23 勝利の静寂
――音が、消えた。
魔導弓兵たちの矢が、宙で失速する。
青白い残光は霧の中で途切れ、ただの鉄の塊となって地に落ちた。
敵陣に、明確な動揺が走る。
混乱は一瞬。
だが、戦場では一瞬が致命になる。
「今だ!」
号令は短く、鋭かった。
霧を裂くように、蒼輪騎士団が踏み込む。 魔導兵装の起動音は、まだ不安定だ。補助出力は最低限。
だが――それでいい。
霧の向こうで、重い足音が響いた。
――ズン、ズン。
人のものではない。
地面を踏み砕くような、不均等な振動。
「来るぞ……!」
霧を押し分けて現れたのは、人の形をした“大型装甲”だった。
全身を覆う魔導兵装。
肩幅は広く、胴体は厚い。
人の一・五倍はあるその巨体に、兵器搭載用の構造がいくつも露出している。
ヴァルハルトの魔導兵装部隊。
兵装の分類としては“小型”だが、それでもただの人に比べたら大きい。
「くそっ……反応が鈍い!」
「信号が安定しない!」
装甲の内側から、苛立った声が漏れる。 ジャミングの影響だ。
外部制御は乱れ、魔導回路は断続的にしか応答しない。
だが――
重装兵は、止まらない。
人が中にいる。
内側の魔力循環だけで、強引に動かしているのだ。
「それでも、動く……!」
蒼輪騎士団の若い騎士が、思わず息を呑む。
剣を握る手に、わずかな躊躇。
――この小さな装備で、勝てるのか?
アレクは一歩前に出た。
彼の装備は、軽い。
外見だけなら、ただの精巧なプレートアーマーにすぎない。
だが、踏み込んだ瞬間――
体が、信じられないほど軽かった。
剣を振る。
踏み替える。
回避する。
そのすべてを、魔導兵装が“邪魔せず”支えている。
「……デカいな」
正直な感想が、口をついて出た。
重装兵が腕を振るう。
兵器搭載型の一撃。
直撃すれば、鎧ごと叩き潰される。
だが、アレクは――
避けた。
最小限の動きで、懐に入る。
装甲は厚い。
だが、関節は人間の構造を捨てきれていない。
剣が、膝裏の隙間を正確に突いた。
「――ぐっ!?」
装甲が軋む。
内部で、魔力循環が乱れるのが分かる。
「いけるぞ!」
「重いだけだ! 動きが遅い!」
蒼輪騎士団が一気に距離を詰める。
重装兵は混乱する。
「なんだ、あいつらは!?」
「ただのアンティーク装備にしては……動けすぎる!」
「まさか――魔導兵装か!?」
その声に、答えはない。
アレクは剣を構え直す。
これは、魔導に勝つ戦いではない。
――技を、魔導が支えているだけだ。
剣技。
間合い。
連携。
そこに、余計な力は要らない。
「体が軽い……!」
背後から聞こえた声に、アレクは一瞬だけ口角を上げた。
「そうだ。
――いける」
敵魔導兵装の巨体が、ついに膝をつく。
その瞬間、戦場の空気が変わった。
蒼輪騎士団の騎士たちは、まだ魔導兵装に完全には慣れていない。
だが、基礎が違う。
盾を持たず、剣だけで距離を詰め、
敵の動揺を突き、数で囲ませない。
「囲まれるな! 二人一組で押せ!」
声が飛ぶ。
混乱の中でも、統制は崩れない。
ヴァルハルトの斥候たちは確かに巧みだった。
魔導があれば、地形を利用し、消えるように戦う部隊。
だが今は違う。
――目を奪われた獣だ。
七人いた魔導兵装部隊は、すでにほとんどが地に伏していた。
最後の一人が、後退しながら兵器が搭載された腕部を構える。
魔導の気配を探すように、焦った視線を彷徨わせる。
その瞬間。
アレクが、一歩、前に出た。
剣先が、まっすぐに向けられる。
構えは静かで、無駄がない。
敵は悟った。
――逃げられない。
次の瞬間、剣が閃く。
音は、ほとんどなかった。
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歓声があがる。
ユリウスとグンターのいる前方陣――鉄槍境界軍から。
そして、技師たちの待機する後方陣からも。
「あれが……王都の魔導か」
腕を組んで立っていたユリウスは、ゆっくりと隣のグンターを見る。
辺境伯もまた立ち上がり、短く息を吐いてから口角を上げた。
「……うむ!」
「はい。想像以上です」
ユリウスは、静かに後方陣へと視線を送った。
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エレノアは、僅かに息を吐いた。
張り詰めていたものが、ようやくほどける。
隣に立つセドリックが小さく首を傾げ、腰に手を当てた。
「……もう少し、調整したいですね」
エレノアはふっと笑い、彼を見る。
高く結われた銀の髪が、辺境の風を受けてさらりと揺れた。
「良い仕事だった。
やはり、お前という天才がアルトルミナにいたことは、何よりも得難い」
セドリックは一瞬だけ目を見開き、すぐに王女に向き直ると、深く頭を下げた。
「ありがたき御言葉」
エレノアが再び口を開こうとした、そのとき。
「――ですが」
セドリックが先に言葉を継いだ。
「此度の勝利は、僕一人の力ではありません。
殿下の采配があり、アレク卿たちの技があってこそです」
エレノアはその言葉を受け止め、黒髪の技師を静かに見つめる。
「頭を上げろ。
我らはチームだ」
そして、わずかに顎を上げた。
「――さぁ、王都に凱旋だ」
「はい。殿下」
陣を、辺境の乾いた風が吹き抜けた。
夜明けの光を帯びたそれは、砂塵をわずかに舞い上げ、きらめいて見えた。
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ヴァルハルト陣。
男は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
臙脂のマントが、重さを持って静かに落ちる。
その前に跪く兵士は、深く頭を垂れ、肩を震わせている。
男の口角が、わずかに吊り上がった。
「――撤退」
それだけだった。
兵士は地に額が触れんばかりに頭を下げ、音もなく去っていく。
静寂が落ちる。
破損した魔導兵器を運び込む音。
抑えきれぬ怒声。
魔導装置の唸りと、歯車の軋み。
だが、その中心に立つ男の静けさを、何者も侵すことはできない。
彼は腕を組み、声も立てずに――笑っていた。
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この日、アルトルミナ王国は、ヴァルハルト公国の斥候部隊と衝突し、圧倒的な勝利を収めた。
だが、それがまだ序盤に過ぎないことを、ここにいる誰もが理解していた。
彼らは一度、備えを整えるために――
王都へ凱旋する。




