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2 灰簾宮に潜む光

 騎士団所属の馬車が、ガラガラと石畳を叩きながらアルトルミナ王城へ向かっていく。


 アレクは姿勢正しく座席に腰掛け、窓の外へと視線だけを向けていた。

 昼の柔らかな光が肩へ落ちるが、そこにいつもの朗らかさはない。

 編み込まれた髪からこぼれた一房が頬に影を落とし、馬車の揺れに合わせて金糸のように揺れている。


 ――“無才の王女”。

 ――爵位の低い自分だからこそ宛がわれた婚約。

 ――政治の駒として選ばれただけ。


 アレクはそっと目を伏せた。


 馬車は庭園へ続く緩やかな坂を上り、やがて人の気配が薄い区画へと入っていく。


 王族にのみ許された中庭。丁寧に手入れされた季節の花々が、陽を浴びて鮮やかに咲き誇る。

 続いて現れるのは、今は使われていない温室。手入れはされているが、ひとの温度はない。

 その向こう、王城の外壁に刻まれた巨大な魔導防御陣が、青白い光を静かに脈打たせていた。


 しばらく進むと、灰銀色の外壁を持つ小さな宮殿が姿を現した。


 第三王女エレノアに与えられた、灰簾宮かいれんきゅう――。


 規模は小さいが、王族としての防御設備は整っている。

 ただし専属の護衛はいない。第一騎士団が交代制で常駐するのみで、アレクも何度か任に就いたことがある。


 宮前は驚くほど静かだった。


 馬車を降りると、灰簾宮の老執事オズワルドが控えめな一礼で迎えた。


「お待ちしておりました、リーベル卿。

 第三王女殿下がお待ちです。どうぞこちらへ」


 アレクは胸に手を添え、丁寧に礼を返す。


 純白の礼装騎士服に身を包んだアレクは、光を纏ったように見えた。

 背で揺れる白金の髪、澄んだ碧眼――そのすべてが、白の礼装の中で凛と映える。


 執事は思わず目を細めた。


---


 オズワルドの足音は、年齢を感じさせぬほど静かだった。

 むしろ、アレクの規律正しい足音のほうが鮮明に石畳へ響く。


 灰銀色の壁。

 簡素な装飾のランプ。

 磨き込まれた廊下には、人の匂いがあまりに薄い。


 遠くでかすかに、オルゴールの音が流れている。

 それ以外に聞こえるのは、アレク自身の足音と衣擦れだけ。


 ――ここまで、誰一人すれ違わなかった。

 ――使用人の数が、思った以上に少ない……。

 ――本当に王女殿下は、こんな場所で生活しておられるのか?


 アレクは胸の奥で、小さく息を呑んだ。


---


 オズワルドが一つの扉の前で静かに一礼した。そこで控えるという合図だ。


 アレクは扉の前に立ち、呼吸を整える。

 そして、仕事で見せる“朗らかな微笑み”を仮面のように張りつけた。


 ノックをする。


 扉がゆっくりと開き、侍女ヴェラが顔をのぞかせた。

 軽く頭を下げてから部屋へ入り、再び部屋の主に向けて丁寧に頭を垂れる。


 顔を上げると――。


 大きな窓から差し込む光の中、ソファに腰掛けていた王女が、丸いティーテーブルに手を添えて音も無く立ち上がった。


 まっすぐに落ちる淡い銀の髪が、動きに合わせて静かに光を流す。

 エレノアは、ほとんど無表情のまま、小さく笑んだ。


「ほう。噂に違わぬ“美貌”だな。この世の光を集めたような姿だ」


 華奢な体つきに似つかわしくない、落ち着いた断言。

 数歩前に進み出ると、右手のひらを下に向けて差し出してくる。


「私が第三王女、エレノア・アルトルミナだ。

 よろしくな、アレク」


 アレクは静かに歩み寄り、跪き、差し出された指先へ口づける。


「アレク・フォン・リーベルと申します。殿下を生涯お支えいたします」


 顔を上げた瞬間――胸が、跳ねた。


 前髪の影から覗いた濃い青紫のアーモンドアイ。

 深淵のような知性と強い意志。その瞳を持つ女が、どうして“無才”と呼ばれるのか。


 エレノアは小さく笑み、アレクの顎に指先を添えた。


「……神の造形だな」


 その一言を残し、スッと手を離して背を向ける。


「この婚約で、多くの乙女が泣くであろうな。……まぁ、知ったことではないが。

 アレク、座れ。茶を飲もう」


 灰紫のダマスク柄ソファに戻ると、自身の隣と、向かいの猫脚の高背椅子を交互に指差した。


「好きな方に座れ」


 アレクは丁寧に頭を下げ、控えめに椅子へ腰を下ろす。


 窓にかかる灰紫のベルベッドカーテンの銀刺繍が、淡い光を受けてきらりと揺れた。

 その光の中、エレノアは小さく首を傾げるが――相変わらず長い前髪が瞳を隠している。


「お前は婚約者だ。隠し立てをするつもりはない。先に言っておく」


 ヴェラが銀の茶器を置き、アレクの前に一冊の本をそっと置いた。


「……これは?」


「お前が来るまで読んでいた本だ」


 アレクは紺の表紙を手に取り、表題を指でなぞる。


「“魔導理論”……と」


「私は魔導オタクだ。趣味だが、もはや生きがいだ。

 許せ、私は“淑女”とは縁遠い女だ」


 エレノアは足を組み、唇の片端をつり上げた。


「お前も好きにすればいい。

 女を囲おうが、ギャンブルに興じようが――」

「そんなことはしません」


 アレクは本を戻し、彼女の隠れた瞳をまっすぐに見つめた。

 微笑みの仮面が、ほんのわずかに強張っている。


「……潔癖な男だな。いっそ哀れだ。

 “無才の王女”を押し付けられたんだ。せめて楽しく生きろ」


「……殿下」


 エレノアは本を取り上げ、指先でページをめくる。

 アレクはただそれを見つめることしかできなかった。


「ただ、周りの目は気になる。

 茶会には必ず来い。公的な場では私を正しくエスコートしろ。

 望むのは、それだけだ」


 本を脇へ置くと、茶器を手に取る。


「さぁ、飲め。婚約者として初めて飲む茶だ。きっと美味いぞ」


 エレノアの唇が、うっすら弧を描いた。


---


 アレクは灰簾宮かいれんきゅうの廊下を、オズワルドの後について静かに歩いていた。


 ――あの強い瞳。

 ――揺るがぬ言葉。

 ――王族としての風格。


 ――あれが、本当に“無才”……?

 ――いや、何か大きな秘密を抱えている……?


 思考に沈んだそのとき、オズワルドがふいに脇へよけた。


 アレクがはっと顔を上げると、白銀の髪の男が廊下に寄りかかるように立っていた。


 ――王太子、レオンハルト・アルトルミナ。


 アレクが慌てて跪くと、レオンハルトは小さく鼻で笑った。


「良い。立て」


 手を伸ばしてアレクの腕を取り、軽く引き上げる。

 アレクは姿勢を整え、視線だけ王太子へ向けた。


「アレク・フォン・リーベル。一つだけ言っておく」


 淡い紫の瞳に光が差し、白銀の髪がふわりと揺れる。

 幻想めいた気配に、アレクの拳がかすかに震えた。


「――あれは、ダイヤの原石だ。丁重に扱え。いいな?」


 アレクは言葉を失った。


 レオンハルトは満足げに口角を上げ、アレクの背を軽く叩くと、音もなくエレノアの部屋へと歩き出した。


 アレクはその冷ややかに澄んだ空気を背に受け、深く息を吸う。

 オズワルドへ小さく礼をし、再び玄関へ向かって歩き出した。



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