑んだ。
「こちらが拒絶しても、刃を向けてくる者はいる。
誰かのために、それに立ち向かう者もいる。
それは――誰かの父であり、息子だ」
衣擦れ一つない静寂。
エレノアの声だけが、部屋に静かに横たわる。
「だが、辺境には魔導が届かない」
ヘルマンは、膝の上で拳をわずかに握りしめた。
「守りたいのだ。
ヘルマン、力を貸せ」
厚い前髪の奥。
その瞳は見えない。だが、まっすぐにこちらを見据えていることは、はっきりと分かる。
「お前の才があれば、アルトルミナ全域に渡る魔導ネットワークも造れる。
私には――お前の、血の通った設計が必要なのだ」
ヘルマンは、天を仰いだ。
そして、長く、細く息を吐く。
「……誰だ。この王女殿下を“無才”などと呼んだ愚か者は。
とんだ策士じゃないか」
「……ヘルマンさん!」
アメリアが慌てて、彼の手に自分の手を重ねる。
ヘルマンは、その手をそっと握り返した。
「アメリア……俺についてきてくれるよな」
一瞬、アメリアの瞳が揺れる。
「……はい。
当然です」
ヘルマンは、安堵したように微笑み、覚悟を定めた眼でエレノアを見た。
「微力ながら、協力させていただきます。
王女殿下の理想を叶える、一人とならんことを」
エレノアは、ゆったりと頷いた。
そして、ふとアレクを振り返る。
アレクもまた、小さく、しかし確かに頷き返した。
エレノアは再びヘルマンを見る。
「……で、では……あの…………。
第七魔導時計塔の設計図を、見せてもらえたりはしないだろうか……?」
「エレノア」
レオンハルトが、可笑しそうに笑う。
「兄上、良いではないか!
なぁ、ヘルマン。良いだろう?」
ヘルマンは肩を落とした。
「はぁ……まぁ……」
アメリアが、隣で小さく笑う。
張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていく。
こうして――
アルトルミナ全域を覆う魔導ネットワークの建設は、静かに決定した。




