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22 敵の目を奪え


 霧は低く、平原を這っていた。


 夜明け前の灰色の光の中、アルトルミナ側の偵察部隊は、音を殺して前進していた。

 鉄槍境界軍てっそうきょうかいぐんの若い騎士たち。

 軽装、盾なし、剣と短槍のみ。


 彼らは魔導を持たない。

 持たないからこそ、足取りは慎重で、視線は鋭い。


 先頭の兵が、手を挙げた。


 ――止まれ。


 霧の向こう。

 人影が、いる。


 距離はまだある。

 だが、数は少なくない。


 同時だった。


 向こうでも、動きが止まる。

 互いに、理解した。

 斥候部隊同士だ。


 剣が抜かれる音は、ほとんどしなかった。

 足運びだけで距離を詰める。


 霧が揺れ、刃が触れ合った。

 短い斬撃。叫びはない。


 数合で、勝敗はつかないと判断される。


 合図。


 ――撤退。


 アルトルミナ側は、霧の中へ散るように後退した。

 統制は取れている。

 だが、その瞬間だった。


 ヒュッ、という乾いた音。


「伏せろ!」


 次の瞬間、地面に突き立つ光。


 矢だ。

 ――だが、普通の矢ではない。


 青白い残光が、霧の中に尾を引いて消える。


「なんだこの矢は……!」


 戦士の声に、明確な恐怖が混じる。


 矢は、逃げる方向を読んで放たれていた。

 偶然ではない。


 さらに二射。


 一本は盾を持たぬ兵士の肩を掠め、もう一本は地面を抉る。


 鉄槍境界軍の援護が入る。


「前へ出ろ! 槍列を張れ!」


 槍が構えられる。

 だが――霧の向こうから、再び光。

 槍の間を縫い、地形を無視し、人の動きを読んで撃ち込まれる。


---


 後方陣。

 エレノアは、無言でその様子を見ていた。


 距離がある。

 声は届かない。


 だが、霧の向こうで光る“矢”だけは、はっきりと見えた。


「……あれは魔導弓ですね」

 

 セドリックがエレノアの隣に立ち、そう呟いた。

 後ろに立つアレクが、わずかに息を詰めたのが分かる。


「あの飛距離……威力……。あれが魔導弓」


 鉄槍境界軍が、槍で応戦している。

 だが、届いていない。


 相手は、こちらを見ている。

 しかも、こちらが思っている以上に。


 エレノアは、拳を強く握った。


 ――読まれている。

 ――どこに目がある?


 ふと、アレクが身構える。

 ヴェラがエレノアを庇うように腕を伸ばした。

 アレクは一歩前へ出、エレノアに低い声で告げる。

「……殿下、あちら」


 エレノアがアレクの指す方へ視線を向けた。


 陣の斜め前方。

 まだ距離があるが小さな黒い物体が

 ――“いる”。


 生き物のような動き。

 こちらを観察するように止まっては、滑るような移動を繰り返している。

 

 そしてそれは、こちらの視線に気づいたのか、ピタリと静止した。


 エレノアの視線を追ったセドリックが、息を呑む。


「……魔導偵察機です」


 彼は、声を落としながらも断定した。

 

「奪え」


 エレノアは低く、指示を出す。

 動き出そうとしたアレクの肘を慌ててセドリックが掴んだ。


「こちらの動きを見ています。

 まっすぐ行っては逃げられる」


 エレノアは腕を組み、隣に立つ男の翡翠の瞳を見る。


「セドリック。遠隔で止められないか。

 研究したい。物理破壊したくないのだ」


 彼は顎に手を当て、黒い物体をじっと見つめた。

 ――そして、彼の口角が上がる。

 

「魔導兵装の遠隔制御盤の予備があります。それで干渉波を使って混乱させるのです」


「できれば、“奪われた”のだと気づかせたくない。それをする直前に、あえてアレクに攻撃するふりをさせるんだ。壊されたと思わせておく」


「いいですね」

「仰せのままに」

 

 セドリックは返事と同時に、テーブルに並ぶ制御盤を取りに走り出し、アレクは黒い魔導偵察機から視線は外さずに顔をそらした。


 小型の制御盤を手に戻って来たセドリックは、その場にしゃがみこんだ。

 メガネを外し、戦場用の簡易保護具であるマギア・アイガードを装着して制御盤の蓋を外す。

 腰の魔導工具ホルスターから魔導カッターを抜き、配線を一部、迷いなく切断する。

 続けて魔導ストリッパーを使い、断面の被覆を剥き、数本の線を剥き出しにした。

 そして彼は、アレクを見上げる。


「何秒であそこまで行けますか?」

「十八秒で」

「わかりました」

 二人は目を合わせ、頷き合う。


「三、二、一……」

 セドリックのカウントが始まる。

 アレクが静かに駆け出す。


「一、二、三、四……」


 視界の外をなぞるように、魔導偵察機の背後へ回り込む。


 それは蜘蛛のような足が複数本生え、脈動のような青光が何本も細く体中を走っている。


「十七……」


 蜘蛛型偵察機は、ぬるりとアレクを向いた。


「十八」


 上から鋭く突き刺し、寸止め。


 青い脈動が狂ったようにざわめき出した。

 八本の足が蠢き、

 銀の液体を吐き出す。


 アレクが手を伸ばす。


「触らないで!」


 陣から駆けてきたセドリックが、声を上げる。


 狂った魔導偵察機がカタリと音を立てて動きを止める。


 セドリックはそれを静かに見下ろし、魔導繊維が織り込まれた黒い手袋をはめた。

 しゃがみ込み、手で扇ぐ。


「有毒物質ですね。間に合ってよかった」

「……有毒?」

「捕獲された時のための保険です」


 セドリックは偵察機を持ち上げて振り、銀の液体を地面に落としきる。


「持ち帰って解析しましょう」

「……はい」


 アレクは剣を戻す。

 そしてセドリックのマギア・フォーカス越しの翡翠の瞳を見て、片眉を上げた。


 ――眼鏡を外してる……。瓶底眼鏡よりはっきりと瞳が見える。


「何が言いたいかは分かりますが、緊急時ですからね」

「あ……わかりましたか?」

「眼鏡を外すなと言いたいのでしょう?

 それどころではありませんからね」

「ふふ。急いで戻りましょう」


 アレクはさっさと走り出し、セドリックは首を振りながら「……まったく」とつぶやいていた。


---

 

 セドリックが簡易テーブルの上で、奪った魔導偵察機を解体していく。

 エレノアは正面から、その手元をじっと見つめていた。


「……かなり複雑ですね」

「繊細な造り、ということか」

「ええ。魔導の流れが多層構造です。この水準のものを量産できる技師が、向こうにはいる」


 エレノアは、信号受信部にあたる結晶配列を指先でなぞる。


「これ、ジャミングできるのではないか?」

   

 その言葉に、周囲の技師が一瞬、動きを止めた。


「先ほど制御盤でやっていた干渉波の応用だ。

 この戦場全体に、同種の波を流せないか?」


 セドリックが顔を上げる。

 翡翠の瞳と、エレノアの青紫の瞳が正面から交わった。


「……理論上は、可能です」


 即答だった。


 エレノアは頷き、続ける。


「城壁脇のあの尖塔、分かるか?

 建築途中の魔導制御塔だ。完成間近だったはずなんだ。使えないか?」


 セドリックは一度手を止め、椅子に腰掛け直す。

 足を組み、顎に手を添えて短く思考を巡らせる。


 瞳を閉じる。


「……できる」


 セドリックは瞳を開いた。


「塔の進捗次第ですが、制御盤からアクセスできれば、干渉波の中継点にできます。

 やる価値は、十分にあります」


 セドリックは立ち上がって、魔導工廠の上級技師の証である濃灰のロングコートを脱いで椅子の背に掛けた。

 白いシャツに革のコードタイ、グレーのウエストコート姿になると、シャツの袖をまくり上げる。


「まず、調べます」


 制御盤の蓋が開き、回線が組み替えられていく。


「マギア・コア、コードαとγを」


 技師が駆け、部品が運ばれる。

 セドリックは共鳴監視具オルビス・イヤーを耳に掛け、魔導溶筆マギ・ソルダーで回路を繋いでいった。


 手を止めて、共鳴監視具オルビス・イヤーを片手で抑え、瞳を伏せる。


 それから、エレノアを見た。


「……いけます。もう少し調整は必要ですが、すぐに」


 エレノアは息を呑み、振り返る。


「ジャマー完成次第、魔導兵装部隊を投入する。

 備えよ」


「御意」

 アレクが応じ、騎士たちに号令をかける。


「兵装部隊、準備に入れ!」


 セドリックも立ち上がり、技師たちに告げる。

「兵装のチューニングを始めてください。

 急いで!」


 陣の中が慌ただしく動き始める。

 

 セドリックの足元に一機の魔導兵装が運ばれてくる。

 制御盤の蓋は開いたまま、彼はしゃがみ込んで兵装を持ち上げた。


「アレク卿、貴方はこちらに!」


 騎士たちのもとに行っていたアレクが駆け戻ってくる。


「セドリック殿が手伝ってくださるのですか?」

「アレク卿専用兵装ですからね。僕がやります」


 着々と魔導兵装を纏う。

 見た目にはプレートアーマーとさほど変わらないほどに小型化、軽量化された剣を扱うための魔導兵装。

 彼はアレクを椅子に座らせ、肩部の調整を行う。


「この兵装は、貴方の動きを先読みして補助します。

 戸惑いはあるでしょうが……必ず、応えてくれる」


 最後に、両肩に手を置いた。


「ご武運を」


 アレクは立ち上がり、セドリックを振り返る。

 その翡翠の瞳を見つめ、白い歯を見せて笑んだ。


「俺は、セドリック殿を信じています」

「はい」


 セドリックは頷く。

 そして、また制御盤に向き合う。僅かな調整を繰り返し、

 

 ――カチリ。


 最後の配線が繋がった。


「エレノア王女殿下、起動可能です」


 セドリックの脇でずっと見ていたエレノアは口角を上げる。


 そして、彼女は一歩前に出、騎士と技師たちを見渡す。


 膝丈の灰銀のマントが辺境の風に揺らされ、裏地に織り込まれた王家紋章が僅かに見えた。


「……始めよう」


 その声は、静かだった。

 だが、確かに戦場を支配した。


「ジャマー、起動。

 五、四、三、二――」


 世界が、止まる。


 魔導偵察機が沈黙し、

 魔導弓の光が消え、

 鉄槍境界軍も、言葉を失った。


 ユリウスは口角を上げた。


「境界軍、一度引け!」


 エレノアは戦場へ向け、大きく腕を振る。


「今だ。

 蒼輪騎士団――前へ!」


 辺境の地に、鬨の声が響き渡った。



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