16 紅翼降臨
空から赤い光が落ちてきた。
最初は朝日に反射しただけかと思った。
だが、その光は尾を引き、炎のように揺らぎながら、王立魔導工廠の屋外実験場へ真っ直ぐ滑り込んでくる。
――スカーレット・ウィング。
――紅の魔導戦闘機。
複葉翼の縁に埋め込まれた光導線が淡く青白く輝き、魔導推進タービンが低く唸る。
赤銅の機体は朝日に照らされ、まるで深紅の猛禽が空を裂いて舞い降りるかのようだった。
機体は最後にふわりと一回転し、
風を切り裂いて地表すれすれを滑空し――
派手に、しかしぴたりと寸分の狂いもなく着地した。
土煙すら立たない。
静寂。
次の瞬間、コックピットから金褐色の髪の青年が軽やかに飛び降りた。
ゴーグルを外し、誇張されたボウ・アンド・スクレープ。
まるで舞台役者が喝采を受ける瞬間のように、完璧な動作だった。
白い歯がちらりと光る。
「はじめまして。スカーレット・ウィングのパイロット、ルカ・アストレイン。どうぞよろしく」
魔導飛行機の先進国・エストリア共和国から招聘された天才。
通称――蒼の翼。
国家からも軍からも独立した自由契約操縦士。
若くして〈エストリア飛行院〉の特別顧問に名を連ねる、空の申し子。
本来なら派手に現れるはずの男だが、今回は極秘裏の入国だった。
“魔導戦闘機を持たないアルトルミナ”へ技術を伝えるために。
半円に並んでいた王太子レオンハルト、軍務卿コンラッド、エレノア、セドリック、そして護衛としてのアレクが礼を取る。
レオンハルトが歩み出て、手を差し出した。
「よく来てくれた。感謝する。蒼の翼。私がアルトルミナ王国王太子、レオンハルト・アルトルミナだ」
ルカが力強く握り返し、快活に笑う。
「お会いできて光栄です、殿下。アレクシア妃殿下からもよろしくとの伝言です」
レオンハルトも穏やかな表情で頷き、ルカの肩をぽんと叩いた。
早朝の風が二人の髪をさらりと揺らす。
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ルカは胸を張り、深紅の機体を背に語りだす。
「なんでも聞いてくれ。
俺がこのスカーレット・ウィングについて答えられないことなんて、ないからな」
セドリックが一歩前へ出た。
エレノアも後ろからそっと覗き込むように歩み寄る。
セドリックの瓶底眼鏡の奥――翡翠色が鋭く光を帯びた。
翼、タービン、外装――
ただ見ているだけで、まるで内部の図面まで透けているかのような眼差し。
「……蒸気圧と魔力振動の二重推進。
この機体サイズで、ここまで安定させるとは……」
低く洩れた独白に、ルカが驚いたように眉を上げる。
「おいおい、“主任技師”の名は伊達じゃないな」
「光導線が外装に露出しているのに、干渉が起きていない……。
素材の純度が異常に高いはずです。
共鳴抑制回路も――内部に組み込んである、でしょう?」
ルカは目を丸くし――
ニッと、心底嬉しそうに笑った。
「内部構造まで当ててくるとは……。
さすがだよ、セドリック。
なんでも君にはお見通しなんだな」
彼は軽いノリで肩を叩き、言う。
「なぁ、セドリック。うちのエンジニアチームに入らないか?」
アレクは吹き出しそうになり、そっと顔をそむけた。
レオンハルトは笑みを崩さず、しかし薄く眉を寄せる。
エレノアは戦闘機しか見ていない。
軍務卿は黙したまま、若者たちのやり取りを観察していた。
セドリックは静かに、しかしはっきりと首を横に振った。
「光栄ですが……僕はこの国にいます」
ルカは快活に笑った。
「だよな! 今のは冗談だ。
でも――俺が君を本気でリスペクトしているのは、冗談じゃない」
そう言ってルカは再びコックピットに戻り、紙束を持って戻ってくる。
「王妃殿下からのプレゼントだってさ」
セドリックが受け取り、エレノアと同時にページを覗きこむ。
二人の肩が、ぴくりと震えた。
「これは……」
ルカは腕を組み、白い歯を見せて笑った。
「さすがにスカーレット・ウィングの詳細図は渡せない。
でも――エストリアの汎用魔導戦闘機の図面なら提供できる。
俺たちは小国だ。技術と恩を売って、生きてるようなもんでね。受け取ってくれ」
レオンハルトもセドリックの横に立ち、息を呑む。
「ありがとう。アルトルミナは、この恩を決して忘れない」
ルカは深く頭を下げ、改めてセドリックの肩に手を置いた。
「セドリック、君ならもっと良いものを作れる。
そのときこそ――今度は本気で引き抜きに来るよ」
レオンハルトは、そっとその手を外した。
「セドリックをうちから持っていくのはやめてくれ」
ルカは楽しげに笑い、深紅の機体に軽く寄りかかった。
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一同が解散したあと、セドリックは一人、魔導工廠のラボに戻ってきていた。
図面を広げ、夢中になってペンを走らせていると、控えめに扉がノックされる。
「どうぞ」
そっと顔をのぞかせたのはアレクだった。
今日は騎士団制服ではなく、白シャツに濃紺のウェストコートという質素な装いだ。
「あの……遊びに来ましたが、お邪魔ではありませんか?」
セドリックは体だけアレクに向け、瞬きをしたあと、ふっと微笑んだ。
「……いつでも来ていただいて結構ですよ」
アレクはおずおずと部屋に入り、小さく頭を下げる。
「今朝のアストレイン卿の対応の際に、殿下から護衛につけと言われ、丸一日外部任務申請を出していたのですが……想定より早く終わってしまいまして。
ですが当の殿下には“もう用はないから帰れ”と言われてしまい……。
特にやることもなく……遊びに来ました」
「ふふ。殿下らしいですね」
セドリックが立ち上がって給湯器へ歩くと、アレクは慌てて横に並んだ。
「今日は客として来たのではありません。触ってよければ、俺がお茶をいれます」
セドリックの翡翠の瞳が柔らかく細められる。
「では、お茶をお願いします。僕はお茶請けを用意します。大したものではありませんが」
二人で簡素な茶会の支度をし、向かい合ってソファに腰を下ろす。
セドリックはアレクの私服を一瞥し、にっこりと笑った。
「落ち着いた色のウェストコートがよくお似合いです。瞳も髪も淡い色味なのに似合ってしまうのは……アレク卿の雰囲気がしっとりしているからでしょうか」
アレクは一瞬だけ固まり、そっぽを向いた。
「……そういうところですよ。まったく」
「え? 何がです?」
アレクはジトッとした目でセドリックを見る。
「セドリック殿は、おそらく無自覚なんでしょうけど……静かな“大人の色気”がある。
しかも、穏やかで落ち着いていて、余裕もあって。
それが俺には、どうしようもなく羨ましいんです」
「落ち着き……」
セドリックは茶を一口含み、そっと器を置いた。
「アレク卿。僕が殿下にその“落ち着き”について何と言われたか、ご存じですか?」
「え……? いえ。なんと言われたのです?」
セドリックは小さく息を吐き、膝の上で手のひらをそっと重ねる。
「“セドリック、お前は落ち着きすぎてジジイのようだな。本当は七十を越えているのでは?”」
二人の間に、しんとした沈黙が落ちた。
「僕は……その夜、考えすぎて眠れませんでした……」
「……」
「ですから、アレク卿。“落ち着いて見える”というのは、必ずしも誉め言葉ではないのですよ。僕は“落ち着きすぎている”のだと思います。羨ましがるようなものではありません」
アレクは限界に達したように吹き出した。
「ぷ……! あはははは!
殿下が真顔でそう言っているのが目に浮かぶ! “ジジイ”って……!」
セドリックは眉を情けなく下げたが、やがて彼も小さく笑い、二人の笑い声が静かなラボに心地よく響いた。
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ひとしきり笑い合ったあと、アレクは髪を指で軽く払って姿勢を正した。
「ところでセドリック殿。貴方から見て魔導戦闘機はどうでしたか? 実装できそうですか?」
セドリックはソファに深く腰掛け直し、足を組む。魔導兵装について考えるときの癖だ。
「アルトルミナ流に改良すれば可能です。
現存する小型飛空艇に、魔導兵装で使う魔導回路の応用を施せば……理論上、実現できます。
ただ――」
「ただ?」
「ルカ・アストレインは驚異的な“天才”だと改めて痛感しました。
スカーレット・ウィングのような機体を乗りこなせる人間は、そう多くありません。
よくあれで拒絶反応や魔力爆散が起きないものです。
あれは相当繊細な操縦が求められます」
セドリックの翡翠の瞳が微かに光った。
興味の火が入った時特有の、静かな熱。
アレクはそれを見て、胸の奥が不意に跳ねる。
――この人は、いつもどこまでも前へ進んでいくのだな……。
「だから僕は、“飛べる魔導兵装”を造るつもりです。
通常の飛空艇を扱える人なら誰でも操縦できる、“魔導戦闘機”。
戦闘装備である以上、安全とは言い難いですが……」
「……なるほど」
アレクは小さく息を呑んだ。
セドリックは当然のように語るが、おそらく途方もない技術だ。
セドリックがふと笑って言う。
「殿下に“どうせなら聞いてこい”と言われたのですか?」
アレクは目を瞬いた。
「……わかってしまいますか」
「ええ。僕たちは……殿下に振り回されすぎています」
セドリックが小さくため息を漏らすと、アレクも苦く笑った。




